やっぱりね(予感がした…)、クセになりそうな「元伊勢」巡り。
あそこもここも、行けたらいいなぁ、、、と。(コロナ退散願うばかりなり)
下記パンフレットにも書いてありますが、
『東大和西三重』って一体どこやねん??
【東大和・西三重情報サイト】より
≪奈良県・三重県の2県6市町村を合わせた「東大和・西三重エリア」。
自然がいっぱい、美味しいものいっぱいの魅力あふれるエリアです。≫(事務局は(一社)名張市観光協会)
要するに、宇陀市・曽爾村・御杖村・名張市・伊賀市・津市。
こういう地域が連盟として参加している訳ですね…
より詳しくは⇒「エリアガイド」を。
さて、そこで
【元伊勢】とは、(東大和西三重観光連盟パンフレットより)
≪「元伊勢」伝承の地とは、倭姫命(ヤマトヒメノミコト)が、
天照大神(アマテラスオオミカミ)のご神体である八咫鏡(やたのかがみ:三種の神器の一つ)を
お祀りしたであろう場所のことで、主に近畿・東海地方に点在します。
東大和西三重エリアに位置する「元伊勢」には、倭姫命の伝承とともに、
これにちなんだ数々の地名(御杖、鞍取峠、姫石など)が残され、興味をひきます。
倭姫命とは、古墳時代以前の皇族で、第11 代垂仁(すいにん)天皇の第4皇女。
伝説の初代斎王、豊鍬入姫甜(トヨスキイリヒメノミコト)の跡を継ぎ、
天照大神の御杖代(神や天皇の杖代わりとなって奉仕する者)として、
大和国から伊賀・近江・美濃・尾張の諸国を経て伊勢の国に入り、
天照大神の意を伺い、皇大神宮(伊勢神宮内宮)を創建したとされています。
古の斎王である倭姫命が巡幸したと伝わる「元伊勢」は、
いまもなおその面影を偲んでいます。≫
ってなわけで、ひょんなご縁から「神戸神社」をお参りさせていただき、
では次にどこへ行こうか?と……
やはり地元を知らずして他所へ行くわけにも行きませんので…
「元伊勢」的に言いますと神戸神社は「穴穂宮」(あなほのみや)と呼ばれ、
都美恵神社は、【敢都美恵宮】(あえとみえのみや)と呼ばれるようです。
≪長い石段を登ったところに構える拝殿が美しい神社。
柘植川上流沿岸の地に「敢都美恵宮」として2年間鎮座し、
奉斎されたという史実があり、神宮と縁の深い場所≫と書かれておりました、では
(実は初訪問ではないのです、ずっと前に伺った時は何も考えず、
ぼうーっと見ていただけなので
)
1/15(金)午後2時着、
柘植地区市民センターに駐車させていただき(一声かけて)、お隣りへ向かいます。
神社横の道路際には、
昔の「大和街道絵図」
参道から
石造鳥居は「伊賀市建造物文化財指定」だそうです。
すぐに、神宮遥拝所(多分、向こうの霊山辺りを向いていると思われる)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/14/78/c8ca1efef7bdc365a3fa2e5d0d78010d_s.jpg)
やはり「倭姫命」が来られたんですね…
境内を奥に進むと
手水舎も今流(コロナ対策用)、由緒書き、
歴史はもちろん古く、大洪水もあって、ここに移されたとか、
やはり「神宮縁(ゆかり)の地」であると…
では、石段を(なかなか急です)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/52/67/01c8b2e0fa541b6b07f8fc57bea1407d_s.jpg)
拝ませていただこうと思ったら、「コロナクラブ」って…![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_ase1.gif)
狛犬さんとさざれ石
(「さざれ石」って君が代に出て来るあれ?)
