あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

宮古諸島・八重山諸島10島めぐり② 来間島、伊良部島、下地島と宮古島(沖縄)

2018-03-09 21:58:47 | 国内旅行
 2018年2月20日(火) 
 == 宮古島から来間島、伊良部島、下地島をめぐり宮古空港から石垣空港へ ==

 宮古島西南部の宮古島東急ホテル&リゾーツで5時半に起床した。今日も晴天である。
6時半からホテルのレストランで朝食をして、昨日と同じ中央バスに乗り8時にホテルを
出発した。


 今日は、午前中に宮古島の西側に近接する3つの島、来間島(くりまじま)、伊良部島
(いらぶじま)、下地島(しもじじま)を回り、午後は石垣島内の観光である。

 最初の来間島は宮古島の南西部にあり、東急ホテルの南側すく近くから来間大橋で結ば
れている。橋は昨日の池間島より少し長い1,690mの農道橋で、完成は1995年3
月、農道橋としては日本最長という。

 来間島は面積約2.8㎢、周囲約9㎞、人口は200人前後で、大半は移住者とか、産
業はサトウキビ栽培と肉牛飼育などで、ひとつの集落があるほかはほぼサトウキビ畑だと
いう。

 昨日の池間大橋と同様に中央部が高い橋で島に入り、橋の近くにある来間東農村公園の
駐車場に8時17分に着いた。

 園内の遠見台と呼ぶ展望台に上がり、渡ってきた来間大橋や眼下の漁港、対岸の宮古島
のビルなどを一望する。






 公園に飾られていたシーサー



 8時30分にバスに乗り、来間大橋から宮古島に戻ってサトウキビの茂る西岸を北進し
て、島の中西部から西側に近接する伊良部島へ伊良部大橋で渡る。

 伊良部大橋の全長は3,540m、無料で通行できる橋としては日本一の長さとのこと。
構想から40年余り、建設に9年を費やして2015年1月に開通したという。

 伊良部大橋は、緩やかなカーブの2つの上り下りを繰り返して島に入った。橋の最高部
は海面上33mあるという。


 伊良部島は面積約29㎢、周囲約26㎞、人口は約6,200人の隆起サンゴ礁の島で、
全体が平坦な地形で最高点は標高89mとのこと。島の西側に下地島が接していて、両島
の間は幅わずか40m~100mの入江が約3㎞続き、幅狭いので地図や航空写真ではあ
たかも間に川が流れているように見える。


 伊良部大橋で島の南東側に入り、西側に回って中央部よりやや北にある佐和田の浜に9
時5分に着いた。「日本の渚百選」に選ばれた遠浅の浜で、無数の岩が点々と並ぶ独特の
景観を見せている。



 これは、石垣島の近海で明和8(1771)年4月24日の大地震により発生した80m
を越えるという巨大な津波が宮古島や伊良部島を襲い、いくつかの集落が海に飲み込まれ、
犠牲者も多く出たようだが、その際、海底にあった岩が津波とともに浜に打ち上げられて、
このような姿を残しているのだという。

 5分ほど見てバスに乗り、少し戻って川のような細い入江の橋を渡って西に接する下地
島に入ると、間もなく下地島空港沿いを北上する。

 下地島空港は、国内唯一のパイロット訓練場としてつくられたとか。かつてはJALや
ANAのパイロット研修場として利用されていたようだが、現在はLCCの訓練のみが行
われているという。現在民間空港としては使われてないが、近く5路線が就航する予定の
よう。

 ちなみに、訓練用として民間用空港としては珍しい計器着陸装置(ILS)を両端に備
え、滑走路も3,000m×60mあり、規模は東京国際空港(羽田)や成田国際空港にも
引けを取らないという。

