あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

カントリーウオークの下見へ(埼玉)

2009-01-18 23:04:48 | ウオーキング
 今日、日中は曇り空で、うす寒い1日でした。

 しかし予定していたので、Tさんとカントリーウオークグループの
3月例会の下見で、さいたま市北部から上尾市にかけて歩きました。

 出発はJR川越線の指扇(さしおうぎ)駅、10時前に駅を出ました。

 あまり細かいレポートでは、3月例会の楽しみが奪われるので、写
真5枚のみの簡略報告とします。

 駅の北側、中釘集落にある秋葉神社。広い境内にりっぱな社殿や、
夏祭りに使われるささら踊りの舞台などがありました。  


 近くの妙玖寺(「妙」は王偏が正しい字)には、山内一唯一族の墓
があります。

 山内一唯は、土佐藩主・山内忠義の実弟(山内一豊の甥)で、2代
将軍徳川秀忠から、指扇領3,000石を拝領しています。

 大字にもなっている清河寺(せいがんじ)は、昨年完成した新本堂、
庫裡(くり)など、みな白木の、ま新しい建物です。


 昼食地は、大宮花の丘農林公苑で。

 南北に長い谷地の間に、和風園地、バラ園、花の丘、御花畑など
がある、緑豊富な公園です。

 堤崎集落の愛宕神社には、関東では珍しいという「車地蔵」と呼ぶ
お地蔵さんがありました。

 台座の下に、手で回せる石車がついています。念仏を唱えながら
これを回すと、極楽往生できるといわれているものです。

 さらに「地頭方」、「壱丁目」、「川」など、変わった名の集落を通過し、
JR高崎線上尾駅に15時30分に着きました。

(天気 曇、距離 14㎞、地図(1/2.5万) 上尾、歩行地 さいたま市、
 上尾市、歩数 28,300)
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東京都心を巡る(大手町から有楽町へ)

2009-01-17 22:27:49 | 江戸・東京を歩く
 2009年1月17日(土)

 首都圏の今日は寒さが緩み、日中は過ごしよい日和となりました。

 用事が2つできたので、東京都心へ出かけました。最初に降りたの
は東京メトロ丸ノ内線の大手町駅。

 大手町交差点の北西側、サンケイビル前の広場です。

 交差点を東に進み、JR東京駅北側のガードをくぐると、常盤橋公園
があり、江戸城常盤橋門の石垣が残っています

 常盤橋門は、江戸城外郭の正門として奥州道に通じ、敵の侵入を防
ぎ、味方の出撃を容易にするため、大きな切石で積み上げられた「コ」
の字形の枡方門。

 天正18年(1590)架橋といわれる旧常盤橋は、両国橋がかかるま
では江戸一の大橋だったとのことです。

 公園の中心には、渋沢栄一の石像が立っています。

 渋沢栄一は、幕末の慶應3年(1867)欧州に赴いて民主主義自由
主義を知り、帰国後、産業経済界の指導育成に努め、第一国立銀行を
初め500の会社を開興しました。また、社会事業女性や実業や女子
教育の育成、世界平和の促進などに努めた人です。

 橋を渡ると、渋沢が起こした第一国立銀行、現在の日本銀行本店です。


 日本銀行の横をさらに進み、日本橋の三越本店に入りました。

 今日の目的のひとつは、ここで18日まで開催中の「田淵俊夫展」の
観覧でした。

 田淵俊夫画伯は、日本画の大家。日本美術院理事として日本画壇を
牽引するとともに、東京藝術大学の副学長として後進の育成にもあたり、
この3月、定年で退任されます。

 この展覧会は、昨年9月から2ヶ月間、パリ・三越エトワールにて日仏
交流150周年記念として開催され、大きな反響を呼んだ作品や、永平寺、
鶴岡八幡宮のふすま絵などが展覧されていました。

 先週のNHK教育TV「新日曜美術館」でも紹介されましたが、自然を
中心にした緻密な描写の作品、また、墨のみで画いたふすま絵など、
田淵画伯の力量に感じ入る大作ばかりでした。


 東南の出口から三越を出て、日本橋を渡りました。橋の南詰めに立つ
日本橋の説明板など。 

 それによれば、『日本橋が初めて架けられたのは、徳川家康が幕府
を開いた慶長8年(1603)といわれ、東海道を初めとする五街道の
起点とした。現在の日本橋は、東京市により石造り二連アーチの道路
橋として明治44年(1911)3月に完成した。』などと記されていました。

