あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

北本の花巡り(その1)(埼玉)

2012-04-12 22:42:11 | カントリーウオーク
 2012年4月10日(火)

 日本五大桜のひとつである石戸蒲(いしどかば)ザクラや、高尾さくら公園の桜を
見ようと、JR高崎線の北本(きたもと)駅に下りた。

 西口から出る川越観光バスに乗り、駅の南東になる石戸宿1丁目にある北里研究所
メディカルセンター病院バス停で下車する。

 病院の周辺はソメイヨシノの並木になっていて、ちょうど見ごろになっていた。


 芝生広場の一角には、色濃い桜が咲いている。




 広大な構内の北里研究所の南側の道路を回り、石戸蒲ザクラのある東光寺に行く。
お堂の周りはソメイヨシノが満開である。


 お目当ての石戸蒲ザクラは、このお堂のすぐ東側(右手)にあり、やはり見ごろにな
っていた。


 石戸蒲ザクラは、大正11年(1922)に国の天然記念物の指定を受けた。当時は
かなりの巨木で、日本五大桜の一つに数えられた。戦後、次第に衰えを見せ、現在は1
本の幹とひこばえが残るだけになったが、それでもかなりの枝振りを見せている。


 なお、この木の和名「カバザクラ」は、世界でただ1本の品種で、ヤマザクラとエド
ヒガンザクラの自然雑種と考えられるようだ。

 蒲ザクラには、源頼朝の弟で義経の兄にあたる源範頼の伝説が残されていて、建久4
年(1194)に伊豆の修善寺で幽閉されて果てたというのが通説だが、ここ石戸宿で
は、範頼は殺されずにこの地に逃れ、隠れ住んだとの伝説があり、逃れる際についてき
た杖が根付いて蒲ザクラになったのだという。

 東光寺から南に進み、北本自然公園に南側の入口から入った。近くのカンヒザクラが
鮮やかな彩りを見せる。


 やはり日本五大桜の一つ、福島県三春の滝桜の子孫の滝桜も見ごろになっている。




 すぐ先の噴水の周囲は、ソメイヨシノが満開である。






 公園内を貫く遊歩道に入って北に向かう。アシなどの茂る湿地の東面、「北里の森」
と呼ぶ斜面にも、ソメイヨシノなどの花が見られる。


 樹林の下草に、子どもの頃「ジジババ」と呼んでいた草花が咲いている。最近は見た
ことが無く、絶滅危惧種になっているのではないだろうか…。本当の名はシュンラン。


 湿地の西側には、ヤナギが淡い若葉を見せ始めている。


 遊歩道を北里研究所の北側あたりまで回ると、高尾の池とよぶ池があり、向こうには
自然学習センターの建物が見える。


 芦辺にはカモや餌をあさるシラサギが見える。


 北面の黄色はナノハナのよう。


 少し先では、カモが仲良く並んで休んでいた。


 自然学習センターの近くまで行くと、関東では珍しいシロバナタンポポが咲いていた。


 自然学習センターの館内に入る。中ほどに、「北本自然公園内で会える(かもしれな
い)生きものたち」のはく製があった。




 そばには、ニホンアカガエルのオタマジャクシがたくさん泳いでいる。


 入口を入って左手、係員の居るそばには、大変珍しいピンクのシマヘビが飼育されて
いる。

 公園内で捕獲してから1年4か月になり、13~14回脱皮したとか。突然変異でこ
のような色になったようだ。

 自然学習センターを出て、さらに木道の遊歩道を北に進む。


 200mほどのところに、市天然記念物に指定されているエドヒガンザクラの大木が
ある。

 高さ20m、根回り3m、樹齢200年以上だという。

 東側斜面にもソメイヨシノが咲き競い、その下にレンギョウもたくさん咲いていた。


 遊歩道を東北端に抜けて北本自然公園を後にする。近くの、北本市西部公民館と隣接
する小公園のソメイヨシノも、こぼれるように咲いている。


 13時を過ぎたので、近くの荒井4丁目の小さな三差路際にあった「三味茶屋」に入
り、昼食とする。

 ミニチラシとそばでお値段は1,050円、美味しかった。
 
 北側の集落の一角にあった民家のボケも花盛りになっている。
 7

 この後、高尾さくら公園に向かうのだが、今日はここまで。(続く)