 滑走路の先が海に突き出た北端に回ってバスを降り、短い時間に金網に囲まれた空港内
を一望した。

 空港の管制塔↑と滑走路北側の誘導灯の並ぶ橋↓。


 9時25分に空港北端を出発し、西側から滑走路沿いを南下して空港の中間点付近の西
側海岸にある通り池と呼ぶところの駐車場に5分ほどで着いた。

 バスを降りてうっそうと茂る木々の間を少し進むと開けた一帯に木道が延びていて、岩
の間に濃紺の水をたたえた2つの大きな池がある。

 2つの池は互いに下部でつながっていて、さらに外海とは地下水路で結ばれているよう
で、外海からは高さ約45m、幅約20mの巨大なトンネルを通って池に入ることができ
るという。

 人魚伝説の残る神秘的なダイビングスポットとしても知られているようで、国の名勝及
び天然記念物(地質)に指定されているとか。




       
 周辺には、特有の花を見せるアザミや肉厚の葉を持つ花などが咲いていた。
    



 空港のレーダーも間近に望まれた。


 通り池の駐車場をバスは9時55分に出発し、空港の南側から東進して細い入江の南端
の橋を渡って伊良部島に戻り、すぐ南側の瀬口の浜で降りた。

 浜は伊良部島を代表するビーチで、長さ約850m、幅約50mにわたりきめ細かで真
っ白な砂浜が大きく弧を描いて広がっていた。


 浜の西側は低い岩礁で、手前の堤防からは透明な海底が望まれる。


 そばにある伊島観光サービスと呼ぶ土産店に入って土産物を求めたりして、10時40
分に出発した。


 県道204号線と252号線を東進して伊良部大橋際に11時44分で着き、11時ま
で小休止して早すぎる昼食の食堂までの時間調整タイムとなる。



 橋の下をくぐる歩道で反対側に回ると橋の名が記されていて、傍らにこの橋が「全日本
建設技術協会 全建賞」と「土木学会田中賞」を受賞した理由などを記したプレートもあ
った。



 橋の近くには、伊良部中学校の同窓会の案内幕や、その先の三差路に立つ「宮古島まも
る君」と呼ぶ警察官型人形が見えた。


 ちなみに、宮古島まもる君は宮古島警察署管内に19基設置されているようで、車中か
ら通過する宮古島内の交差点で幾つか確認できた。


 伊良部大橋を渡って宮古島に戻り、西海岸の「バイナガマビーチ」と呼ぶ海水浴場に面
した「海鮮悟空」という海鮮料理の店に11時30分に入り、新鮮な海鮮料理の昼食に。






    


 店内にはたくさんの貝殻や、大きなニシキエビなどが展示されていた。
       

 12時20分に海鮮悟空を出て、バスは島の南部を東進して宮古島の東南端に伸びた細
い岬の先端の東平安名崎(ひがしへんなざき)13時に着く。

 岬は長さ約2㎞、幅約160m、高さ約20mの半島で、太平洋と東シナ海に面してお
り、隆起サンゴ礁の石灰岩から成っている。


 東シナ海に面した岬の北西端に下ると保良漁港で、漁港の外側には伊良部島の佐和田の
浜のような明和の大地震によると思われる大岩が点々と海中に見られた。





 岬一帯は、潮風などの厳しい環境によく適応した特殊な植生と分布の限られた植物が生
育する貴重なところ。テンノウウメやミズガンピ、コウライシバ、ハマホッス、アダン、
イソマツなどが中心の風衝地特有の植物群落は県の天然記念物に指定され、岬は国の名勝
や日本の都市公園百選にも指定されている。


 岬の先端には内部を見学できる平安名埼灯台があるが、工事中のため灯台への道路は閉
ざされていた。駐車場近くの展望台からは、岬の両側の断崖や累々と海中に並ぶ岩片、平
安名埼灯台などが望まれた。


 13時30分に東平安名崎を出発して島の南端部を西進し、中ほどのイムギャーマリン
ガーデン(Ingya Marine Garden)に14時05分に着いた。イムとは沖縄語で海、ギャー
は囲われた湧き水とのこと。