 橋の先、銀座に向かう中央通り。


 中央通りを高島屋前まで進み、右折して東京駅に向かうさくら通りに
入ります。その名のとおりソメイヨシノの短い並木が続きます。


 東京駅八重洲地下街で遅い昼食をして、再び地上に出て、この銅像
の立つビルに入りました。どこかおわかりでしょうか。

 そう、八重洲ブックセンターです。いつものように地階に降り、2万
5千分の1地形図などを購入しました。

 JRの線路の向こうに建つ東京国際フォーラムを見ながら、有楽町
に向かいます。


 JR有楽町駅東口にある東京交通会館に入り、今日の目的の2つめ、
長野県観光センターを訪ねました。

 ここで、5月に歩く予定の上田市周辺のパンフレットやリーフレットを
入手しました。

 もらったリーフレットを見て、地形図が足りないかなと思い、再度八重
洲ブックセンターに戻り、リーフと地形図を確認したところOKでした。 

 八重洲地下街に入ると、南側の広場にこんな銅像があり、鼻先に触る
人が多いのか、ピカピカになっていました。(写真では、光っている様子
がよくわかりませんが…)

 これは「幸運の仔豚像」といい、イタリヤ・フィレンツェのウフィーツィ
美術館にある「猪」の大理石像を模刻したもの。この仔豚像の鼻先を
撫でると、幸運がもたらされると言われており、フィレンツェを訪れる
人々に人気があるとのことでした。

 写真を撮っただけで、私は撫でてくるのを忘れてしまいました。幸運
が逃げてしまうかな?

 八重洲地下街を北まで進み、線路の下を横断して丸の内北口の地
下街へ回ります。

 ここには、待ち合わせ場所のよい目印になっているSL、C6215号
機の動輪がかざられています。

 C6215号機は、東海道、三陽、函館本線などをかけめぐり、昭和
46年(1971)12月解体されるまで、約263万㎞(地球を65.7周)
を走り続け、鉄道100年の昭和47年(1972)に完成したこの東京
地下駅に動輪をかざり、その歴史を讃えることとしたようです。

 地下街の西側は、近年完成した新丸ビルへのプロムナード。その
一角に「丸の内歴史往来図」というのがありました。

 絵の下部は、建設当時の姿に修復される東京駅丸の内口の模様。
数年後には、このような姿が見られることでしょう。

 そばの、東京メトロ丸ノ内線東京駅から帰途につきました。
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第6回ぐるり一周葛飾探見歩行(東京)

2009-01-15 22:03:33 | 江戸・東京を歩く
 2009年1月12日(月・祝)



 成人の日、今年最初の葛飾探見歩行に参加した。
集合はJR常磐線の綾瀬駅東口。駅の北側にある東京武道館が、
足立区の成人式会場らしく、振り袖やスーツの新成人が、たくさん
駅に降りて会場に向かっていた。

 探見歩行の参加者は9人。10時2分に駅を出て、成人式とは逆の
南に向かう。

 小菅四丁目の白鷺公園のところで、古隅田川緑道に出た。東から
来た流れが90度カーブして南に向かうところ。


 ここで記念撮影をする。今日も地元の小学生2人が、お母さんと参加
してくれた。2人ともオーストラリア生まれだという。


 緑道は旧水戸街道に接して西に向かう。首都高速三郷線の高架下
をくぐり、綾瀬川の水戸橋を渡ると、北西に巨大な建物が見える。

 パラボラアンテナを上に向けたような大きなヘリポートもある、東京
拘置所である。

 橋の先は、旧水戸街道を少し進む。古い建物の材木店や黒壁の土
蔵、そば屋さんだったらしい木造の平屋など、街道をしのばせる建物
が残っていた。

 小菅一丁目の路地を北に入った。草津湯という銭湯が残っていて、
そばに小さな駄菓子やもある。店を切り盛りしているのは85歳の
おばあちゃん。50年近く続けているという。

