いつも行っている図書館の新着図書の棚で目に付いたので手に取ってみました。
村松友視さんお得意のエッセイ集です。テーマは、歳を重ねた“大人”の魅力ですが、その中身は村松さんの多彩で豊かな交遊録でもあります。
そいった中で、特に私の印象に残った方との絡みの場面を書き留めておきます。
お一人目は作家吉行淳之介さん。
若いころ、村松さんが中央公論社の文芸誌で担当をしていた縁で吉行さんとのお付き合いが始まったそうです。そのころから吉行さんは、作家と編集者を上下関係で考える人ではなかったとのこと、村松さんが物書きとして活動をし始めたころのエピソードです。
(p40より引用) 会社を辞め同じ物書きの立場になってみれば、頂上近くにいる吉行さんに、まだ登山口でウロチョロする私が、それまでのように気楽に電話などかけられるはすもない。しかし、吉行さんとの縁が切れるのは寂しい・・・会社を辞めて二週間くらいたち、泣き別れる二つの気持が爆発寸前になろうとしたとき、不意に電話が鳴った。電話の向こうで、なつかしい吉行さんの野太い声がひびいた。
「あのさ、吉行だけどさ、会社辞めても電話かけてきていいんだぜ」
この野暮な仕切りにならぬ大人の粋な気遣いのセリフに、八丁掘のダンナはモテるはずだと、私は受話器を耳に当てたまま、しばし茫然としていたものだった。
なるほど、これはちょっと痺れるアプローチですね。
こういったちょっと気になる大人の振る舞いを書き連ねた本書ですが、村松さんが幼いころ大人の世界だと感じたのが“噺家”の姿でした。特に、高座への“出”、さげの後の“入り”に一流芸人の虚実の切り替えを見、そこに噺家の格を感じていたといいます。
そこに登場するお二人目は、三代目古今亭志ん朝師匠です。
(p182より引用) 十五年近く前に亡くなった古今亭志ん朝さんからも、私はそんな“虚”と“実”が綯い交ぜとなった大人の魅力を感じていた。・・・“取り”をとったときの「ありがとうございます、ありがとうございます、ありがとうございます」 と、太鼓にのって弾んだ調子ながらも実に熱くない表情のご挨拶をし、幕が下がる直前で立ち上がるとき、ちらりと垣間見えるニヒルな横顔も、私にとってはじっと見とどけたい、心惹かれる見せ場だった。
「実に熱くない表情のご挨拶をし」という表現は至極的確ですね。こういったそれまで立てていた観客をいきなり突き放したような「冷めた瞬間」もなかなかいい味わいなのです。
当時、志ん朝師匠と双璧と謳われた2代目桂枝雀師匠もまさに同じような感覚を抱かせる噺家でした。本編のハイテンションな話しぶりとの落差にはゾクッとするものがあります。寂しいことに、今、こういった風情の芸人さんにはとんとお目にかからなくなりましたね。
大人の極意 | |
村松 友視 | |
河出書房新社 |