 変化に富んだ海岸線や入江を利用した海浜公園で、入江を巡る遊歩道や展望台があり、
市民の憩いの場になっているという。急斜面上の展望台まで上がる人はいなかったが、遊
歩道を巡って透明なサンゴ礁の海や岩礁に生育する植物群などを眺めた。


     
 路傍には、パインアップルに似た実のついたタコノキが何本か見られ、全日本宮古島ト
ライアスロンのプレートもある。


           


 ここで宮古島観光を終え、バスは14時30分に出発して西へ、城造りのような建物の
見える「うえのドイツ文化村」↑のそばを通過して少し先から北進し、14時46分に宮
古空港に着いた。

 空港内の売店を眺めたりして1時間余りを過ごしたが、搭乗予定の15時55分発石垣
空港行きは、那覇からの飛行機の到着が遅れて3回ほど出発時刻の変更があり、17時
10分発となった。


    


 石垣空港ANA1791便のB737-800型機(166人乗り)は17時22分に
離陸した。かなりの空席がある。

 定刻での飛行時間は35分になっていたが、わずか19分後の17時41分には石垣空
港に着いた。でも定刻の16時30分より1時間10分余りの遅れとなり、おわびとして
ANAからピン札千円入りの封筒をもらう。


 

 迎えに来ていたイーグル観光のバスに乗り、18時02分に石垣空港を出発した。石垣
空港は島の南東部にあり、今日の宿は南西部の海に面している。

 島の南側を西進して、宿泊するグランヴィリオリゾート石垣島ヴィラガーデンに18時
32分に到着した。                     (歩数 11,800)




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JR東日本 駅からハイキングで青梅・梅の里周辺を歩く(東京)

2018-03-07 21:43:10 | JR東日本駅からハイキング
 宮古島・石垣島10島巡りのレポートの続きが遅れていますが、先にJR東日本の駅か
らハイキングの模様を先に報告します。

========================================

 2018年3月4日(日)
 
 今日は暖かくなるという予報なので、JR東日本の駅からハイキング『早春の吉野梅郷
~再生中の「青梅・梅の里」とオープンガーデン巡り~』に参加した。

 JR青梅線の日向和田(ひなたわだ)駅に10時49分に着き、10時55分に駅を出
た。


 線路に平行する青梅街道・国道411号を北西にすぐの日向和田駅交差点から西へ、都
道199号に入り、眼下に清流を見下ろせる多摩川の神代橋を渡る。
     

 渡り終えた右岸端際に、中曽根康弘元首相の自筆らしい「ふるさとに 澄める空あり 
雁渡る」と刻まれた歌碑があった。
    


 近くの和菓子店、紅梅苑がスタート受付場所。店内で受付を済ませて地図をもらう。店
の入口にはきれいな紅梅やマンサクの生け花が飾られていた。
    

 通りには「梅まつり」のちょうちんが下がり、街路樹の紅梅が咲き出している。
       

 橋の手前まで戻り、多摩川右岸沿いの住宅地の静かな道を進む。市営水道のポンプ場の
先は「蝋梅(ろうばい)の道」と名付けられ、多摩川側に若木のロウバイが植えられてい
て、まだかなり花が残っていた。


 青梅市のマンホールはもちろん梅とウグイスのデザイン、あちこちでたくさん見た。
    

 市立西中のところで左折してカーブ道を西進し、オープンガーデンのひとつである大聖
院に入る。

 大聖院の創建年代は不明のようだが、慶安年間(1648~52)には江戸幕府から寺
領4石の御朱印状を拝領したという。


 若木の紅梅が花を開き、本堂の左手には新しい延命地蔵堂がある。

 堂内中央のお地蔵さんは、明治22(1889)年に当時の住職が四国八十八ヶ所霊場
19番立江寺(たつえじ)の本尊、延命地蔵を写し建立されたとか。

 背後には、その年に合併して誕生した吉野村や周辺の人たちから奉納された、たくさん
の絵馬が並んでいた。地蔵堂の背後には数本のロウバイが咲いている。


 寺を出て南西にすぐ、吉野街道に入って北西に400m前後進む。古民家を活用した
「茶房さらさや」↑の先を左折して、吉川英治記念館に入る(入館料500円、駅ハイ参
加者は400円)。


