かなり以前に、同じ著者による「世界の日本人ジョーク集」を読んでいるのですが、本書は、そのシリーズの3作目です。
第1作目から約10年の年月を経ているので、ジョークで取り上げられる日本人の特徴もかなり変化したのだろうと思い手に取ってみました。
この点について、「おわりに」で著者はこう語っています。
(p229より引用) 世界各地で楽しまれているジョークの潮流を眺めると、日本人の演じる役回りが、バブル期に広まった「ビジネスマン」の姿を経て、より多様な役柄での出演に変遷しつつあることが見て取れる。言わば「キャラ変」であるが、これは「文化大国」としての重層的な魅力を背景とする本来の個性に戻っただけなのかもしれない。
このコメントですが、残念ながら「日本=文化大国」を感じさせるような扱われ方はほとんどなかったように思います・・・。
そうそう「日本文化」としての“食”に係るジョークにこんなものがありましたが。
(p125より引用) スシバーの店主に向かって客が言った。
「このマグロ、先週食べたものよりも随分と味が落ちるな」
店主が怒って言った。
「そんなわけありませんよ」
店主が続けた。
「先週と同じマグロなんですから」
こういうシンプルな“オチ”は日本風なのでしょうか。「小咄」としてもなかなか秀逸ですね。
あと、数多くのジョークの中でも特に印象に残ったのはトランプ(元)大統領を“オチ”に使ったものなのですが、これはちょっと引用するのも控えておきましょう。
中国唐代に呉兢が編纂したとされる第2代皇帝太宗の言行録です。
古来から「帝王学の教科書」とされてきた書物とのことですが、なにぶん文庫本でも800ページ近い大著なので、まずは一通り訳文に目を通すことを目標に手に取ってみました。
「貞観政要序」には、イントロダクションとしてこう記されています。
(p41より引用) 今、太宗の世に示された美徳の教えや、皇帝の訓戒と臣下の諫奏の言葉のうち、政道をさらに開き高めるような手本を、不肖私に命じて、漏れなく選んで記録させる運びとなった。この事業の大枠は、みな宰相たち朝廷の意向による。そこで私は、聞き及んだものを集め、歴史記録を参照し、必要な部分を選び取り、それをまとめて大調を示した。
さて、それでは本編の中からの覚えの記録です。
まずは、1400年経ても変わらぬ官僚の姿。巻一政体第二から。
(p68より引用) 貞観三年(六二九)、太宗は側近の者に向かって言った。
「中書省と門下省は、国の中枢の官署である。だから才能ある者を抜擢して置いているのであり、その任務は誠に重い。もし詔勅に理に適っていない点があれば、みな徹底的に議論しなければならない。それなのに、このごろはただ天子に阿って従順なだけのように感じる。言いなりになって、おざなりに文書を通過させ、とうとう一言も諫める者がいない。どうしてこれが道理といえようか。もし詔勅の起草文に署名して、文書を発布するだけならば、誰にでもできるであろう。・・・これからは、詔勅に疑問があった場合には、・・・みだりに恐れ憚ったり、知っていて黙っているようなことがあってはならない」
今の官僚はさらに一歩進んで(退いて)、諫めるどころか権力者の意を「忖度」し、行政の礎石たる文書自体を改竄したり紛失したりもしているようです。
そして、それと対をなす皇帝(大宗)の姿勢。巻二任賢第三から。諫言をもって帝に仕えた魏微を失っての詔の一節です。
(p104より引用) 以前の私にだけ非があって、今の私には非がないなどということが、あろうはずがない。私の非が明らかにならない理由は、官僚たちが従順で、皇帝の機嫌を損なうのを憚っているためだろうか。そうならないように、私は虚心に外からの忠告を求め、迷いを払いのけて反省しているのである。言われてそれを用いないのであれば、その責任を私は甘んじて受け入れよう。しかし、用いようとしているのにそれを言わないのは、いったい誰の責任であるか。今後は、各自が誠意を尽くせ。もし私に非があれば、直言して決して隠さないように。
こういったリーダーの姿も見なくなって久しいです。
さて、以降も、こういった太宗の政治姿勢に関する臣下とのやり取りが細かく列挙されているのですが、この諫言の主として最も多く登場するのは太宗と対立した皇太子建成の臣下であった魏微です。彼の「太宗が有終の美を飾れない理由十条」は本書のエッセンスを語りつくりしていると言えるでしょう。