 ちょうど帰ってきた息子さん(上の写真右端)は、この近辺の町並み
歩きなどをしているとのことで、「小菅たんけんタイムズ」という会報を
見せてくれた。

 また、最近上映された「20世紀少年 -第2章最後の希望-」と
いう映画の宣伝ポスターに、この店の写真が掲載されていると、その
ポスターの写真も見せてくれた。

 すぐ北にあるのが西小菅小。ここは安政6年(1859)から翌、万延
元年にかけ、貨幣の改鋳をした小菅銭座跡との案内板が立っていた。

 銭座は約4,600坪(15,000㎡)あり、ここで鉄銭を鋳造したという。

 学校の北側が東京拘置所。職員住宅に沿って東に回り、綾瀬川右岸
沿いに北に進む。拘置所の東側一帯の空き地に、14階建ての公務員
住宅4棟の建設が始まっていた。

 東京メトロ千代田線の高架そばまで進み、伊藤谷橋から堀に沿った
木道の遊歩道を西に向かう。途中から、東京拘置所の高い塀が現れた。
 

 遊歩道は、高架の東武鉄道小菅駅そばで90度カーブして、拘置所
沿いを南に正門前に向かう。
 
 正門近くに小さな小菅万葉公園があり、そばの拘置所の隅に、小菅
御殿石灯籠(いしどうろう)というのが立っていた。

 この場所は江戸時代、三代将軍家光が、治山治水農政に優れた関
東郡代伊奈半左衛門に、下屋敷(土地約10万坪)にと与えたところ。

 桜御影石のこの灯籠は江戸時代初期の作とされ、伊奈氏の小菅御
殿をしのばせる貴重な歴史資料として供覧しているという。

 明治12年(1879)、約7万坪を利用して小菅監獄が建てられ、以後
小菅刑務所を経て、昭和46年(1971)から東京拘置所となったようだ。

 拘置所の正門。この日は休日で門は閉じている。


 門の近くの建物に、こんな看板がある。知られた大物が仮出所する
ときには、保釈金数千万円とか報道されるが、そんな大金も用意して
くれるのだろうか。


 レンガ塀に沿って拘置所の南側を進むと面会所の門があり、そば
には差入店の看板が2つと、コーヒーショップがあった。

 拘置所の前でないと商売にならない、初めて見る店だ。

 正門前に戻り、首都高中央環状線の下から荒川左岸堤防に上がる。

 河川敷に、サッカーやラグビーの練習場になっている荒川小菅球技
場があり、そこが足立区と葛飾区との区界で、葛飾区の最西端になる。

 さくの手前が足立区で、向こうが葛飾区。やまさんは、用意してきた
「葛飾区最西端」の立て札を、そばの芝地にくい打ちした。

 球技場のそばの階段で、荒川を眺めながら昼食をする。雲が増えて
少し寒くなってきた。


 下流の河川敷に続く少年野球場を横切り、先ほど歩いた旧水戸街道
の先を進み、首都高の小菅ジャンクション下を越え、水道局の南にある
正覚寺に入った。

 明治2年(1869)、小菅県庁が設立した学制発布以前の公立学校
として、教育史上貴重な県立小菅学校の跡で、寺は校舎の一部にあ
てられたとの掲示があった。
 
境内には江戸時代の石仏が多く、四国八十八か所の砂を埋めた「お
砂踏み場」もある。

 南側で綾瀬川の歩道橋を渡り、下水処理センターの上に盛り土して
作った小菅東公園に上がる。池のある日本庭園も設けられていた。

 
 公園の東北に下り、折り返して南に向かう。こすげ小と綾瀬中の間を
抜け、小菅二丁目から堀切四丁目へ。

 旧小谷野小にある葛飾区民のためのリサイクル展示場に寄り、家具
のリサイクル品を見て、京成電車の南まで行き、別のリサイクル場にも
回る。旧小谷野小は無料の家具ばかりだったが、もう一つは、500円
と1000円で販売していた。

 堀切菖蒲園駅に向かうと、祖霊社という神社のそばに、菖蒲七福神と
呼ぶ石造りの新しい七福神が並んでいる。食べ物がよいのか、いずれ
もメタボ体質である。


 その後側の通りには、これも新しい、「堀切十二支神」と呼ぶ干支の
石像が、彫りの深い独特の表情で立っていた。

 右の子(ね=ネズミ)から左の亥(い=イノシシ)へと並んでいる。

 京成電車の堀切菖蒲園駅は近い。14時20分にゴールした。

 (天気 快晴後曇、距離 8㎞、地図(1/2.5万) 草加、歩行地 葛飾区)
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関東百駅巡礼歩行51番・つくばEXP浅草駅(東京)