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小室駅から手賀の丘公園へカントリーウオーク(千葉)

2012-04-11 21:30:56 | カントリーウオーク
 2012年4月8日(日)

 カントリーウオークグループの第192回例会は快晴に恵まれた。集合は北総鉄道の
小室(こむろ)駅。集まったメンバーは4組に分かれ、10時8分に駅北口をスタート
した。
 
 畑が広がっていた駅北側の一帯は区画整理工事が進捗中で、数年後にはすっかり様相
が変わりそう。その間を北西に進むと、区画整理地の向こうに残る畑のナノハナが花盛
り。


 造成中の一角には、古代遺跡の発掘調査をしたと思われるところもあった。

 小室町の古くからの集落を抜けて田園地帯に出た。田んぼの真ん中を貫く神崎川の堤
防に上がる。

 川は船橋市と白井市との市境。豊富な流れや、流域に並ぶ芽吹き間近な広葉樹などを
見ながら上流に進んで小室橋を渡った。


 県道189号に出て神々廻(ししば)集落へ。道路際にツクシが伸びている。酒店の
ある三差路を、北に緩やかに上がる。古い土蔵のある民家のユキヤナギがこぼれるよう
に咲いていた。


 ヒノキの社林に囲まれた駒形神社にお参りして北側の台地に出ると、生け垣をきちん
と縦横に直線上に仕立てた民家があった。



 集落が途絶えて畑作地帯へ。ケヤキだろうか、根元に小さいほこらの祭られた大木の
下を進み、次の四差路際の駒形神社に入る。


 トタン張りの社殿の背後にある本殿は小さめだが、龍などのなかなか見事な木彫が施
されている。明和5年(1768)に再建されたものを、昨年修理したようだ。


 境内にはツバキの古木が多く、たくさん花を見せていた。

 神々廻木戸集落の中心の五差路に、馬頭観音塔が3基並び、その一つには「右うらべ
みち 左ひらつかみち」と刻まれていた。標高20.3mの水準点は、その前のふた付
きの四角いコンクリート孔の中にあった。


 五差路から西北に延びる道に入り、ナシ畑の尽きたところの三差路を右に進む。林の
一角が広く切り開かれたところに開発行為の届出標識があり、ダチョウの繁殖施設がで
きることが記されていた。

 林が尽きて二、三の散在する住宅が現れたあたりで、折り返すように西南に向かう。
そばの広い住宅の庭の隅の、シダレザクラがかなり見頃になっていた。



 ナシ畑の横などを進み、昼食地の白井運動公園に11時45分に着く。陸上競技場↑
の西側付近、河津桜らしい色濃い桜が見頃で、ソメイヨシノもかなり開花が進んでいる。






 各グループあい次いで着き、競技場の東側の、三、四分咲きくらいのソメイヨシノの
下の芝生にシートを広げて昼食に。用意してきたアルコール飲料をのどに入れる人も。
雲ひとつ無い快晴、春うららかでまさに花見日和である。


 ミーティング後、ソメイヨシノをバックに記念撮影をして、12時48分に出発する。



 ソメイヨシノの並木に沿って進み、りっぱな石垣に囲まれた池の北側を回る。

 池の西側から広葉樹林の中を少しやぶこぎして、北側の河原子集落に入った。


 豊富な屋敷林を背にした、昔ながらの景観の残る集落を東に抜ける。大きな山桜が2、
3本花開く斜面を上がって北に向かうと、山林の隅に庚申塔を10基ほど集めた一角が
あった。


