第2日 2018年10月29日(月)
== 木曽馬の里 開田高原を巡る ==
明け方は5℃前後まで冷え込んだようで、寝ていても寒さを感じた。
7時から朝食をして、急ぎ支度をして民宿黒川荘を出る。周辺の木々は色づいているが、
青空は見えず曇天である。
黒川荘の看板の前で記念撮影をして、そばの渡合(どあい)バス停から8時発の町営バ
ス開田(かいだ)高原線下り西野行きに乗る。
国道361号を北へと次第に高度を上げ、折橋トンネルを抜けて開田高原に上がり、南
南西へと向きを変えて間もなくの西バス停で8時20分に下りた。
この辺りは黒川荘周辺より270m前後高い標高約1,150mほど、周辺の紅葉の彩り
が一層良いが、曇天で色がさえないのが残念なところ。吐く息も白く、手袋が欲しい気温
である。
そばの国道の西交差点を横断し、南に下って末川の橋を渡る。橋周辺の広葉樹の紅葉も
見頃。
東側の大屋集落に入ると周辺の木々のほか、ブルーベリーの葉も色づく。
集落の東北端付近まで進み、最初のポイント熊野神社へ。豊富な木々に囲まれた境内、
熊野権現を祭る本殿は嘉永7(1854)年建立の流唐破風造(ながれからはふづくり)
と呼ぶ様式で、木曽で最大のものという。
自然石上の龍から水の流れ落ちる手水舎(ちょうずや)には「水神」の標石が。
本殿右手には「北計星神」と刻まれた古い石碑があり、北斗七星信仰に似たもののよう。
本殿左手背後に回り込み、奥にさらに少し進むと、かなり落葉した町指定天然記念物、
シバタカエデの大木がある。
シバタカエデは「クロビイタヤ」の変種。尾瀬ヶ原、赤城山、黒部などのほか長野県内
では南佐久の梓山(あずさやま)など3か所しかなく、ここは日本でも数少ない自生地の
南限西限に位置する貴重なものという。下はシバタカエデの落ち葉。
紅葉、紅葉に彩られた大屋集落を南南西に向かう。
緩やかな上り道を進み、林間にあったブルーベリー畑の西側対斜面の急坂を上がると、
丸山馬頭観音堂がある。
通称「丸山の丘」と呼ばれるところ。頂上のお堂に、木曽三大観音の一つで享保16
(1731)年建立の馬頭観音が祭られていた。
お堂の横には36体の馬頭観音や石像などが並び、中腹の絵馬堂には実物大に近い木曽
馬像がある。
そばの木々の途切れた一角から、これから向かう開田高原の中心部や周辺の山並みが望
まれた。
少し下って恩木集落に入り、黄葉、紅葉が見頃な瑞松寺に行く。
山門を入ると左手正面に本堂が、右手少し高みに宝形(ほうぎょう)造りの観音堂があ
る。
観音堂は元禄16(1703)年の建立、天井は碁天井(ごてんじょう)、柱や梁(は
り)はケヤキの一本造りのようで、町の有形文化財である。
山門を入ったすぐ右手には古い石仏が並び、その一角にお堂に祭られた延命地蔵尊があ
る。
高遠(たかとお)藩の名工、守屋貞治が文化8(1811)年に制作したもので、貞治
が全国に340体余り制作した石仏中でもまれにみる名作といわれているようだ。
延命地蔵堂の左手、流にかかる朽ちかけた一本橋から松が自生していて、自然の生命力
のたくましさに驚かされる。
恩木集落に続く仲町集落を抜けてさらに林間を南南西へ。路傍に大きな新しい双代道祖
神があるが、説明板などはない。
色づく木々やススキの間を末川大橋の橋際まで進むと、双代道祖神や庚申塔、二十三夜
塔、たくさんの馬頭観音などが並び、右手には観音堂がある。
それらの中央部に、「稗田(ひえだ)の碑」と呼ぶ石碑が立っていた。
碑文には、「寛延元(1748)年に末川村の庄屋、中村彦三郎が尾張藩の許可を得て
水田開発資金を借り受け、数年かけて22町7反歩の水田を開発した」経緯が記されてい
るようだが文字は読みにくい。
観音堂には、西国三十三ヶ所を象徴する33体の石仏と、中村家供養塔が並んでいた。
橋を渡って末川の右岸沿いを少し折り返し、北側の古屋敷集落に向かってS字状に上が