2009-01-13 19:05:56 | 関東百駅巡礼歩行
 2009年1月10日(土)



 「やまさん」こと山浦正昭さんの関東百駅巡礼歩行、6年目に入
って最初の第51番目は、つくばエクスプレス浅草駅。

 このあたり、つくばエクスプレスは国際通りの地下を走っている。
私は、JR上野駅から歩いて国際通りに入り、浅草駅に下った。

 今年の初歩きということもあり、参加者はいつもより多い15人。
改札口前で記念撮影をして、10時過ぎ地上に出る。


 西側のかっぱ橋本通りに入り、すぐ近くのテプコ浅草館に入館した。
東京電力のPR施設だが、電気のPRだけでなく、地元浅草ゆかりの
展示がいろいろとあった。

 1階では、明治から大正時代の浅草の様子をイラストマップや写真
で紹介しており、ギャラリーでは、漫画家12人による「ヒトコマ漫画
の旅」と題する展示をしていた。


 2階は、「東京浅草下町ストーリー」と題し、懐かしい浅草の雰
囲気にひたれる体験空間となっていて、浅草12階で知られた凌
雲閣(りょううんかく)や、電気館、千住火力発電所の「お化け煙
突」などが写真や絵、模型などで紹介され、また浅草オモチャ店、
浅草文庫、理髪店あさくさなどといった模擬設備が設けられている。

 3階の貸ギャラリーでは、はがき絵愛好者数十名の作品を集めた
「第16回彩水回展」を開催中だった。 


 かっぱ橋本通りには、カッパが立って出迎えている店もある。


 日輪寺の角を北の通りに回り、天嶽院を訪ねる。そう広くはないが
浅草とは思えぬ木々の多い境内に、こんな立て札が立っていた。

 出てこられた奥様にうかがうと、昨年ご住職が亡くなられ、1年間
はこのような立て札を出すのだという。 

 本堂裏手の墓地には、都の史跡で米沢藩主・上杉治憲(鷹山)の
師だったという細井平洲の墓があった。


 浅草ビューホテルのところで国際通りを横断し、東側の花やしき
通りへ。ウオーカーとしてはちょっと入ってみたい看板の店がある。


 花やしきの門前を通って、浅草観音で知られ、都内最古の寺と
いう浅草寺(せんそうじ)に入った。


 広い境内は、初もうで客など、多くの参拝者で賑わっている。

 浅草寺は、坂東三十三観音霊場の第13番札所。持参した納経
帳にご朱印をいただいた。 

 境内東側の広場で、若い猿回しが猿に芸をさせていた。

 どのくらい仕込んだのか、モンキー君なかなかみごとな技を見
せてくれる。

 投げ銭もたくさん集まった。

 境内にある浅草神社の横から北に抜け、言問(こととい)通りを
東に向かい、隅田川の言問橋を渡る。

 橋の下流に立つ、左が墨田区役所、右がアサヒビールのビル。


 橋を渡ったところは、今年の干支ゆかりの牛島神社。境内には、
撫牛(なでうし)というのがある。 

 江戸時代からの風習で、自分の体の悪いところをなで、牛の同じ
場所をなでると、病気が治るとのこと。皆さん、そんなに悪いところ
があるの?…。


 そばの、隅田川左岸沿いに続く隅田公園に入り、昼食にした。


 午後は北に向かい、JR常磐線や東京メトロ日比谷線、つくば
エクスプレスの南千住駅がゴール予定とのことだったが、私は、
北浦和でのカントリーウオークグループの新年集会に参加する
ため、ここで皆さんと分かれる。

 ひとつ下流の吾妻橋を渡り、雷門前や合羽橋南通を経て、JR
上野駅まで歩き、JR京浜東北線で北浦和駅に向かった。

(天気 快晴後晴、距離 7㎞(上野駅まで)、地図(1/1万)
 上野、日本橋 歩行地 台東区、墨田区)


【参考】 浅草寺縁起(由来) <浅草寺Webから>

 時は飛鳥時代、推古天皇36年(628)3月18日の早朝、檜前
浜成・竹成(ひのくまのはまなり・たけなり)の兄弟は江戸浦(隅
田川)に漁撈中、はからずも一躰の観音さまのご尊像を感得した。