 青梅市の名誉市民である文豪・吉川英治は昭和19(1944)年3月にこの地に疎開
し、昭和28(1953)年8月までここで生活したという。


 長屋門の入口で受付を済ませて広い館内に入ると、正面に大きな母屋(おもや)がある。

 もと養蚕農家の屋敷で、弘化4(1874)年頃の建築を明治初期に建て替えたもの。
吉川英治が一部改造し開館後に屋根を銅板にふき替えているが、ほぼ昔のままの姿とか。

 母屋の左手奥の洋館は明治期に建築された書斎で、創作に没頭した英治は三度の食事も
ここでとり、「新平家物語」もこの書斎から生まれたという。



 その横を上がって行くと大きなアセビが花をいっぱい見せ、樹齢5~600年と推定の
シイの古木の横を上がり、谷口吉郎の設計という展示館に入る。
    




 展示室には、「宮本武蔵」最終回などの原稿や、たくさんの著作本、書画など約300
点が展示されていた(撮影禁止)。


 高みにある展示室の窓からは、母屋↑や書斎↓の背後、咲き出した大きなミツマタなどが
見下ろせた。





 展示室を出て、南側の斜面に広がる庭園を巡る遊歩道を一巡するなどして25分ほどで
退館した。


 なお、吉川英治記念館のサイトはこちらを

 吉野街道を200m余り戻ってY字路を南に入り、近くにある即清寺(そくせいじ)の
石段を上がる。

 ここもオープンガーデンで、山門の手前にすべて異形の9基のお地蔵さんが並ぶ。手前
の1基の台座には、享保6(1721)年と刻まれていた。


 即清寺は元慶年間(877~84)の開創という古寺、建久年間(1190~98)に
は源頼朝が畠山重忠に命じて堂宇を造営し、慶安元(1648)年には江戸幕府から明王
堂領として3石の御朱印状を拝領したという。


 立派な山門を入ると大きな本堂や鐘楼があり、本堂の柱には「関東八十八ヶ所霊場第七
十一番」の表示が。奥多摩新四国霊場八十八ヶ所49番霊場でもある。


    
 境内にはロウバイとフクジュソウが咲き、西側斜面には山内新四国八十八ヶ所霊場が設
けられていた。山門の近くには、文明5(1473)年11月と刻まれた板碑が保存され
ている。
        

 折り返すように東に向かい、少しだけ吉野街道を進んで梅郷(ばいごう)6丁目の旧道
を進み、次のオープンガーデン岩割の梅(跡)に行く。

 別名「悲恋の梅」と呼ばれた岩割の梅は枯れていたが、その奥一体にたくさんのミツマ
タが花を見せ、その下にはフクジュソウが咲く。奥の斜面を上がるとロウバイも咲き残っ
ていた。


    

 南東に進んで運動広場横を過ぎ、下山八幡神社へ。創建は長久2(1041)年と伝え
られ、天正19(1591)年には家康から社領5石を賜っているとか。

 本殿は三間社流造りと呼ぶ建物で、宝暦5(1755)年の再建とのこと。江戸期の本
殿の多くが一間社流造りのようで、三間社流造りは都内では極めて少ない貴重な本殿建築
らしい。

 本殿の前面が広場の開放的な境内、やはりオープンガーデンだが、花は目に入らなかっ
た。


 さらに南東へ、広い芝生地に若木の梅の咲き出した中道梅園を抜けて、青梅きもの博物
館に入る。

 日本の伝統文化財でもある着物の博物館で、建物は200年前の土蔵に増築をしたとか。
木造の民家風情の残るつくりである(入館料800円、駅ハイ割引600円)。


 近代の着物を中心に展示されているが、特に大名や公家、元皇族の貴重な衣装が多い。
館内は撮影禁止なので、もらったリーフレットに掲載されていた衣装のいくつかを。
    

      