その冒頭を書き留めておきます。
(p751より引用) 天命を受けて国を創業したこれまでの帝王を見てみますと、みな自分の国を万世まで伝えようとして、子孫に国の運営方法を残しています。ですから、朝廷に立ち、政道を語る時には、必ず純朴を優先して華美を抑え、人を評価する時には、必ず忠良の士を貴んで邪な者は遠ざけ、制度を立てる時には、奢侈を断って倹約に努め、物産を論ずる時には、穀物や絹織物を重視して珍宝を卑しむものです。しかし、即位したばかりの頃は、どの帝王もこうしたことを守ってよく政治に励みますが、しばらくして天下が安泰となると、多くの帝王がそれに反して風俗を損ねてしまいます。これは何故なのでしょうか。思うに、尊い地位にいて、四海の富をわがものとし、言葉を発すればそれに逆らう者はなく、行動すれば誰もが必ず従うのをいいことにして、公の道を忘れて私情に溺れ、礼節は欲望のために損なわれるからではないでしょうか。 古語に『知ることは難しくはないが、それを行うことは難しい。行うことは難しくないが、それを最後まで続けることは難しい』とありますが、これは本当にそのとおりです。
この諫言を上奏された太宗はその意を汲み取り、「黄金十斤と、皇帝の厩舎の馬二頭を賜った」とのことです。
貞観政要の記述には、在位末期での綻びもいくつか記されているとはいえ、その治世は“貞観の治”と称されました。もちろん、美化されたところも多々あろうかと思いますが、それを差し引いても、後世において理想の政治を行ったと評された太宗の政務に向かう姿勢は見事だと思います。
日本経済新聞で竹内薫さんが推薦していたので手に取ってみました。
現在の「科学の意味づけ」を論じた興味深い論考です。
著者の佐倉統さんは私とほぼ同年齢なので、解説に登場する一般人向けのエピソードはとても親近感があり、それだけでも読みやすく感じました。
本書にはいくつも私にとっての新たな気づきがありましたが、その中から2・3、覚えとして書き留めておきます。
まずは “変質してきた現代の科学のあり方”について指摘したくだり。
この点は、特に、ビジネスに直結している「生命医科学」の領域で“知財”の観点から顕在化してきているポイントです。
(p129より引用) 現在の科学者たちは、このような、まったく相反する二つの原理「公的な知識生産」と「私的な技術開発」の両方において貢献するという、とてつもない困難を外側からの要求として押しつけられている。これは、構造的矛盾といってよいのではないか。・・・二〇世紀の最後の四半期は、一九世紀後半に制度化された科学研究のあり方が大きく変質した時代であったと捉えたい。科学を駆動する原理が、知識の獲得や国家への貢献から、経済の原理へと変わったのだ。
次に、日本において科学的合理主義が根付かない要因の解説の中の一節。
(P209より引用) 西洋近代科学の明確な源のひとつは、ニュートンによる統一的力学体系である。その根底に横たわる機械論的な見方は、日本にはついぞ登場しなかった。日本では、儒教や仏教を背景にした自然観が主流だったため、普遍的な法則を追求する発想が弱かったとされている。
この指摘に加えて、日本の近代化の過程においては、普遍的法則の追求よりも職人技的な「術」を極める側面が強かったようです。江戸時代、「金魚」「朝顔」「菊」等の品種改良技術は大きく進歩しましたが、その根本原理たる「遺伝の仕組み」への関心には向かいませんでした。
そして、現在、顕著な傾向となった“日本の「科学技術力」の衰退”についての佐倉さんのコメント。
(p216より引用) 2004年に日本の国立大学が法人化されて以降、科学論文の生産数は激減している。その他にもさまざまな指標が同じ傾向を示していて、日本の科学技術力が急激に衰退していることは明らかである。
これこそが、歴史的経緯を無視した近視眼的な制度改革の結果なのだと思う。
さて、本書を読み通しての感想ですが、タイトルの「科学とはなにか」から受ける哲学的な印象は“いい意味で”裏切られました。
地球環境の悪化やAIの実用化、生命科学の倫理等の課題が身近な社会問題として立ち上がっている今、改めて「科学のあり方」についてあれこれ考えてみるには、手ごろなヒントが満載の著作でしたね。なかなか面白かったです。