今からちょうど8年前の2001年2月初め、連れ合いと2人で、
阪急交通社主催、『ふたりの江南6都市巡り』という、中国・上海
周辺の主要都市を回る5日間の安いツアーに参加しました。
このツアーでいう中国の江南6都市とは、上海、無錫、宜興、揚
州、鎮江、蘇州の各都市です。
カメラはまだデジカメの時代ではなかったので、1眼レフのフィルム
カメラ・キャノンEOS Kissで撮りました。そのプリントをスキャナーで
読み込み、多少色修整の上、写真を掲載します。当時の色が再現
されていない可能性もありますが、雰囲気を少しでも感じていただけ
れば幸いです。
============================
2001年2月2日(金) 晴
上海空港~無錫市内のホテルへ
成田発全日空747便に阪急交通社ツアー参加の25人が乗る。
定刻より遅れて12時過ぎ成田を出発。1時間ほどして外を見ると
五島列島だろうか、たくさんの小島の上を飛んでいた。
中国時間は日本より1時間遅れ。現地時刻14時42分上海空港
に着く。天井の高い広くて新しい空港。機内で現地気温は7度と告
げられており、外に出ると寒い。
出迎えてくれたガイドの呉(ご)(女性)さんの案内で30人乗りバス
に乗る。ガイドになりたてという呉さんの日本語はたどたどしいが、
一生懸命に話す。ドライバーは顧(こ)さんとのこと。
車内で円と人民元の両替え。1万円で700元。工業団地や公団
住宅のような6階建てアパート群の並ぶ上海市街を抜けると、広々
とした畑作地帯が広がる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/78/b7/ac5bb10848395832801a6b8bab445765.jpg)
一般の住宅は2階建てが多く、隣の棟との間隔は3~5mくらい
で意外に狭い。庭はほとんどなく庭木なども見えない。洗濯物を棒
にさして干す様子は香港と同様の風景だ(上、下の写真はバス車
中からの撮影)。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6b/f1/77fdfab71c3d89f0df8370a1c14f49de.jpg)
「江南」とは揚子江の南のこと。この辺りは物産が豊富なところ。
中国は少子政策で一人っ子のため、子どもを「小皇帝」と呼び大切
にしているという。
退職年齢は男性60歳、女性55歳が普通、退職後は女性は孫の
面倒を見て、男性は早起き早寝で体を鍛えるとのこと。
これから行く江州は生活レベルが高い方で、月収3千元~1万元
くらい。100㎡の家が30万元~100万元くらいのようだ。
高速道路で1時間余りのサービスエリアでトイレ休憩。写真は、
SA付近にあった建物。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3f/85/79d1ab618072fd39b6817421b1e405bc.jpg)
5日間の移動は、すべてこのバスで回った。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/54/59/d534b491111ad2ea54c387bf63a602a6.jpg)
その先から3階建ての家が増える。畑、ため池、家といった同じ
様な風景がどこまでも続く。すきで畑の野菜の手入れをする人が
あちこちに見えた。農村地帯には広告はほとんどない。
17時過ぎ東側から無錫(むしゃく)市街に入り、市街地を抜けて西
側にある夕食のレストランに向かう。帰宅するたくさんの自転車、
オートバイの群。車道へどんどん入り込み、交通規則無視の状態
にびっくり。
無錫市は、その名のとおり2500年前からの錫(すず)の産地。
錫は青銅器の原料。各地から人が来て争いが絶えなかったため、
錫は無いという宣伝のため無錫という地名に。肥沃で水が多く自然
災害も少ないため、昔から豊かだったという。
人口は400万人、うち市内人口100万人、周辺部が3百万人。
面積4千平方㎞、面積の2分の1は太湖の水面。亜熱帯気候で6月
から7月は雨が多い。夏は35度くらいになるという。
産業は紡績、農業(米、野菜、養殖魚)など。山梨から巨峰を輸入
して栽培している。卓球が強いことでも知られ、小山ちれ選手は無
錫の出身。友好都市は相模原市と明石市。タクシーは3㎞まで8元、
以後1㎞ごとに1元5角とのこと。
中国の五大商業・経済都市は、上海、天津、江州、蘇州、無錫。
中国では万里の長城、千里の運河と呼ばれるが、延長1千㎞の運
河が無錫に流れているという。
無錫市の西にあるレストランで無錫料理の夕食。明日案内してく
れる地元ガイド張(ちょう)(男性)さんを紹介。雑然とした町中の2階
で食べる。テーブルは3卓。暖房が利かず寒い。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/13/4e/883e50b274decd318b8fc18190f207ed.jpg)
奥の3~4卓で地元の若者のグループが正月の会食(中国は正月
の最中)。その人たちは、宴会の最後の方は全員立ち上がって賑や
かに話し込む。それが慣例のよう。
18時40分、宿泊の錫州賓館着。新しい建物、部屋も広くて設備
も良い。洗面台は大理石だった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0e/e6/1a8874f4d49259cf9b1367dbcf5ad4b3.jpg)
金庫、冷蔵庫、スリッパあり。ミネラルウオーターが1人1本ずつ
無料。TVは全部で19CH。NHKBS1と2,CNN、CCTVもあり、
PAL(13CH)、SECAN(1CH)、それにNTSC(5CH)と、異なる
3方式とも見られる受像機だった(下はTVのチャンネル表)。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/50/be/4317b54472898fb10b3012bedd21ee06.jpg)