              
 梨本宮、浅香宮家の宮廷衣装、桂宮や明治天皇の内親王着用の衣装など、なかなか見る
ことのできない精緻で豪華な衣装が数多くあり、館の方の説明を聞きながら4つの展示室
を観覧した。

 館前の道路を南東に進んでT字路を西へ、すぐにオープンガーデンの天澤院(てんたく
いん)への石段を上がる。中段の地蔵堂に「お願い地蔵尊」が3体祭られていた。
       

 天澤院は慶長8(1603)年の開創と伝えられ、明治42(1909)年に火災にか
かり、現本堂と庫裡(くり)は大正年間(1912~26)の再建らしい。


    
 境内の花はまだこれからのようで、本堂左手のセツブンソウだけが花開く。傍らに信州
・安曇野(あずみの)に多い双代道祖神が1基立っていた。


 寺の下を西にすぐで、「青梅市梅の公園」が北向きの斜面に広がる。13時44分に公
園に入った。

 かつては斜面全体にたくさんの梅が花を見せていたが、平成21(2009)年に市内
の梅樹から国内初めてのウメ輪紋ウィルスが確認され、植物防疫法により市内で4万本近
いウメが伐採されたとか。この公園でも1,739本全てが伐採を余儀なくされたようだ。

 その後、梅の里再生に向け一昨年11月から再植樹が始まり、これまでに4,000本
以上の梅が植樹され新たな歩みを踏み出したという。


 そのため公園の木々もまだ若木で小さく、公園全体を眺めると見栄えに乏しいが、紅梅
など何本かが花を開いて迎えてくれた。
     

        

 2月25日~3月25日は「青梅吉野梅郷梅まつり」を開催中で、今日はそのイベント
のひとつ「観梅市民まつり」の日とあり、公園周辺も多くの市民などで賑わっている。


 入口近くの仮設ステージでは、甲冑(かっちゅう)隊のメンバーによる寸劇が始まって
いた。


    


 斜面中腹まで上がり、眼下に広がる園内や北側の梅郷地区の家並みなどを眺めながら、
ベンチで遅い昼食をした。


 14時16分に梅の公園を後にした。吉野街道に向かうと、梅まつりの宣伝活動で演奏
するチンドン屋さんがやってきた。
     

 梅の公園入口交差点で吉野街道に出て西北へ、JAのそばの梅郷四丁目交差点を右折し
て駅に向かう。


 その神代橋通りは歩行者天国になっていて、露店が並び地元青梅市民や観光客で賑わう。

 高円寺阿波おどりの連と行き交い、山車や仮設舞台ではお囃子に合わせて獅子舞も始ま
っていた。
     

  

 駅からハイキングの受付をした和菓子店・紅梅苑まで戻り、紅梅饅頭を求める。



 多摩川の神代橋を渡り、スタートした日向和田駅には14時40分に着いた。15時
03分発青梅行き上り電車で帰路につく。


 この日の青梅市の最高気温は21.8℃、春本番の陽気だった。

(天気 快晴、距離 7.5㎞、地図 駅からハイキング地図、歩行地 青梅市、歩数
 12,900)




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宮古諸島・八重山諸島10島めぐり① 宮古島と池間島(沖縄)

2018-03-02 17:36:29 | 国内旅行
 首都圏は真冬並みの寒さの続く2月19日(月)~22日(木)、『[60歳以上のご
参加限定]宮古諸島・八重山諸島まるごと10島めぐり4日間』という阪急交通社トラピ
ックス企画によるツアーに参加した。

