「重文」いっぱい!です
スミマセン、勝手に短縮してしまって…
「重文」=「国指定重要文化財」(昔は「国宝」、今は「元国宝」といわれることもある)。
「忍びの里パンフレット」資料によると、
≪甲賀衆たちが崇敬した甲賀の総社で、聖徳太子を軍神として崇めた。
廻廊は寄合いの場で、本殿は多くの侍衆たちが力を合わせて寄進したもの≫
≪境内で5年に一度、繰り広げられる華やかな『奴振(やっこふり)』に、かつての
侍衆が集まり氏神にお参りした名残を見ることができる≫と。
(5年に一度か、次回は“2021年5月1日”ですと…来年じゃん、コロナ収まってますように )
行きは壬生野IC下車して甲賀町毛牧(モビラ)通って「大鳥神社」へ、
(ちょっと遠回りだけど、野川南🚥からの峠越えは信号がない(笑)ので)
帰りは「油日神社」から上柘植ICで…と自画自賛ルートです(笑)。
南側からの進入路
↓ こちらは、
西の入り口の灯籠と鳥居
【油日神社】(当社HP)
ご神徳
≪油日大神のみ名は記紀にも見えず、又油日の名も国内に見当らない。
たゞこの地に於いてのみ千数百年の昔から、
油日大神とのみ申しあげて篤い信仰がさゝげられて来たのである。
油日大神はアブラのヒの大神さまであって、
万有始動の根元神として諸事繁栄発展の大本を司られる大神さまである。
従って古来より諸願成就の神として衆庶の尊信あつく、
又油の祖神として業界の崇敬があつめられている。≫
ワタシは南側から入らせていただいたので、すぐに
忍びの里案内板
(ここではクイズはありません)
龍さんのお出迎え
すぐ正面に重厚な楼門(国重要文化財)
何やら廊下のようなものが…
楼門くぐります、横にはよく誰かがいたりしますよね……
ここは 油缶(なかなか歴史がありそうな)
反対側は、͡酒樽でした。さすが、アブラのヒの大神様です
突然ですが、パンフレットなどを見ていると、もうすぐ「まつり」があるようです。
参考:「9月11日 岳(だけ)ごもり」
≪道中8合目で杣川源流の清水を採取、準備ができたら火採神事を行う(山頂より氏子地域を祓い清めてから火熾し)=神火≫
≪翌日境内に持ち帰り、13日の大宮ごもりの種火に≫するとのこと。
「9月13日 大宮ごもり」
≪ 13日には1000枚ほどのお皿に火を灯し、灯明には氏子全員の氏名が入り、氏子はその火を絶やさぬよう24時までお守り≫します。
西の廻廊、東の廻廊(国重要文化財)
≪廻廊が取り付く中世の神社建築は、滋賀県内でも他にない。いずれも、
規模が大きく意匠に優れ、質も高い神社景観を今に伝える貴重なもの≫
境内から楼門と廻廊
拝殿(国重要文化財)、拝殿から中門を見る
中門から本殿(お隠れしている)、ちょっと右から
本殿(国重要文化財)
本殿横には
樹齢750年といわれるコウヤマキ(県指定天然記念物)
西の廻廊から奥の本殿左に見える大きい木です、もちろん「ご神木」
西の廻廊と楼門、梵鐘(市指定有形文化財)、左手奥には「甲賀歴史民俗資料館」
最後にちょっと気になるハナシ
≪伊賀含む近在の多くの寺社仏閣は悉く天正の兵火にて焼失しているにも拘わらず、
甲賀のここでは、信長入洛直前のま新しい建物が揃って温存されていることは珍しいことである。
これは、半年ばかりの期間であったが、奈良一乗院の門跡から脱出した覚慶(後の15代将軍足利義昭)が、
神社の南2㌔に居を構えた甲賀武士・和田惟政の邸にあって信長と連携を保っていたためであろう≫と、、、
また、≪当時、甲賀武士は油日神社を甲賀の総社・自分たちの祖神と仰ぎ、
覚慶公方もまた、永禄8年(1565)のある日一日油日社に詣でている≫(神社パンフ「油日詣でPDF版」より)
麒麟がくるデハ ソコハドラマニナラナイヨネェ 長クナッチャウシ
なんだかいろんな話がごちゃ混ぜになってしまって、
自分でもどうまとめて良いものか?? はて困った
困った時は、次へ行こう・・・
2020/09/15追記
中日新聞2020/09/15付記事