 1本のヒノキの下に古い石碑の立つY字路を左に進み、榎台集落へ。


 小さい分岐に新しい弘法大師像が立ち、付近の何か所かにも、この周辺を巡るミニ四
国霊場の札所らしい小さなほこらがある。


 もうそう竹などに囲まれた堀割の間の小道を下って、送電線の下の小さい流れを横切
る。休耕田の横を通過して小森集落の北側に回った。


 北側に開けた田園地帯のあぜ道を進み、下手賀沼に流れ込む金山落の今井三号橋のと
ころに出た。ここから上流に向かって約2㎞の両岸に、「今井の桜」と呼ぶソメイヨシ
ノの並木が続いている。


 都心はすでに満開とのことで、ここも見ごろになっていることを期待してきたが、ま
だ三分咲きくらいで少し早め。それでも乗用車で来た花見の人が、かなり見られる。


 橋から二手に分かれて両岸を進む。南側の堤防沿いは風が少し冷たく感じられ、これ
が開花が遅れている原因らしい。


 途中まで進むと、流れに2羽のコブハクチョウが泳いでいて、我々の歩くペースとほ
ぼ同様に進んでくる。桜並木の半分を過ぎた今井二号橋近くまで一緒だった。


 この先は古木で、開花も幾分進んでいる。


 桜並木の西端の近くで流れを離れ、農道を北に回って手賀の丘公園交差点に上がる。
そばのコンビニでアルコール飲料やつまみものなどを仕入れ、手賀の丘公園に入った。


 入口の右手にソメイヨシノやカンヒザクラが何本か咲いていたので、その下にシート
を敷いて、ささやかな花見の宴とする。


 バス時刻の関係で宴は1時間足らずの16時頃に切り上げ、手賀の丘公園交差点まで
戻る。近くの農協前バス停から16時30分発のバスに乗り、JR常磐線柏駅に向かう。

(天気 快晴、参加 21人、距離 12㎞、地図(1/2.5万) 白井、取手、
 歩行地 船橋市、白井市、柏市、歩数 22,100)



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所沢の花の寺・金仙寺と周辺の花②(埼玉)

2012-04-09 16:28:25 | 所沢だより
2012年4月9日(月)

 昨日に続いて今日も快晴になったので、曇天の一昨日訪ねて少し早めだった、所沢市
西郊、大字堀之内の金仙寺(こんせんじ)の、シダレザクラをもう1度見て来ようと、
今日は自転車で出かけました。

 一昨日同様、早稲田大学所沢キャンパス入り口に近い常楽院にも立ち寄ったところ、
シダレザクラはほぼ満開になっていました。






 早稲田大学の北側を回って金仙寺に着き、斜面を上がって西側の畑の隅に自転車を止め、
かやぶき屋根の東屋やお地蔵さんの立つ西側から、境内に向かいます。




 シダレザクラより手前のソメイヨシノも、かなり開花が進んでいます。


 樹齢約140年、高さ約16m、幅約14mというシダレザクラは、ほぼ満開になって
いました。








 境内の東側にあるユキヤナギもまさに見ごろ。


 庫裡の背後の方にあるハクモクレンも満開のよう。


 ソメイヨシノの近くの河津桜でしょうか、かなり花が増えていました。


 本堂の左手前には色濃いミツマタがありますが、左手背後の斜面の白いミツマタも満開。


 西側墓地の本堂寄りには、色の違うハナモモが植えてあり、あと数日で見ごろになりそ
うに色づいていました。


 境内を出て西側の高台に広がる畑の方に向かうと、畑の隅などにいろいろな花が咲き競
っているのが見られます。


 ハナモモの古木。


 レンギョウや小さい花びらの桜など。


 ボケがたくさん植えられています。


 色濃く、花の小さい桜。


 高みから見下ろす金仙寺。


 これもハナモモの古木のよう。
 

 何周類の花が咲いているのでしょうか。


 ボケの畑の周辺。




 ネギ畑の向こうの赤いのもハナモモか?