 第1日 2018年2月19日(月)
 == 羽田空港から宮古空港に飛び池間島へ ==

 自宅を6時55分に出て、隣の所沢駅東口から7時40分発の高速バスに乗り、車中で
西所沢駅構内の売店で買ってきたおにぎり弁当を食べる。ラッシュ時の道路渋滞で少し遅
れたが羽田空港第2ターミナルに9時50分頃に着いた。

 第2ターミナル2階の全日空3番カウンターの阪急交通社受付カウンターで受付を済ま
せる。添乗員は現地宮古空港で待っているという。


 11時40分発宮古空港行きANA87便のB867-300型機(270人乗り)は、
12時09分に離陸した。機内はほぼ満席である。




 晴天だが真ん中の席だったので外の様子は見えない。羽田空港~宮古空港間の空路距離
は約1,830㎞あるよう。

 予定より5分早い14時55分に宮古空港に着陸した。宮古地方は快晴で気温は24℃
とのこと。到着したロビーでは、貝殻でつくった2つのシーサーが並んで迎えてくれた。
    


 出迎えてくれた添乗員の岩崎智(さとる)さんとともに、今日明日利用する黄色いボデ
ィの中央バスに参加者26人が乗り、15時38分に宮古空港を出発した。


 ドライバーは宮里さんとのこと。すぐの交差点の向こうに、円形ドームの屋内競技場ら
しい建物が見えた。交差点を左折して県道243号に入り、最初の観光地池間島(いけま
じま)に向かう。



 宮古諸島は北緯24~25度、東経125~126度に位置し、沖縄本島の那覇市から
南西に約300㎞、東京からは約2,000㎞にあり、宮古島を中心に大小8つの有人島
(宮古島、池間島(いけまじま)、来間島(くりまじま)、伊良部島(いらぶじま)、下
地島(しもじじま)、大神島(おおがみじま)、多良間島(たらまじま)、水納島(みん
なじま)から構成され、このうち宮古島と伊良部島、池間島、来間島の3島とは橋で結ば
れている。

 宮古諸島の島々はおおむね平坦で低い台地状を呈し、一番高いところでも標高110m
余り、河川や池沼などはなく生活用水のほとんどは地下水に頼っているとか。琉球列島の
大きな島の中で宮古島は唯一ハブがいないとのこと。

 これは、標高が低いので過去の海進の時に水没し、それ以来ほかの島と陸続きになる機
会がなかったためといわれているようだ。

 宮古島の面積は約204.5㎢で大阪市よりやや小さく、沖縄県で4番目の大きさ。宮古
島市の人口は約5万4千人余りという。

 宮古空港は島の中西部にあり、池間島は島の北部の細い半島の先端から池間大橋で結ば
れている。橋に渡る前に、すぐ手前にある雪塩(ゆきしお)工場を見学することになり、
16時10分頃バスを降りた。


 建物の外で雪塩の製造工程の説明を受ける。それによれば、従来の製塩方法が海水を沸
かしたり天日干しなどで水分を蒸発させた後、にがりと塩の結晶を分離するのに対し、雪
塩では地下海水をくみ上げて琉球石灰岩と呼ぶ隆起サンゴ礁で濾過して濃縮装置で濃縮海
水と淡水とを分離し、濃縮海水を加熱して瞬時に水分を蒸発させるので、にがり成分も含
んだ粉末状の塩になり、まろやかで旨みのある味に仕上がるとのこと。

 雪塩にはパウダータイプと顆粒(かりゅう)タイプの製品があり、料理により使い分け
が必要だが成分は同じだという。


 その製造工程を見学するのかと思ったが、見学は無しで直売店に案内され、数々の製品
を購入するタイムだけだった。何点かの雪塩製品を購入後、外の売店で雪塩アイスクリー
ムを求めたが、滑らかでおいしかった。


