評論家の小林秀雄氏と数学者の岡潔氏という同年代の巨人どおしの対談集です。
お二人の会話を追いかけてみて、「なるほど」とサクッと腹に落ちるくだりもありましたが、知識の絶対量はもとより、話題の転換や論旨・論理という点でも、全くついていけないところの方が圧倒的でしたね。当然ではありますが・・・。
とはいえ、その中でも、特に私の関心を惹いたところをいくつかご紹介します。
(p24より引用) 岡 ・・・よい批評家であるためには、詩人でなければならないというふうなことは言えますか。
小林 そうだと思います。
岡 本質は直観と情熱でしょう。
小林 そうだと思いますね。
こういうやりとりは鳥肌が立ちますね。メタファ的な表現と本質をザックリと掴み出す指摘は達人技です。
対話は、「批評」という小林氏の土俵を訪れたあと、今度は森氏のフランチャイズである「数学」を話題にします。
(p25より引用) 小林 このごろ数学は抽象的になったとお書きになったでしょう。・・・抽象的な数学のなかで抽象的ということは、どういうことなのかわからないですね。・・・
岡 それは内容がなくなって、単なる観念になるということなのです。・・・対象の内容が超自然界の実在であるあいだはよいのです。それを越えますと内容が空疎になります。中身のない観念になるのですね。それを抽象的と感じるのです。
小林 そうすると、やはり個性というものもあるのですか。
岡 個性しかないでしょうね。
数学は「抽象的な観念」だと認めつつもそこには「個性」がある、研究者一人ひとりの「世界」があるというのです。そして、さらに、その「個性」について話は進みます。
(p26より引用) 岡 ・・・各人一人一人、個性はみな違います。それでいて、いいものには普遍的に共感する。個性はみなちがっているが、他の個性に共感するという普遍的な働きをもっている。それが個人の本質だと思います・・・それがほんとうの意味の個人の尊厳と思うのです・・・不思議ですが・・・個性的なものを出してくればくるほど、共感がもちやすいのです。
ここにも「本質」という言葉が登場します。一流の研究者が一途に探求するのは、まさに物事の本質なのです。
次にご紹介するのは、「時」に関してのお二人のやりとり。
(p51より引用) 小林 アウグスチヌスが「コンフェッション」(懺悔録)のなかで、時というものを説明しろといったらおれは知らないという。説明しなくてもいいというなら、おれは知っていると言うと書いていますね。
岡 そうですか。かなり深く自分というものを掘り下げておりますね。時というものは、生きるという言葉の内容のほとんどを全部説明しているのですね。
小林 時というものをよく考えています。
私の理解力を遥かに超える会話なので、ここでお二人が共鳴している内容は分かりませんが、とても魅力的なやりとりだと感じました。
そして、もう一度「詩と数学」についての話題。
岡氏が、「数学は、まだ形に現れていないものを形にする」と話し、それに対して小林氏が「そうすると詩に似ている」と応えます。
(p115より引用) 小林 詩人は・・・言葉の組み合わせとか、発明とか、そういうことで新しい言葉の世界をまたつくり出している。それが、ある新しい意味をもつことが価値ですね。それと同じように数学者は、数というものが言葉ではないのですか。詩人が言葉に対するような態度で数というものをもっているわけですね。
本書で紹介された対談、お二人にとっては気儘な雑談なのかもしれません。それがまた凄いことです。
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