る。
右下に町の作業施設や開田小などを見下ろしながら進み、ガソリンスタンド横で国道
361号際に出た。
国道の下をトンネルで北に抜け、緩やかな上り道を髭沢集落に向かう。沿道のモミジや
カラマツが色づき、ピークを越えた下り道にはたシラカバ林も見られる。
林が途切れて髭沢集落が望まれ、大ヒノキの下に数体の石仏が祭られた小さいお堂があ
った。
髭沢集落に入り、U字状に折り返して南に向かう。ほかの集落でも見た、御嶽山と木曽
馬の透かし彫りを飾った街灯がここにもある。
小さい流れ沿いに、個人の住宅のものらしい東屋があったので無断で借用して休憩した。
南進する道路の両側斜面は紅葉、黄葉が見頃だが、相変わらず雲が陽を遮り、色の冴え
がいまひとつなのが残念なところ。
再び国道361号に出て左折し、500mほど進むと開田高原アイスクリームの店があ
る。すぐ先、「木曽馬の里入口」バス停のある交差点際に開田高原観光案内所があり、隣
接する開田郷土資料館に入った(入館料200円)。
館内には木曽馬最後の純血種という「第三春山号」の剥製(はくせい)、わら靴やわら
じ、草履などのわら製品、麻織物の用具、木曽馬の用具や取引帳、農具や林業用具などが
展示されていて、Yさんからそれらの説明を聞きながら観覧した。
12時10分に資料館を出た。国道の南側にあるそば生産者直営のそば処「霧しな」に
入り、辛みそば豆腐や笹おこわなど付きのせいろそばの新そばを美味しく味わう。
店内には売店もあり、そばと一緒に出された漬物などを販売していたので、多くの人が
購入した。
13時に出発し、店の横から南に進んで「木曽馬の里」に入る。
昭和44(1969)年に木曽馬愛好家などが結成した「木曽馬保存会」が中心になり、
乗馬体験など観光を主にした乗馬センターを運営しながら、木曽馬の保護活続けている施
設のよう。
芝生広場や色づいたブルーベリー畑の横を進んで、木の柵で囲まれた広い放牧場の柵沿
いに回ったが木曽馬は見えない。
牧柵に沿ってシラカバの多い一帯を進むと、ようやく木曽馬の姿が見えた。声をかけた
ら寄ってきて餌をねだっている。そばのフキの葉を与えると喜んで食べた。
さらに進んだ放牧場の南側一帯には、20頭以上の木曽馬が草を食み、観光客も何組か
来ている。
南端の木曽馬乗馬センターの大きな建物は厩舎になっていた。
裏手に回り、小さい放牧場の前で記念撮影をする。
乗馬体験場の入口には、体験をした女性が戻ってきた。近くには尾崎喜八の句碑がある。
「木曽馬の里」の説明板の横から、西北西に延びる飛騨街道の旧道を髭沢度集落に向か
って下る。
髭沢集落方面からの流れの橋を渡って北西へと上がる斜面は、色鮮やかな紅葉の木々が
多い。
国道361号に出たところが今回のゴールの中沢バス停で、14時15分に着いた。
木曽馬の里や、このバス停付近は乗鞍岳がよく見えるところのようだが、山頂付近は雲
に隠されてはっきりと見えないのが残念。
14時31分発町営バス開田高原線上りに乗る。車中から今日と昨日歩いた道筋を眺め
ながら戻り、木曽福島駅には予定時刻より1分遅れの15時11分に着いた。
木曽福島駅15時25分発特急しなの15号に乗る。塩尻駅に3分遅れの15時55分
に着き、急ぎ同時刻発車の新宿行き特急あずさ26号に乗り継いだ。
韮崎駅を過ぎた辺り、右側車中からは残照の富士山が望まれる。
今日も昨日同様、地元に詳しいYさんが設定された行程なので、効率よく開田高原の見
どころを巡ることができ、紅葉も見頃で充実したカントリーウオークだった。
(天気 曇後少し晴 距離 10㎞、地図(1/2.5万) 末川、歩行地 長野県木曽町、
歩数 19,100、累積標高差 上り約220m、下り約230m)
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== 木曽馬の里 開田高原を巡る ==