 16時45分に雪塩工場を後にして、すぐ先で海にかかる長い池間大橋を渡って北西側
にある池間島に向かう。

 池間大橋は全長1,425mあり、総工費99億円をかけて1992年2月に開通した
とのこと。大型船の通過のために、中央部は少し高くなっている。



 橋の上からは、幾重かに変化するエメラルドグリーンのサンゴ礁が望まれた。


 池間島は、馬蹄形をした面積約2.83㎢、周囲10㎞ほどの小さな島で、人口は682
人、宮古島同様ハブはいないとのこと。島の周辺には干瀬(びじ)と呼ぶサンゴ礁群が散
在しているという。

 橋を渡って左手(西側)から北へ、光量200万カンデラで沖縄県で最大という池間灯
台を見ながら右手へと時計回りに一周して、15分ほどで橋際まで戻ってバスを降りた。



 そばの土産店の上にある展望台に上がり、池間大橋や東南東にある大神島。マリンブル
ーのサンゴ礁の海などを一望する。




 宮古島の西北端の細い岬、西平安名崎にある、風力発電用風車。


 大神島




 橋際には「真栄城徳松氏像」と記された胸像がある。
       
 真栄城氏は地元平良町西里の生まれで、町議、占領下の琉球立法院議員や平良市長など
を歴任し、宮古郡の先頭に立って産業や一周道路の推進、港湾・漁港の整備、上水道組合
の設立などに尽力され、中でも池間大橋構想実現の礎を築くなどして市郡発展に多大な尽
力をされたという。

 胸像の横には、池間大橋の構造体の一部も展示されていた。



 土産店をのぞいたりそれらを見たりして17時17分に島を後にした。再び池間大橋を
渡って宮古島に戻り、島の西側を南下して市街の中心部を抜け、島の南西部にある今日の
宿泊地、宮古島東急ホテル&リゾーツに18時ちょうどに到着した。


 部屋は受付のあるロビーとは別棟の8階で、東シナ海を望む展望が素晴らしく、明日一
番で行く来間大橋や来間島が見える。


 18時30分近くには、雲の切れ目から日没間近の夕日が望まれた。
  
                            
                               (歩数 8,100)




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西武鉄道 所沢駅東口に駅ビル「グランエミオ所沢」がプレオープン(埼玉)

2018-03-01 22:04:32 | 所沢だより
 2018年3月1日(木)

 2月中旬だったか、自宅のポストに下のようなはがき大の案内が投函されていました。
    

        

 西武鉄道所沢駅東口で工事中の駅ビルが完成して、西武線沿線に初出店のセレクトショ
ップや上質な生鮮専門店など77店舗が出店する「グランエミオ所沢」が、明日3月2日
(金)にⅠ期開業するので、そのプレオープンとして今日、地元に人向けに招待したもの
のようなので、午後出かけてみました。

 所沢駅東口にある西武鉄道本社付近から見た駅ビル

 


 招待者の列は1階入口から北の方に100m位並んでいましたが、待つことなく列はど
んどん移動して入館できました。でも大変な人で、通路は行き交うのが大変なほどの混み
よう。


 1階のテナントは食品関係でした。


 人混みを分けながら一巡します。
















 そろそろ2階に上がることに。


 2階はファッション関係のショップが多いよう。








 2階中央部の吹き抜け部分




 埼玉西武ライオンズストアも。




 それでは3階へ


 エスカレーターを下りた一角はユニクロで、全体でも1番の広いフロアでした。


 3階と、今日は公開していない4階の市のコーナーのフロア案内






 3階にはレストランが並ぶエリアも。




     



 3階までひととおり回ったので、エスカレーターで下ることにしました。


 なお、レストランは3階に5店舗、カフェ&スウィーツは1階と2階に5店舗です。
        

 東口1階から2階にある西武鉄道所沢駅の出改札口方面への階段とエスカレーター。


 30分ほどかけて1階から3階までを一巡しました。今日は出口専用でしたが、2階
からは改札口近くに入口もあり、駅との利便性が一層向上しそうです。

 なお、Ⅱ期開業は東京オリンピック開催の2020年夏を予定しているようで、さら
に40店舗がオープンするほか、南側に新改札と通路が新設されるようです。




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