 花の上に見えるのは、早稲田大学所沢キャンパスの建物。


 金仙寺の方に戻る途中の畑にはナノハナが。


 一昨日とうって変わって暖かで気持ちよい青空の下で、花見を楽しみました。
 


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所沢の花の寺・金仙寺と周辺の花①(埼玉)

2012-04-07 19:15:05 | 所沢だより
 2012年4月7日(土)

 東京都内はソメイヨシノが満開とのニュースが報道されていますが、所沢市内の花は
どうかと思い、市内西郊にある花の寺、金仙寺(こんせんじ)にウオーキングを兼ねて
行ってみました。

 場所は、東京都民の水源の一つである狭山湖の北側にある、早稲田大学所沢キャンパ
スの西北端に接したあたり。わが家からは歩くと1時間15分ほどかかりました。

 途中、早稲田大学入り口バス停に近い常楽院にもシダレザクラがあるので、寄ってみ
ました。7分咲きくらいでしょうか。あいにく昼頃には曇ってしまい、彩りはいまひと
つです。


 早稲田大学の北側を回る道路を西に進みます。途中の畑の向こうの梅は、まだかなり
花が残っていました。


 すっかり曇ってしまい、少し寒さを感じるようになって、目的地の金仙寺に到着です。


 石段を上がった正面に本堂があり、樹齢140年というシダレザクラは、本堂の右手
に立っています。


 花はやはり7分咲きくらい。曇天でここも彩りはいまひとつ。




 でも、金仙寺は「花の寺」と呼ぶだけあり、桜の下など境内は、いろいろな春の花が
咲き競っています。まずは桜の下あたりから見てみましょう。

 クリスマスローズは何色かの花がありました。


 近くにはパンジーが。


 これは何の花でしょうか…


 この花は、わが家の庭にも咲いています。


 石段の近くには、ハクモクレンが見られます。


 スミレ


 別のクリスマスローズ


 カタクリも2,3輪だけありました。


 石灯籠のそばのシダレウメはまだ咲き始め。


 本堂の前にはミツマタが。向こうは観音堂です。




 本堂西側の墓地際には色濃い桜が咲き出して。


 墓地の近くに回るとスイセンも。


 ハナニラ


 西側少し高みの斜面に、「きずな」の花文字。


 その背後はミツバツツジでしょうか。


 ナノハナと近くの畑のハナモモか。


 観音堂の上あたりのソメイヨシノは、まだ咲き出したばかり。


 西側から見る本堂周辺。


 ソメイヨシノのそばのヒカンザクラもこれからのよう。


 観音堂のそばには、地味なシキミの花も見られます。


 石段のそばのシャクナゲもこれから。


 近くの違う畑にもハナモモでしょうか。


 石段近くには、珍しい花のスイセンが見られました。


 30分ほど見ている内に、雲が厚くなり手が冷たくなってきたので、できたら天気の
良い日に再訪しようかなと思いながら、帰途につきました。


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所沢の秩父往還・江戸道を歩く(埼玉)

2012-04-06 18:28:44 | ウオーキング
 2012年4月5日(木)

 山里探訪会主催の「第5回とことこ漫歩」と呼ぶ歩きに参加した。集合は、目の前に
西武鉄道本社のある西武池袋線・新宿線の所沢駅東口に10時。参加者は事務局を入れ
て17人。代表の飯野さんの挨拶があり、10時5分に出発した。