 郷司(ごうし)土師中知(はじのなかとも:名前には諸説あり)は
これを拝し、聖観世音菩薩さまであることを知り深く帰依し、その
後出家し、自宅を改めて寺となし、礼拝供養に生涯を捧げた。

 大化元年(645)、勝海上人(しょうかいしょうにん)がこの地に
おいでになり、観音堂を建立し、夢告によりご本尊をご秘仏と定め
られ、以来今日までこの伝法の掟は厳守されている。

 広漠とした武蔵野の一画、東京湾の入江の一漁村にすぎなかっ
た浅草は参拝の信徒が増すにつれ発展し、平安初期には、慈覚
大師円仁さま(794~864、浅草寺中興開山・比叡山天台座主
3世)が来山され、お前立のご本尊を謹刻された。

 鎌倉時代に将軍の篤い帰依を受けた浅草寺は、次第に外護者と
して歴史上有名な武将らの信仰をも集め、伽藍の荘厳はいよいよ
増した。

 江戸時代の初め、徳川家康公によって幕府の祈願所とされてか
らは、堂塔の威容さらに整い、いわゆる江戸文化の中心として、
大きく繁栄したのである。

 かくして都内最古の寺院である浅草寺は、浅草観音の名称で全
国的にあらゆる階層の人達に親しまれ、年間約3000万人もの
参詣者がおとずれる、民衆信仰の中心地となっている。

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今年初の「ぐるり一周葛飾探見歩行」へ(東京)

2009-01-12 21:47:27 | ウオーキング
 今日、1月12日(月)は成人の日。JR常磐線 綾瀬駅にも、近くの
成人式会場に向かう足立区の新成人の晴れ姿が、たくさん見られま
した。


 この若者たちを見ながら私は、やまさんの「第6回ぐるり一周葛飾
探見隊」に加わり、葛飾区西部を巡りました。

 今夜も、レポートは間に合いそうにないので、予告版として4枚の
写真のみの報告とし、詳細は別途投稿します。

 今日の参加メンバーは、カメラの私を含めて9人。昨年12月の前
回同様(別メンバー)、地元の小学生2人が、お母さんと一緒に参加
してくれました。


 今日の歩行予定エリアは、小菅1,2丁目、堀切3~8丁目です。
綾瀬川のほとりに出ると、西側に新しくて巨大な建物が望まれます。

 知る人ぞ知る、時々話題になる場所です。どこでしょう?

 その建物の周囲を回って葛飾区最西端の地へ。荒川に架かる鉄橋
は、京成電車や東武鉄道、JR常磐線など。 

 こんな風景を眺めながら、左岸のグランドのそばで昼食を…。

 午後は雲が増えて寒くなり、一時パラパラしましたが、小菅から
堀切を回り、14時20分に京成電車の堀切菖蒲園駅に着きました。
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奈良市内を半日めぐる(続き)

2009-01-11 21:53:10 | 奈良を歩く
 2008年11月4日(火)〈続き〉

 東大寺大仏殿を出て若草山山ろくに上がり二月堂へ。2月のお水
取りでおなじみのところ。




 そばに、三月堂とともに四月堂(下)もある。



 校倉の横から、手向山八幡宮の回廊に沿って南に回る。


 春日大社に向かう道すじには、趣ある水呑茶屋があった。


 西側から春日大社に入って参拝し、ご朱印をいただく。



 正面の門を出て西に向かう。


 びっしり並ぶ石灯ろうの間を下り、春日大社の表参道を進む。


 表参道の先に、国重文に指定されている奈良県物産陳列所が
保存されている。

 門内に入って参観することはできない。

 興福地のそばまで戻り、猿沢池の南側に回った。


 池では、たくさんの亀が気持ちよさそうに甲羅を干していた。


 往路と同じ三条通を進み、途中で昼食をして13時15分にJR
奈良駅に着いた。

 快速みやこ号で京都まで行き、14時56分発ひかり336号東京
行きに乗り、11日ぶりの帰途についた。
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関東百駅でつくばEXP浅草駅周辺へ

2009-01-10 22:35:23 | Weblog
 今日、1月10日(土)は、山浦正昭さんの関東百駅巡礼歩行の
第51回に午前中だけ参加し、つくばエクスプレス浅草駅周辺を
歩きました。

