2020年5月下旬から12月下旬
クリ園の上は孟宗竹林で、密植軟弱なため栗の上に倒れこむのが毎年20本くらいあります。
それを伐採除去して日当たりを良くするのも役割です。
手作りの馬 にこうやって乗せると、長い竹を道路に引きずる事無く持ち帰られます。
実家に運び込むと、丸鋸テーブルソーをセットして、約90cmの長さに玉切りします。
だんだんたまって来ました!
(実は、6~9月まで、梅雨と風で竹は倒れ続けるので、こんな繰り返しです。)
90cmの玉切り竹を、この6辺竹割器を使って割ります。
最初は、こんな感じで竹割器を下にして、上から竹を叩き打ち込みます。
地面に着くと、ひっくり返して、竹割器の取っ手を両手で持ち、叩き割ります。(鋳物なので金属の金槌で叩くと、竹割器自体が割れます!)
6等分の竹辺がたまっていきます。
この後、鉈(ナタ)を使って、節を全部削り落とします。
(撮影しましたが、写真見つけられず)
300枚位出来て、平均3節で、1,000節位落としました。
12月上旬
この間、間がずいぶん空きましたが、以前紹介した、ドラム缶の半割り を準備していました。
ところが、ドラム缶の高さは90cmで、竹が90cmだから、入りきれないとわかり、新たな作業が出てきました。
再び丸鋸テーブルソーの出番です。
20リットル缶で作った塵取りを、端切れ受けに準備しています。
左手のデスクを壁にして、丸鋸の位置まで85cmを決め、約300本をジャンジャン切りました。
半割したドラム缶に入れてみました。
ツッカエル事無く、綺麗に入ります。
12月上旬
ドラム缶鍋を据える『竈(かまど)』づくりです。
畑に穴を掘りました。
計画的に山から掘り出していた軽石(軽石と言えども、水分を吸うととても重いです!)
をレベル(水平)になるよう調整し設置。
自宅から約30mホースを引っ張り、100リットル注水。
バンバン、火を燃やしました。
30分ほどで、100リットルの水がブツブツを泡が立ち始めました。
いよいよ竹を投入しました。
沸騰の湯が急に落ち着き、しばらくすると次は竹の煮える音?
『キーン、キューン、キュイーン・シュバ・シュバ・シュバッ!』
5分ほどで、再び沸騰。
地獄の釜茹でです。
『ジューン、クツクツクッツ、キューン、シュバ・シュバ・シュバッ!』
と、強い火力に湯ははじけ飛び、竹は踊りだし、この密集の中で対流の動きです。
どれくらい茹でたら良いのか分かりません。
そもそも、竹の茹でや火あぶりは、竹の中の油を熱で取り出し、居るかもしれない虫や卵を殺し、長持ちさせるのが目的です。
湯で加減の変化を観察しました。
約15分で竹の表面には油が滲出した感じがあり、冷めた竹の表面を指でなぞると『垢を擦る様な、引っかかり』の抵抗感があります。
15分も茹でたら、油も滲出出来ると判断しました。
これは、半割りドラム缶のやや小さい方です。
これにフォークを使い掬い出し冷えるのを待ちました。
その間、次の竹の茹でにかかり、5回茹でました。
多分自然と乾くと思いましたが、今年の夏に台風でやられた自然薯の棚を、頑丈な木製架橋式に作り替えた棚がありましたので、これに約300枚を干しました。
天気も良く、自体の熱と乾いた風に吹かれて、すぐに乾きました。
思ったよりも綺麗な色に茹で上がりました。
保管中の乾いた茹で竹です。
その間、エンジンオイルの交換廃油を約60リットル集めました。
竹のオイル漬けです。
昔から、竹や木には、廃油を塗ったりして、防腐、風化防止をやっていましたので、それをこれにも試すことにしました。
浸漬期間は実家に帰るタイミングの7日間としました。
油切りをどうにか考えないといけませんが、20リットルのペール缶に立てようと思っています。
さて、実家はこの様な石垣で囲まれており、竹垣の総延長は家の裏も含めて約30mもあり、今回準備したのは約20mあるかないかです。
あと、150枚・・・玉切りで25本・・・1本の竹から3本の玉切りを取るとして、あと8本くらいの孟宗竹を伐りだし、同じ作業をしなければなりません。
この写真には、白い長靴が見えますが、親父が92歳の12月上旬に庭木の上に登り剪定をしているところです。
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