〈第1日了〉
阪急交通社主催、『ふたりの江南6都市巡り』という、中国・上海
周辺の主要都市を回る5日間の安いツアーに参加しました。
このツアーでいう中国の江南6都市とは、上海、無錫、宜興、揚
州、鎮江、蘇州の各都市です。
カメラはまだデジカメの時代ではなかったので、1眼レフのフィルム
カメラ・キャノンEOS Kissで撮りました。そのプリントをスキャナーで
読み込み、多少色修整の上、写真を掲載します。当時の色が再現
されていない可能性もありますが、雰囲気を少しでも感じていただけ
れば幸いです。
============================
2001年2月2日(金) 晴
上海空港~無錫市内のホテルへ
成田発全日空747便に阪急交通社ツアー参加の25人が乗る。
定刻より遅れて12時過ぎ成田を出発。1時間ほどして外を見ると
五島列島だろうか、たくさんの小島の上を飛んでいた。
中国時間は日本より1時間遅れ。現地時刻14時42分上海空港
に着く。天井の高い広くて新しい空港。機内で現地気温は7度と告
げられており、外に出ると寒い。
出迎えてくれたガイドの呉(ご)(女性)さんの案内で30人乗りバス
に乗る。ガイドになりたてという呉さんの日本語はたどたどしいが、
一生懸命に話す。ドライバーは顧(こ)さんとのこと。
車内で円と人民元の両替え。1万円で700元。工業団地や公団
住宅のような6階建てアパート群の並ぶ上海市街を抜けると、広々
とした畑作地帯が広がる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/78/b7/ac5bb10848395832801a6b8bab445765.jpg)
一般の住宅は2階建てが多く、隣の棟との間隔は3~5mくらい
で意外に狭い。庭はほとんどなく庭木なども見えない。洗濯物を棒
にさして干す様子は香港と同様の風景だ(上、下の写真はバス車
中からの撮影)。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6b/f1/77fdfab71c3d89f0df8370a1c14f49de.jpg)
「江南」とは揚子江の南のこと。この辺りは物産が豊富なところ。
中国は少子政策で一人っ子のため、子どもを「小皇帝」と呼び大切
にしているという。
退職年齢は男性60歳、女性55歳が普通、退職後は女性は孫の
面倒を見て、男性は早起き早寝で体を鍛えるとのこと。
これから行く江州は生活レベルが高い方で、月収3千元~1万元
くらい。100㎡の家が30万元~100万元くらいのようだ。
高速道路で1時間余りのサービスエリアでトイレ休憩。写真は、
SA付近にあった建物。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3f/85/79d1ab618072fd39b6817421b1e405bc.jpg)
5日間の移動は、すべてこのバスで回った。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/54/59/d534b491111ad2ea54c387bf63a602a6.jpg)
その先から3階建ての家が増える。畑、ため池、家といった同じ
様な風景がどこまでも続く。すきで畑の野菜の手入れをする人が
あちこちに見えた。農村地帯には広告はほとんどない。
17時過ぎ東側から無錫(むしゃく)市街に入り、市街地を抜けて西
側にある夕食のレストランに向かう。帰宅するたくさんの自転車、
オートバイの群。車道へどんどん入り込み、交通規則無視の状態
にびっくり。
無錫市は、その名のとおり2500年前からの錫(すず)の産地。
錫は青銅器の原料。各地から人が来て争いが絶えなかったため、
錫は無いという宣伝のため無錫という地名に。肥沃で水が多く自然
災害も少ないため、昔から豊かだったという。
人口は400万人、うち市内人口100万人、周辺部が3百万人。
面積4千平方㎞、面積の2分の1は太湖の水面。亜熱帯気候で6月
から7月は雨が多い。夏は35度くらいになるという。
産業は紡績、農業(米、野菜、養殖魚)など。山梨から巨峰を輸入
して栽培している。卓球が強いことでも知られ、小山ちれ選手は無
錫の出身。友好都市は相模原市と明石市。タクシーは3㎞まで8元、
以後1㎞ごとに1元5角とのこと。
中国の五大商業・経済都市は、上海、天津、江州、蘇州、無錫。
中国では万里の長城、千里の運河と呼ばれるが、延長1千㎞の運
河が無錫に流れているという。
無錫市の西にあるレストランで無錫料理の夕食。明日案内してく
れる地元ガイド張(ちょう)(男性)さんを紹介。雑然とした町中の2階
で食べる。テーブルは3卓。暖房が利かず寒い。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/13/4e/883e50b274decd318b8fc18190f207ed.jpg)
奥の3~4卓で地元の若者のグループが正月の会食(中国は正月
の最中)。その人たちは、宴会の最後の方は全員立ち上がって賑や
かに話し込む。それが慣例のよう。
18時40分、宿泊の錫州賓館着。新しい建物、部屋も広くて設備
も良い。洗面台は大理石だった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0e/e6/1a8874f4d49259cf9b1367dbcf5ad4b3.jpg)
金庫、冷蔵庫、スリッパあり。ミネラルウオーターが1人1本ずつ
無料。TVは全部で19CH。NHKBS1と2,CNN、CCTVもあり、
PAL(13CH)、SECAN(1CH)、それにNTSC(5CH)と、異なる
3方式とも見られる受像機だった(下はTVのチャンネル表)。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/50/be/4317b54472898fb10b3012bedd21ee06.jpg)
〈第1日了〉