(86) 歎けとて 月やはものを 思はする
かこち顔なる わが涙かな
西行法師(佐藤義清)
小倉百人一首から、西行法師(1118~1190)作、第86番の和歌を取り上げます。先達によるその現代語訳は、次の通りである。
<「歎け」と言って、月は私に物思いをさせるのだろうか。いや、そうではないのに、月のせいにして流れる私の涙よ。>(板野博行に拠る。後注参照)
この歌から、出家した僧侶の葛藤 -俗界への断ち難い“念”-が非常に強いように読めました。その思いを表現したく、七言絶句の漢詩にしてみました。漢字原文の右に、並べて簡体字表記も示してあります。
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<原文と読み下し文> <簡体字> (下平声 十一尤韻)
心中葛藤 心中纠纷
………心中の葛藤(カットウ)
愁緒纏綿涕泗零、 愁绪缠绵涕泗零,
…愁緒(シュウショ) 纏綿(テンメン)として涕泗(テイシ) 零(コボ)れる、
化縁羈旅念還留。 化缘羁旅念还留.
…化縁(カエン) 羈旅(キリョ)にあって念(オモイ)還(ナオ)留まる。
複尋汝怎令人嘆、 复寻汝怎令人叹,
…複(マ)た尋ぬ 汝(ナンジ)怎(ナゼ)に 人をして嘆(ナゲ)か令(シム)るか と、
托故月宮新泪流。 托故月宫新泪流.
…月宮(ツキ)に托故(タクコ)して 新(アラタ)に泪(ナミダ)流る。
註]
葛藤:(仏語)正道を妨げる煩悩のたとえ;
愁緒:憂慮; 纏綿:からみつくこと;
涕泗:涙と鼻汁; 零:<書>(涙が)こぼれる;
化縁:(出家して)托鉢する; 羈旅:旅;
怎:どうして 托故:かこつける;
月宮:月; 泪:涙。
<現代語訳>
思い通りにならない胸の内
愁いが心にまつわりついて離れず、涙するばかりである、
出家して托鉢の旅にありながら、思いはなお治まらず胸に残る。
重ねて尋ねるが、汝(月よ)何故に人をかくも歎かしむるのか、
月のせいにして、新たにまた涙する。
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作者の西行法師についてちょっと触れます。俗名“佐藤義清(ノリキヨ)”は、平安時代末から鎌倉初期のころの人で、一般に武士・僧侶・歌人と紹介されています。
家系は代々衛府に仕える武人で、保延元年(1135)、18歳で左兵衛尉に任じられ、同3年(1137)に鳥羽院の北面の武士として奉仕した と。“北面の武士”とは、院の御所の北面に詰め、院中の警備に当たった武士のことである。
保延6年(1140)、23歳時に出家して“円位”を名乗り、後に“西行”と称した。出家後は、心の赴くままに、諸国を巡る漂泊の旅に出ている。各地に草庵を結んでおり、今日なお多くが残っているようである。
旅にあって、活発に歌を詠み、今日、約2,300首の和歌が伝えられている 由。中でも勅撰和歌集に入選した和歌が265首にのぼる と。家集として『山家集』、『山家心中集』、『聞書集』がある。
出家の動機は、後世いろいろと論じられているが、上掲の歌を読む限り、“失恋説”を採りたい。但し、“肘鉄砲”というよりは、 相手が高貴な上臈女房の故であったか“及ばぬ恋”と悟り、自ら身を引いた と想像するが、如何でしょうか?
歌の特色を示す調べは、時代により変わり、それぞれ時代を反映する歌集名で語られているようである。例えば、奈良時代の『万葉集』(大伴家持;759?完)で代表され、素朴な感動、実感を率直に表現し、雄健・おおらかな“万葉調”。
平安時代中期の『古今和歌集』(紀貫之;913?完)で代表され、理知的、観念的な内容で、優美・繊細な詠みぶりとされる“古今調”。
平安末から鎌倉初期の『新古今和歌集』(源通具他;1205完)で代表され、情調的・絵画的・物語的・象徴的で、余情・妖艶を貴ぶとされる“新古今調”。西行法師は、藤原俊成とともに新古今調の新風形成に大きな影響を与えた歌人であると評されています。
西行は、晩年に「願わくは 花の下にて 春死なん その如月の 望月のころ」 (願わくば、満開の桜の下で、春に死にたい。釈迦が入滅されたという2月の満月の頃に) と詠み、望み通りに涅槃会の翌日、花盛りの旧暦2月16日に73歳で往生された由。
注] 板野博行 著『眠れないほどおもしろい 百人一首』(三笠書房、2013)。以後、特記しない限り、百人一首の“現代語訳”は、本書に拠って記載する心づもりにしております。
かこち顔なる わが涙かな
西行法師(佐藤義清)
小倉百人一首から、西行法師(1118~1190)作、第86番の和歌を取り上げます。先達によるその現代語訳は、次の通りである。
<「歎け」と言って、月は私に物思いをさせるのだろうか。いや、そうではないのに、月のせいにして流れる私の涙よ。>(板野博行に拠る。後注参照)
この歌から、出家した僧侶の葛藤 -俗界への断ち難い“念”-が非常に強いように読めました。その思いを表現したく、七言絶句の漢詩にしてみました。漢字原文の右に、並べて簡体字表記も示してあります。
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<原文と読み下し文> <簡体字> (下平声 十一尤韻)
心中葛藤 心中纠纷
………心中の葛藤(カットウ)
愁緒纏綿涕泗零、 愁绪缠绵涕泗零,
…愁緒(シュウショ) 纏綿(テンメン)として涕泗(テイシ) 零(コボ)れる、
化縁羈旅念還留。 化缘羁旅念还留.