 詳細は別途アップしますが、速報版として3枚の写真のみを紹介
します。

 つくばエクスプレス浅草駅構内の大きなステンドグラス。


 今年の初歩きということで参加者は15人と、いつもより多めでした。

 改札口を出たこの背面も、浅草らしい写真と地図が施されています。

 昼食をした隅田公園の日本庭園。ユリカモメなどの海鳥が近くにたく
さん羽を休めていました。


 ここで私は皆さんと別れ、上野駅まで歩いてJR京浜東北線で北
浦和まで行き、14時からカントリーウオークグループの新春打合せ
と、新年会に掛け持ち参加しました。

 その様な次第で帰宅は20時を過ぎたため、途中の行程の模様は
別途報告とさせていただきます。
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奈良市内を半日めぐる

2009-01-09 21:56:06 | 奈良を歩く
 この1週間、2日に突発した家庭の事情と、明日のカントリー
ウオークグループの集まりに間に合わせるための会報づくりなど
に追われ、投稿が少な目になりました。

 ようやく両方ともケリが付いたので、高野山詣での翌日の奈良
市内を巡ったレポートを、写真中心で報告します。

===========================

 2008年11月4日(火)



 前日、高野山奥の院での四国遍路のお礼参りを済ませ、奈良
まで来て、近鉄新大宮駅近くのビジネスホテルに宿泊した。

 この日は午後、京都から帰途につく予定だが、午前中は、奈良
市内を半日歩き回ることにした。

 新大宮駅からJR奈良駅までは歩き、構内のコインロッカーに
荷物を預ける。
 
 JR奈良駅は高架工事中で、駅舎も工事していて仮改札口にな
っている。

 修学旅行でン十年前に降りたもとの駅舎は、北側に移動して保
存されていた。 


 東西に走る三条通りを東に向かう。


 まず興福寺境内に入ることにする。最初に目についたのが南西
の隅に立つ三重塔。


 階段を上がって南円堂に参拝する。興福寺南円堂は、西国三十三
霊場の第9番札所なので、持参した納経帳にご朱印をいただいた。


 東側に立つ五重塔。

 そばの東金堂の横から興福寺を出た。
 
 次は今日の主目的のひとつ、奈良国立博物館で開催中の第60回
正倉院展の観覧である。


 正倉院展は、10月25日(土)~11月10日(月)に開催された。
この日は3連休の翌日で、開館して30分もしないうちに入ったのだ
が、館内は大変な人出。入口近くの展示物は見られず、人の頭ば
かり見て先に進んだ。

 それでも後半になると幾分人並みが途切れ、古文書などはかなり
見られ、はるか天平の昔に思いをはせることができた。
 
 奈良国立博物館は初めての入館だったので、常設展会場にも回り、
国宝や重文の仏像群などを中心に拝観した。こちらは中庭の一角。


 国立博物館周辺は奈良公園になっていて、背後に見える若草山を
含め、広大な緑の一角が広がり、東大寺や春日大社も含まれる。

 公園内でたくさん見られる鹿は、飼育しているのではなく自然に
生息するのだという。


 公園の北側には、修学旅行でおなじみの東大寺がある。


 南大門を入って、大仏殿に向かう。


 世界一の木造建造物だったか、大仏殿はいつ見ても大きい。


 大仏殿内に入り、左側から大仏の背後に回って一周。これは大仏
の左に並ぶ仏像。


 大仏殿の入口右側には、おびんずる様が鎮座していた。

                              (続く)
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高野山奥の院へ(和歌山)(続き)

