環境問題を題材にして、二人の話は、日本の政策のグランドプランの欠如に収斂して行きます。
池田氏の発言です。
(p97より引用) 国家戦略として太陽光発電に力と金を注いだほうが、CO2の排出をちょっとでも減らすなどということに大金を使っているよりもはるかにいいと思う。エネルギー戦略をどうするかということは、食物に連動してくる話でもあるのだから。
さらに、厳しい言葉は続きます。
(p131より引用) 日本にはエネルギー政策も、京都議定書に関する政策も、食料に関する政策も、グランドプランがまったくない。・・・環境省も日本政府も、近い将来起こるであろう問題-食料の問題にせよエネルギーの問題にせよ-の対策よりも、地球温暖化による問題の発生をほんのわずか遅らせられるかもしれないという瑣末な予防策ばかりに腐心して、金を注ぎ込んでいるのである。やっぱりアホだと言うしかない。
一方、養老氏は、環境問題に対する「日本人の態度」にも言及します。
(p154より引用) 自分さえやることをやっていればいい、という独善的な態度が日本人にはあって、それがある種の予定調和と結びついてしまう。自分がちゃんとしていれば世の中もちゃんとするようになる。ならなかったら、それは自分のせいではない、という態度になってしまう。「国際貢献」の問題にも環境問題にも、そんな姿勢が表れている。
両氏は、現在の「何でもエコ」という風潮は、根拠薄弱な未来予測に対応した瑣末な対処策だと考えています。
別の言い方をすると、合理的でない事柄があたかも合理的であるかのように扱われ、それが情緒的な運動論として流布しつつある現状に危惧をいだいているようです。
(p164より引用) 環境問題というのは、もともとは各自がミクロ合理性を追求したことによって、マクロが非合理になるということでしょう。いまの環境問題というのは、環境問題自体がまさに大きな問題なんだよ。・・・
やっぱり、もっとシンプルに科学的に考えたほうがいい。エネルギー資源の問題をどう担保するか、とか、食べ物をどうするか、とか、本来はそれがいちばん重要な問題でしょう。ところが、いまは、もはや個人の倫理観とか道徳とかモラルとかの話にまでなってしまっている。
両氏が本書で示した環境問題の指摘の是非はともかくとしても、この「合成の誤謬」的な風潮の危険性は、過去にも充分に経験しているはずですが・・・。
ほんとうの環境問題 価格:¥ 1,050(税込) 発売日:2008-03 |