明け方は5℃前後まで冷え込んだようで、寝ていても寒さを感じた。
7時から朝食をして、急ぎ支度をして民宿黒川荘を出る。周辺の木々は色づいているが、
青空は見えず曇天である。
黒川荘の看板の前で記念撮影をして、そばの渡合(どあい)バス停から8時発の町営バ
ス開田(かいだ)高原線下り西野行きに乗る。
国道361号を北へと次第に高度を上げ、折橋トンネルを抜けて開田高原に上がり、南
南西へと向きを変えて間もなくの西バス停で8時20分に下りた。
この辺りは黒川荘周辺より270m前後高い標高約1,150mほど、周辺の紅葉の彩り
が一層良いが、曇天で色がさえないのが残念なところ。吐く息も白く、手袋が欲しい気温
である。
そばの国道の西交差点を横断し、南に下って末川の橋を渡る。橋周辺の広葉樹の紅葉も
見頃。
東側の大屋集落に入ると周辺の木々のほか、ブルーベリーの葉も色づく。
集落の東北端付近まで進み、最初のポイント熊野神社へ。豊富な木々に囲まれた境内、
熊野権現を祭る本殿は嘉永7(1854)年建立の流唐破風造(ながれからはふづくり)
と呼ぶ様式で、木曽で最大のものという。
自然石上の龍から水の流れ落ちる手水舎(ちょうずや)には「水神」の標石が。
本殿右手には「北計星神」と刻まれた古い石碑があり、北斗七星信仰に似たもののよう。
本殿左手背後に回り込み、奥にさらに少し進むと、かなり落葉した町指定天然記念物、
シバタカエデの大木がある。
シバタカエデは「クロビイタヤ」の変種。尾瀬ヶ原、赤城山、黒部などのほか長野県内
では南佐久の梓山(あずさやま)など3か所しかなく、ここは日本でも数少ない自生地の
南限西限に位置する貴重なものという。下はシバタカエデの落ち葉。
紅葉、紅葉に彩られた大屋集落を南南西に向かう。
緩やかな上り道を進み、林間にあったブルーベリー畑の西側対斜面の急坂を上がると、
丸山馬頭観音堂がある。
通称「丸山の丘」と呼ばれるところ。頂上のお堂に、木曽三大観音の一つで享保16
(1731)年建立の馬頭観音が祭られていた。
お堂の横には36体の馬頭観音や石像などが並び、中腹の絵馬堂には実物大に近い木曽
馬像がある。
そばの木々の途切れた一角から、これから向かう開田高原の中心部や周辺の山並みが望
まれた。
少し下って恩木集落に入り、黄葉、紅葉が見頃な瑞松寺に行く。
山門を入ると左手正面に本堂が、右手少し高みに宝形(ほうぎょう)造りの観音堂があ
る。
観音堂は元禄16(1703)年の建立、天井は碁天井(ごてんじょう)、柱や梁(は
り)はケヤキの一本造りのようで、町の有形文化財である。
山門を入ったすぐ右手には古い石仏が並び、その一角にお堂に祭られた延命地蔵尊があ
る。
高遠(たかとお)藩の名工、守屋貞治が文化8(1811)年に制作したもので、貞治
が全国に340体余り制作した石仏中でもまれにみる名作といわれているようだ。
延命地蔵堂の左手、流にかかる朽ちかけた一本橋から松が自生していて、自然の生命力
のたくましさに驚かされる。
恩木集落に続く仲町集落を抜けてさらに林間を南南西へ。路傍に大きな新しい双代道祖
神があるが、説明板などはない。
色づく木々やススキの間を末川大橋の橋際まで進むと、双代道祖神や庚申塔、二十三夜
塔、たくさんの馬頭観音などが並び、右手には観音堂がある。
それらの中央部に、「稗田(ひえだ)の碑」と呼ぶ石碑が立っていた。
碑文には、「寛延元(1748)年に末川村の庄屋、中村彦三郎が尾張藩の許可を得て
水田開発資金を借り受け、数年かけて22町7反歩の水田を開発した」経緯が記されてい
るようだが文字は読みにくい。
観音堂には、西国三十三ヶ所を象徴する33体の石仏と、中村家供養塔が並んでいた。
橋を渡って末川の右岸沿いを少し折り返し、北側の古屋敷集落に向かってS字状に上が