2009-01-06 22:35:38 | ウオーキング
 2008年11月3日(月・祝)続き

 一の橋を渡って参道に入る。雨がかなり落ちてきたが、太い杉木
立の下なので、傘は差さずに進んだ。

 こけむす石鳥居や、大きな五輪塔などが、数知れぬほど並ぶ、全
国各地の諸大名などの墓地が延々と続いている。

 気温は10℃以下で手が冷たい。

 中間の中の橋の先も、諸大名などの墓所が続いている。




 最後の御廟の橋を渡って奥の院に入り、弘法大師御廟にて四国
遍路結願御礼の参拝をする。

 奥の院は撮影禁止で、脱帽しなければならない。弘法大師廟の
そばにある灯籠堂は修理中だった。

 御廟の橋のそばには、水向地蔵が10数体並び、先祖供養を済ま
せた人が手向けた水で濡れていた。


 納経所で朱印をいただき、帰路は東側の道を進む。英霊殿近くの
紅葉がよい彩りを見せる。


 中の橋駐車場のところから国道に出た。しかし車がわずらわしい
ので、少し先から再び参道に入り、一の橋まで戻った。

 国道も往路を戻り、観光協会の案内所のある交差点際の食堂で
昼食をする。下山路は、初回と同様、女人堂から車の通らぬ不動
坂の遊歩道を下ることにした。


 女人堂に向かう途中、二、三の宿坊の紅葉が見ごろ。

 女人堂は、高野山が女人禁制の昔、七つの登山口にそれぞれ設
けられ、参拝の女人は、これより入山を許されず、このお堂にて真言
を唱えて夜を明かしたという。

 明治5年(1872)、女人禁制が解かれたが、このお堂だけが残っ
ているようだ。


 女人堂のすぐ先で、ケーブルカーの高野山駅に向かうバス専用道
と分かれ、その先は車の通らぬ遊歩道が下っている。

 前回は道路工事中のところを通してもらったのだが、すでに完成
していた。

 敷石の道を下ると、改築新しい滝不動がある。


 滝不動の先の舗装は、細かなウッドチップに変わる。しかし、チッ
プが夏の集中豪雨の際流失したのか、ところどころはがれていた。


 高野山上よりかなり高度は下がったが、こずえ越しに見える対岸
の山も、色づきはじめている。



 ムカゴを取りながら下る大阪の男性と、抜いたり抜かれたりして、
ケーブルの下をくぐり、最後は一緒に極楽寺駅に13時25分に下
った。


 13時47分発南海高野線の電車で橋本まで行き、駅構内のコイ
ンロッカーに預けた荷物を出す。JR和歌山線にて王寺乗り換えで、
奈良駅まで行く。この日は、近鉄新大宮駅近くのビジネスホテルに、
最後の宿をとった。

(天気 曇一時雨、距離 10㎞、地図(1/2.5万) 高野山、歩行地 
 和歌山県高野町、歩数 20,800)
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高野山奥の院へ(和歌山)

2009-01-05 22:08:10 | ウオーキング
 首都圏は、12月23日の天皇誕生日から晴天が続き、9日(金)
にならないと雨は降りそうにありません。

 昨年中にアップするつもりが間に合わず、年を越してしまいました
が、昨年11月3日の高野山詣での模様です。

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 2008年11月3日(月・祝)


 
 高野山の宿坊・西禅院にて6時起床。6時半から勤行(ごんぎよう)
(お勤め)に行く。3人の僧の声明(しようみよう)と参列者の焼香の
後、ご住職からの講話は、高野山と空海の話で、30分くらいも話さ
れた。

 朝食を7時40過ぎからいただき、小雨模様なのでザックカバーを
つけて8時半に宿坊を出る。

 宿坊・西禅院の庭園の一部。


 隣の宿坊・宝城院の色鮮やかなモミジ。


 トンネルをくぐり、大門通の国道沿いに続く高野町の町並みを東へ
向かう。昨日上がった慈尊院側への、最初の町石が立っていた。



 まず高野山の中心、壇上伽藍(だんじようがらん)に上がり、西塔、
金堂、根本大塔(上)、御影堂(下)、相染堂などを回る。

 壇上伽藍は、弘法大師が開いた真言密教の根本道場。太い杉木
立に囲まれた境内にはほかに、10を越える建物が並んでいる。

 東塔のそばのモミジも、よい彩りを見せていた。


 壇上伽藍の東は、高野山真言宗の総本山である金剛峯寺。どっし
りとした山門をくぐって境内に入り、本堂内を拝観する。


 りっぱなふすま絵のある部屋、境内に色づくモミジ、石と砂をあしら
った庭園、さらに建物の裏手にある炊事場なども回り、途中で、お茶
の接待もいただいた。




 最後に納経所でご朱印を受け、寺を出た。


 土産物店や宿坊の並ぶ通りを奥の院へ向かう。沿道には何か所
か、名産の柿やコウヤマキを売る露店が並んでいた。


 通りに面して立つ苅萱(かるかや)堂。苅萱道心と石童丸が父子を
名乗らぬまま仏道修行に明け暮れたという「石童丸物語」ゆかりの
地である。


 すぐ先が、初回の四国遍路のお礼参りの際に宿泊した宿坊、恵光
院。


 その先の宿坊も、紅葉の彩りがよい。


 奥の院への参道の入口、一の橋に着いた。

                           (続く)

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