「油日神社・大宮ごもり」
スミマセン、勝手に短縮してしまって…
「重文」=「国指定重要文化財」(昔は「国宝」、今は「元国宝」といわれることもある)。
「忍びの里パンフレット」資料によると、
≪甲賀衆たちが崇敬した甲賀の総社で、聖徳太子を軍神として崇めた。
廻廊は寄合いの場で、本殿は多くの侍衆たちが力を合わせて寄進したもの≫
≪境内で5年に一度、繰り広げられる華やかな『奴振(やっこふり)』に、かつての
侍衆が集まり氏神にお参りした名残を見ることができる≫と。
(5年に一度か、次回は“2021年5月1日”ですと…来年じゃん、コロナ収まってますように )
行きは壬生野IC下車して甲賀町毛牧(モビラ)通って「大鳥神社」へ、
(ちょっと遠回りだけど、野川南🚥からの峠越えは信号がない(笑)ので)
帰りは「油日神社」から上柘植ICで…と自画自賛ルートです(笑)。
南側からの進入路
↓ こちらは、
西の入り口の灯籠と鳥居
【油日神社】(当社HP)
ご神徳
≪油日大神のみ名は記紀にも見えず、又油日の名も国内に見当らない。
たゞこの地に於いてのみ千数百年の昔から、
油日大神とのみ申しあげて篤い信仰がさゝげられて来たのである。
油日大神はアブラのヒの大神さまであって、
万有始動の根元神として諸事繁栄発展の大本を司られる大神さまである。
従って古来より諸願成就の神として衆庶の尊信あつく、
又油の祖神として業界の崇敬があつめられている。≫
ワタシは南側から入らせていただいたので、すぐに
忍びの里案内板
(ここではクイズはありません)
龍さんのお出迎え
すぐ正面に重厚な楼門(国重要文化財)
何やら廊下のようなものが…
楼門くぐります、横にはよく誰かがいたりしますよね……
ここは 油缶(なかなか歴史がありそうな)
反対側は、͡酒樽でした。さすが、アブラのヒの大神様です
突然ですが、パンフレットなどを見ていると、もうすぐ「まつり」があるようです。
参考:「9月11日 岳(だけ)ごもり」
≪道中8合目で杣川源流の清水を採取、準備ができたら火採神事を行う(山頂より氏子地域を祓い清めてから火熾し)=神火≫
≪翌日境内に持ち帰り、13日の大宮ごもりの種火に≫するとのこと。
「9月13日 大宮ごもり」
≪ 13日には1000枚ほどのお皿に火を灯し、灯明には氏子全員の氏名が入り、氏子はその火を絶やさぬよう24時までお守り≫します。
西の廻廊、東の廻廊(国重要文化財)
≪廻廊が取り付く中世の神社建築は、滋賀県内でも他にない。いずれも、
規模が大きく意匠に優れ、質も高い神社景観を今に伝える貴重なもの≫
境内から楼門と廻廊
拝殿(国重要文化財)、拝殿から中門を見る
中門から本殿(お隠れしている)、ちょっと右から
本殿(国重要文化財)
本殿横には
樹齢750年といわれるコウヤマキ(県指定天然記念物)
西の廻廊から奥の本殿左に見える大きい木です、もちろん「ご神木」
西の廻廊と楼門、梵鐘(市指定有形文化財)、左手奥には「甲賀歴史民俗資料館」
最後にちょっと気になるハナシ
≪伊賀含む近在の多くの寺社仏閣は悉く天正の兵火にて焼失しているにも拘わらず、
甲賀のここでは、信長入洛直前のま新しい建物が揃って温存されていることは珍しいことである。
これは、半年ばかりの期間であったが、奈良一乗院の門跡から脱出した覚慶(後の15代将軍足利義昭)が、
神社の南2㌔に居を構えた甲賀武士・和田惟政の邸にあって信長と連携を保っていたためであろう≫と、、、
また、≪当時、甲賀武士は油日神社を甲賀の総社・自分たちの祖神と仰ぎ、
覚慶公方もまた、永禄8年(1565)のある日一日油日社に詣でている≫(神社パンフ「油日詣でPDF版」より)
麒麟がくるデハ ソコハドラマニナラナイヨネェ 長クナッチャウシ
なんだかいろんな話がごちゃ混ぜになってしまって、
自分でもどうまとめて良いものか?? はて困った
困った時は、次へ行こう・・・
2020/09/15追記
中日新聞2020/09/15付記事
「油日神社・大宮ごもり」