 駅前通を所沢駅東口交差点まで進んで南下し、北秋津交差点から「新道の坂」を緩や
かに下る。少し先で右折して東京・田無市方面からの江戸道に入り、近くの日月神社へ。

 境内のソメイヨシノが、3部咲きくらいになっていた。

 石段を上がった右手に「蜻蛉の寄生木(とんぼのやどりぎ)」と呼ぶ、ご神木のケヤ
キにエノキの寄生木があるが、双方とも枯れている。

 昔、秋津の殿様がトンボを自分の歳だけ捕らえろと命じたが1匹足りないのに怒り、
ご神木に別の木を生やして見せろと叫びトンボを投げつけたところ、エノキが生えて殿
様は唖(おし)になり、無理難題を言えなくなったという。

 ご神木の横には、春秋のお祭りなどで村の若者が石担ぎをして力を競ったという35
貫目(約131㎏)の力石(ちからいし)が飾られている。

 その先でT字路に合した南側、新井家の屋敷内に、富士塚が残っていた。新井家は、
江戸後期から盛んになった富士講の北秋津の先達で、塚の傍らに「富嶽六十四度 大願
成就」と刻まれた明治18年(1885)の記念碑が立っている。


 すぐ西のT字路、「タッチュウ坂」への上がり口の両側に、地蔵尊と庚申塔が祭られて
いた。庚申塔は宝暦5年(1755)のもので、「右ちちぶ道、左やま口道」と刻まれ、
道しるべになっていたようだ。


 庚申塔の角から、タッチュウ坂を所沢の市街地に向かう。坂で荷車を押して駄賃をも
らう立人(タッチュウド)がいたのが坂の名の起こりとか…。近くには、お茶やだんご
を出す立場(たてば)があったという。

 現在の坂は、さほど急坂とは感じられず傾斜が緩やかになっていた。坂の西側の民家
のツバキが咲き残り、近くのハナモモも見ごろに。


 坂を上がりきった北秋津交差点際に、正徳5年(1715)の庚申塔(右)と安永7
年(1776)の馬頭尊(中)など、3体の石仏が並んでいる。

 所沢からは江戸時代に将棋の名人が輩出しているが、この馬頭尊は将棋の駒の形をし
ており、何か縁があるのかもしれない。

 6差路になっている北秋津交差点の北西側には、新しい社殿の八雲神社が祭られてい
て、7月の天王様の祭りでは神輿の火渡りが有名とか。


 境内に移設されている弁財天は、安永7年(1778)年の建立で、高さ約1m、頭
上に鳥居が刻まれている珍しいもの。傍らに新しいとぐろをまいた蛇が奉納されていた。

 弁天様は、大正13年(1924)まで近くの塚に祭られていたが、道路拡張で塚を
壊す際に仮安置したところ、夕暮れ時に白装束の女が現れるようになり、蛇石を戻すと
現れなくなったという話が残されているという。

 神社の横から北西に向かう江戸道(秩父道)を進み、西武鉄道所沢駅南側の大踏切を
渡る。


 当時の江戸道は現在の所沢駅のあたりを通過し、現在の所沢一の繁華街であるプロペ
通りを抜けて秩父に向かっていたようだ。


 プロペ通りを通過してダイエー前でファルマン通りに合するところ、植え込みのある
小スペースに、大正9年(1920)に設置したという「所沢町道路元標」があった。

 いつもここを通っているのに、植え込みに隠されて道路元標があるとは全く気づかな
かった。

 ちなみに、道路元標は大正8年の旧道路法では、各市町村に1個ずつ設置することと
され、ほとんどは市町村役場の前か市町村を通る主要な道路同士の交叉点に設置されて
おり、道路の起終点を市町村名で指定した場合は、道路元標のある場所を起終点として
いたとのこと。

 現行の道路法では道路元標は道路の附属物とされ、道路の起終点は道路元標と無関係
に定められていて、道路元標の設置義務もないようだが、近世の歴史遺産ともいうべき
ものなので、市民にも分かるよう、元標のそばの植栽は伐採して見えるようにして、説
明板でも設けて欲しいものだ。