る。
右下に町の作業施設や開田小などを見下ろしながら進み、ガソリンスタンド横で国道
361号際に出た。
国道の下をトンネルで北に抜け、緩やかな上り道を髭沢集落に向かう。沿道のモミジや
カラマツが色づき、ピークを越えた下り道にはたシラカバ林も見られる。
林が途切れて髭沢集落が望まれ、大ヒノキの下に数体の石仏が祭られた小さいお堂があ
った。
髭沢集落に入り、U字状に折り返して南に向かう。ほかの集落でも見た、御嶽山と木曽
馬の透かし彫りを飾った街灯がここにもある。
小さい流れ沿いに、個人の住宅のものらしい東屋があったので無断で借用して休憩した。
南進する道路の両側斜面は紅葉、黄葉が見頃だが、相変わらず雲が陽を遮り、色の冴え
がいまひとつなのが残念なところ。
再び国道361号に出て左折し、500mほど進むと開田高原アイスクリームの店があ
る。すぐ先、「木曽馬の里入口」バス停のある交差点際に開田高原観光案内所があり、隣
接する開田郷土資料館に入った(入館料200円)。
館内には木曽馬最後の純血種という「第三春山号」の剥製(はくせい)、わら靴やわら
じ、草履などのわら製品、麻織物の用具、木曽馬の用具や取引帳、農具や林業用具などが
展示されていて、Yさんからそれらの説明を聞きながら観覧した。
12時10分に資料館を出た。国道の南側にあるそば生産者直営のそば処「霧しな」に
入り、辛みそば豆腐や笹おこわなど付きのせいろそばの新そばを美味しく味わう。
店内には売店もあり、そばと一緒に出された漬物などを販売していたので、多くの人が
購入した。
13時に出発し、店の横から南に進んで「木曽馬の里」に入る。
昭和44(1969)年に木曽馬愛好家などが結成した「木曽馬保存会」が中心になり、
乗馬体験など観光を主にした乗馬センターを運営しながら、木曽馬の保護活続けている施
設のよう。
芝生広場や色づいたブルーベリー畑の横を進んで、木の柵で囲まれた広い放牧場の柵沿
いに回ったが木曽馬は見えない。
牧柵に沿ってシラカバの多い一帯を進むと、ようやく木曽馬の姿が見えた。声をかけた
ら寄ってきて餌をねだっている。そばのフキの葉を与えると喜んで食べた。
さらに進んだ放牧場の南側一帯には、20頭以上の木曽馬が草を食み、観光客も何組か
来ている。
南端の木曽馬乗馬センターの大きな建物は厩舎になっていた。
裏手に回り、小さい放牧場の前で記念撮影をする。
乗馬体験場の入口には、体験をした女性が戻ってきた。近くには尾崎喜八の句碑がある。
「木曽馬の里」の説明板の横から、西北西に延びる飛騨街道の旧道を髭沢度集落に向か
って下る。
髭沢集落方面からの流れの橋を渡って北西へと上がる斜面は、色鮮やかな紅葉の木々が
多い。
国道361号に出たところが今回のゴールの中沢バス停で、14時15分に着いた。
木曽馬の里や、このバス停付近は乗鞍岳がよく見えるところのようだが、山頂付近は雲
に隠されてはっきりと見えないのが残念。
14時31分発町営バス開田高原線上りに乗る。車中から今日と昨日歩いた道筋を眺め
ながら戻り、木曽福島駅には予定時刻より1分遅れの15時11分に着いた。
木曽福島駅15時25分発特急しなの15号に乗る。塩尻駅に3分遅れの15時55分
に着き、急ぎ同時刻発車の新宿行き特急あずさ26号に乗り継いだ。
韮崎駅を過ぎた辺り、右側車中からは残照の富士山が望まれる。
今日も昨日同様、地元に詳しいYさんが設定された行程なので、効率よく開田高原の見
どころを巡ることができ、紅葉も見頃で充実したカントリーウオークだった。
(天気 曇後少し晴 距離 10㎞、地図(1/2.5万) 末川、歩行地 長野県木曽町、
歩数 19,100、累積標高差 上り約220m、下り約230m)
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