2020年11月28日
苦役は標準語では(くえき)と発音するけど、僕の田舎では『くやく』と言います。
また、道を作る作業は『みつくり(道作り)』と言っています。
11月初め、実家集落の代表者から『28日、土曜日朝7時から、生コン舗装の、”みつくり”するけん、親父さんの代わりに出やんたい。あたも(あなたも)筍掘りに使う道だけん、来やんたい。』
・・・・・とまあ、いきなりの電話で、各人の都合など聞かないのが実態です。
せっかくの休みに、いつもより早起きしないと間に合いません。
まさに、それだけで苦役です。
田舎の山への道や細い道は、市役所に申請し予算さえ叶えば、現物支給(生コン)で、工事の労力は集落民の苦役で舗装されて来ました。
今回は容量3立米の舗装です。
ミキサー車が来るのは9時。
それまで、道の脇に板を立て枠づくりです。
余裕なく、枠の完成後の写真しかありません。
日頃は軽トラックの離合も出来ない様な道を、ミキサー車が上って来ました。
途中の道脇の木の枝が引っかかる何カ所かを、チェーンソーで切りながらの前進です。
待機した運搬車に流し込みが始まりました。
以前は、各人持ち寄った一輪車で運んでいました。
Y字の道の1本目です。
第1投が落とされ、急いで広げます。
集合者のほとんどは、60~70代です。
『なんばしよっとか!(写真撮ってる暇無いぞ!)さっさと広げんか!』
僕は、若い方なのです。
(記録あってこその投稿です!)
次の生コンが来る間に、急いで広げ、叩いて、箒で摩擦の線引きをします。
道脇は全て土手なので、狭くて踏ん張りが効きません。
Y字の2本目。
こちらは短いのですが、生コンが余りそうなので、急に厚く塗りました。
板壁の縁は、こうやって突き詰めて空気を追い出します。
縁は車の重みで割れやすいので、念入りに叩きます。
たいぎゃ、腰痛いです。
これが、仕上げ?の、出来るだけ擦り減った箒で摩擦の線引きです。
どこのコンクリート道路も、だいたいこんな仕上げ方されています。
Y字の2本目も完了しました。
それでもまだコンクリートが余っているそうで。
下からの道の未舗装部分の約5mも舗装しました。
道脇の板が無く、叩き止めです。
左右にお茶がこんもりしていますが、そこの根本には、花崗岩の礎石が両脇にあります。
ここは『鞠智城(きくちじょう・くくちのき)』の周辺に当たり、約1300年前には関所みたいな番所があったと言われています。
大和朝廷の時代、大宰府の防衛施設でもあった鞠智城は、鹿児島県の薩摩隼人族からの防衛も兼ねる重要な役割をもっていたと言われています。
礎石には、直径10cm位の凹穴が彫ってあり、扉の軸となっていたということです。
だからこの道も集落も非常に古いのです。
向こうに見えるのは、日岡山(ひのおかやま)と、ちょっとだけトンガリが見える、不動岩(ふどういわ) です。
ちなみに、この不動岩は、5億年以上も前の古生代(オルドビス紀)の母岩『変はんれい岩』が柱状に浸食に耐え残っているもので、この辺りも非常に古い大地の上に生活していると言えます。
そうそう、今回の思わぬゲット品です。
土手の切り削りで出てきた、孟宗竹の『根ぶち』です。
ナイフの取っ手や、チェーンソーの丸ヤスリの取っ手には、オシャレです!
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