 すぐ先の変則4差路、ファルマン通交差点を右折し、志木方面への旧道である引又道
(ひきまたみち)の先の分岐を左に入り、御幸町にある川端霊園に入る。

 小さいお堂の左手裏の墓地に、将棋の名人、福泉藤吉の墓があった。

 福泉藤吉は、明和3年(1766)現在の市内日吉町の生まれ。家業の紺屋の仕事を
しながら民間棋士として活躍し、天保6年(1835年)7月に発刊された将棋番付
「将棋相撲」で西の大関に格付けされたという。

 おなじ墓地には、天保元年(1830)生まれで、所沢を中心に東京北多摩、西多摩
地方まで伝承されている、祭り囃子(ばやし)「重松(じゆうま)流」の始祖、「古谷
重松」の墓もある。


 霊園と道を挟んだ南側の庚申堂のある境内には、古い青面金剛像や馬頭観音像などが
並んでいた。


 北に下って東川(あずまがわ)の旭橋際に出た。旭橋は、明治44年(191)に所
沢飛行場の開設に伴い造られた飛行機新道に設けられた橋を、昭和5年(1930)に
架け替えたもの。

 鉄筋コンクリート造りの橋に西洋建築の様式的モチーフが取り入れられていて、平成
21年(2009)8月に、所沢市で4番目の国登録有形文化財に指定された。

 東川の北側を平行する旧道を西に向かい、有楽町にある薬王寺へ。境内のソメイヨシ
ノがかなり花開いている。


 どっしりと構える本堂の前に、市の保存樹木になっている2本の太いイチョウがある
が、枝はほとんど伐採されていた。


 寺は新田義貞の三男、新田義宗終焉(しゆうえん)の地。義宗は、足利氏に破れて再
起不能を悟り、髪を落として密かに隠れ住み、晩年は一族郎党の菩提を弔いつつこの地
で亡くなったという。


 ハナモモの見ごろな境内を西に抜ける。りっぱな門構えの深井家の南を進むと、「た
まり漬け」で知られる深井醤油が隣接している。


 売店に立ち寄り、何人かが美味しいというたまり漬けやかりんとうなどの製品を購入
した。


 旧市役所庁舎の横の通りに出て、12時25分に東川の琴平橋際の公園に入って昼食
にする。公園内のソメイヨシノはまだ咲き始め。トサミズキやレンギョウはかなり花開
いていた。


 昼食を終えて13時に出発、まずは旧市役所庁舎の背後を回って所沢市の鎮守である
神明社に行く。境内東側斜面中段にある人形殿では、6月に人形供養が行われるとか。

 西側からの古くからの参道を上がった南側には、所沢出身の歌人、三ヶ島葭子(みか
じまよしこ)の歌碑があり、「しみじみと障子うすぐらきまどのそと 音たてて雨のふ
りいでにけり」と刻まれている。


 同じ参道を上がった北側には、明治17年(1884)に所沢地区の富士講講社によ
り建立した記念碑がある。


 ちなみに、市内では江戸時代、所沢、北秋津、安松、荒幡、南永井などで講社が結成
されたという。

 神明社は所沢市の産土(うぶすな)の神で所沢総鎮守。主祭神は天照大神で、境内に
は摂社も多数あり樹木も多く、御神木のカシは数々の伝説を秘めているという。私も毎
年正月に初詣でに訪れているところだ。


 南側の石段横には市内一という大ケヤキがあるが、西側の参道に下ると、2つに枝を
分けた大ケヤキが目につく。

 県道6号に出て、東川の北側、旧鎌倉街道沿いにある新光寺へ。本尊の聖観音菩薩は
行基の作と伝えられ、寺は源義朝が那須野に行く途中、昼食をしたとか。

 新田義貞が鎌倉攻めの際には戦勝祈願をしたとのこと。4月18日の観音祭りは「馬
のまつり」と呼ばれ、馬を曳いて本堂の周りを回って安全祈願したという。



 中国風山門のそばのシダレザクラがかなり見頃になっていた。最奥の観音堂のそばに
U家の新しい墓域があるが、中心の五輪塔を初めりっぱな石造りの灯ろうなどに目を見
張らされる。