…化縁(カエン) 羈旅(キリョ)にあって念(オモイ)還(ナオ)留まる。
複尋汝怎令人嘆、 复寻汝怎令人叹,
…複(マ)た尋ぬ 汝(ナンジ)怎(ナゼ)に 人をして嘆(ナゲ)か令(シム)るか と、
托故月宮新泪流。 托故月宫新泪流.
…月宮(ツキ)に托故(タクコ)して 新(アラタ)に泪(ナミダ)流る。
註]
葛藤:(仏語)正道を妨げる煩悩のたとえ;
愁緒:憂慮; 纏綿:からみつくこと;
涕泗:涙と鼻汁; 零:<書>(涙が)こぼれる;
化縁:(出家して)托鉢する; 羈旅:旅;
怎:どうして 托故:かこつける;
月宮:月; 泪:涙。
<現代語訳>
思い通りにならない胸の内
愁いが心にまつわりついて離れず、涙するばかりである、
出家して托鉢の旅にありながら、思いはなお治まらず胸に残る。
重ねて尋ねるが、汝(月よ)何故に人をかくも歎かしむるのか、
月のせいにして、新たにまた涙する。
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作者の西行法師についてちょっと触れます。俗名“佐藤義清(ノリキヨ)”は、平安時代末から鎌倉初期のころの人で、一般に武士・僧侶・歌人と紹介されています。
家系は代々衛府に仕える武人で、保延元年(1135)、18歳で左兵衛尉に任じられ、同3年(1137)に鳥羽院の北面の武士として奉仕した と。“北面の武士”とは、院の御所の北面に詰め、院中の警備に当たった武士のことである。
保延6年(1140)、23歳時に出家して“円位”を名乗り、後に“西行”と称した。出家後は、心の赴くままに、諸国を巡る漂泊の旅に出ている。各地に草庵を結んでおり、今日なお多くが残っているようである。
旅にあって、活発に歌を詠み、今日、約2,300首の和歌が伝えられている 由。中でも勅撰和歌集に入選した和歌が265首にのぼる と。家集として『山家集』、『山家心中集』、『聞書集』がある。
出家の動機は、後世いろいろと論じられているが、上掲の歌を読む限り、“失恋説”を採りたい。但し、“肘鉄砲”というよりは、 相手が高貴な上臈女房の故であったか“及ばぬ恋”と悟り、自ら身を引いた と想像するが、如何でしょうか?
歌の特色を示す調べは、時代により変わり、それぞれ時代を反映する歌集名で語られているようである。例えば、奈良時代の『万葉集』(大伴家持;759?完)で代表され、素朴な感動、実感を率直に表現し、雄健・おおらかな“万葉調”。
平安時代中期の『古今和歌集』(紀貫之;913?完)で代表され、理知的、観念的な内容で、優美・繊細な詠みぶりとされる“古今調”。
平安末から鎌倉初期の『新古今和歌集』(源通具他;1205完)で代表され、情調的・絵画的・物語的・象徴的で、余情・妖艶を貴ぶとされる“新古今調”。西行法師は、藤原俊成とともに新古今調の新風形成に大きな影響を与えた歌人であると評されています。
西行は、晩年に「願わくは 花の下にて 春死なん その如月の 望月のころ」 (願わくば、満開の桜の下で、春に死にたい。釈迦が入滅されたという2月の満月の頃に) と詠み、望み通りに涅槃会の翌日、花盛りの旧暦2月16日に73歳で往生された由。
注] 板野博行 著『眠れないほどおもしろい 百人一首』(三笠書房、2013)。以後、特記しない限り、百人一首の“現代語訳”は、本書に拠って記載する心づもりにしております。