 銀座通りを越えて旧鎌倉街道を南へ、参道で「三八の市」が開かれた実蔵院に入る。


 ガラス越しに見える東側の庭園は、趣ある造りのよう。南側台地にある墓地に上がり、
三ヶ島葭子の墓を探しところ、嫁ぎ先の倉方家の墓地はあったが、葭子の墓は見つけら
れなかった。

 銀座通りの南側を平行する細道を西に少しのところ、斉藤家の住宅の一角に、この地
金山町の名の起こりである金山神社が祭られている。

 天文15年(1546)の河越野戦の折り上杉勢として戦い、敗れて野老沢(ところ
さわ)に移り住んだ斎藤四郎左ェ門利長、斎藤主計祐信弘(かずのすけのぶひろ)が、
奈良県多武峯(とうのみね)の談山神社から金山権現を勧請して、一族の繁栄と地区の
平安を祈願したとのこと。

 当時は金山権現と称えたが、明治の神仏分離令により金山神社と改められたという。
斉藤家は、江戸時代に穀類や炭問屋として栄えたようだ。

 ここで今日の行程を終わり、事務局のSさんから次の催しの案内があり、14時5分
頃散会となる。私は近くのスーパーで買い物をして、14時35分に帰宅した。

(天気 晴、距離 5㎞、地図 所沢、歩行地 所沢市、歩数 10,900)
 



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送電線、国土地理院の電子国土基本図に復活へ

2012-04-01 14:58:20 | 地図
 3月28日(水)の朝日新聞東京本社版夕刊に、「送電線、地図に復活へ」というタイ
トルで、インターネットで公開している2万5千分の1の電子国土基本図図上で削除した
送電線線や記念碑などの表記を復活させるとの記事が掲載されました。



 送電線の位置情報については、電力会社に「テロの恐れ」などを理由に断られ、掲載し
なくなっていたのですが、「登山の際の目印として活用されている」との声が寄せられ、
改めて国土地理院が電力会社に提供を求め、再び拒否された場合は、紙の地図にあったデ
ータを使い、電子国土基本図でも見られるようにするとのことです。

 私たちもカントリーウオークでは、紙の地図(2万5千分の1地形図)を使用して、ウ
オーキングコースとして特に決められていないところを、自分たちで選んで歩いているの
で、送電線や記念碑、墓地などは、現在地を確認するとてもよい目印であり、そういうも
のが地図上から消えてしまうことに憂慮していたので、この復活は大歓迎です。

 ちなみに、数年前に歩くために購入した、ウオーキング大国であるイギリスやドイツの
地図を見ても、送電線は記入されていて、ウオーカーにとっても大切な目標として使われ
ているようです。

 イギリスHARVEY社のLONG DISTANCE ROUTE「COTSWOLD WAY」(2万5千分の1)
から(矢印のところが送電線)


 ドイツの5万分の1レジャー用地図「Ruhrgebiet(Ost)」から(矢印のところが送電線)


 それにしても、最近は国土地理院発行の2万5千分の1地形図の発行が少なく、私たち
がよく歩く首都圏周辺のように、新しい道路が増えたり住宅地の開発などで、駅周辺の様
子がかなり変わっているのに、変更されないままの地形図で判断しなくてはならない場所
がかなりあり、毎年改版をしている道路地図の方が最新の情報が盛り込まれていて、見比
べないと分からない情報が多くなりました。

 国土地理院では経費や人員の削減で、紙の地形図から電子国土基本図に主体に移してい
るようですが、電子基本図をダウンロードしても縮尺が正確に表現できないように思われ、
なかなか利用する気になれません。

 変化の多い首都圏などの、紙の地形図の更改を期待するのは難しいのでしょうか…。



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