拝殿向かって右奥へ行くと
本殿
拝殿から左側へも進めます、その先には
何と読むのかしばし考え
あぁ「やすくに」ね、戦没者の御霊を~~という社でした。
参考:『観光三重HPより「都美恵神社」』
さぁ、ここで「完」。
のつもりでしたが、この奥にまだ隠れたる「社」がありそうなのです…
まどろっこしいことを書かないで、ハッキリと書けば、
*都美恵神社の裏手に「天満宮」(=google mapには「秋葉社」)がある。
この神社を出て、柘植川の向こうにいくと
*「史蹟・雨龍神社跡」がある。
そして、神社のお隣は柘植小学校、裏山続きで
*「徳永寺※」へと繋がっていることが判明!
「本能寺の変」のあと、堺にいた家康が伊賀越えで三河に帰るとき、
このお寺で休息し供応を受けたという伝説の場所…
あぁ、血が騒ぐ
余談、「麒麟」最終回で本能寺の変がありますが、どんな終わり方になるのか、気になるところ。
ドラマに関わらず、ここは押さえておきたい場所でもあります。
その前に、「元伊勢」続きの「雨龍神社跡」へ
あそこもここも、行けたらいいなぁ、、、と。(コロナ退散願うばかりなり)
下記パンフレットにも書いてありますが、
『東大和西三重』って一体どこやねん??
【東大和・西三重情報サイト】より
≪奈良県・三重県の2県6市町村を合わせた「東大和・西三重エリア」。
自然がいっぱい、美味しいものいっぱいの魅力あふれるエリアです。≫(事務局は(一社)名張市観光協会)
要するに、宇陀市・曽爾村・御杖村・名張市・伊賀市・津市。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/01/12/e3c80eb4cb02c6c5c169f9da4ccfd77d_s.jpg)
より詳しくは⇒「エリアガイド」を。
さて、そこで
【元伊勢】とは、(東大和西三重観光連盟パンフレットより)
≪「元伊勢」伝承の地とは、倭姫命(ヤマトヒメノミコト)が、
天照大神(アマテラスオオミカミ)のご神体である八咫鏡(やたのかがみ:三種の神器の一つ)を
お祀りしたであろう場所のことで、主に近畿・東海地方に点在します。
東大和西三重エリアに位置する「元伊勢」には、倭姫命の伝承とともに、
これにちなんだ数々の地名(御杖、鞍取峠、姫石など)が残され、興味をひきます。
倭姫命とは、古墳時代以前の皇族で、第11 代垂仁(すいにん)天皇の第4皇女。
伝説の初代斎王、豊鍬入姫甜(トヨスキイリヒメノミコト)の跡を継ぎ、
天照大神の御杖代(神や天皇の杖代わりとなって奉仕する者)として、
大和国から伊賀・近江・美濃・尾張の諸国を経て伊勢の国に入り、
天照大神の意を伺い、皇大神宮(伊勢神宮内宮)を創建したとされています。
古の斎王である倭姫命が巡幸したと伝わる「元伊勢」は、
いまもなおその面影を偲んでいます。≫
ってなわけで、ひょんなご縁から「神戸神社」をお参りさせていただき、
では次にどこへ行こうか?と……
やはり地元を知らずして他所へ行くわけにも行きませんので…
「元伊勢」的に言いますと神戸神社は「穴穂宮」(あなほのみや)と呼ばれ、
都美恵神社は、【敢都美恵宮】(あえとみえのみや)と呼ばれるようです。
≪長い石段を登ったところに構える拝殿が美しい神社。
柘植川上流沿岸の地に「敢都美恵宮」として2年間鎮座し、
奉斎されたという史実があり、神宮と縁の深い場所≫と書かれておりました、では
(実は初訪問ではないのです、ずっと前に伺った時は何も考えず、
ぼうーっと見ていただけなので
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_ase2.gif)
1/15(金)午後2時着、
柘植地区市民センターに駐車させていただき(一声かけて)、お隣りへ向かいます。
神社横の道路際には、
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/33/72/cc442b7f01e09505d7f06cb891076917_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/51/01/ddabe91e69c763389cee4be2d212d553_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/5f/2d/8dedf605a6108cb72c5eb5758bba3bfc_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/74/e7/5abf631e49edcefb95b272df9c0a5fbe_s.jpg)
石造鳥居は「伊賀市建造物文化財指定」だそうです。
すぐに、神宮遥拝所(多分、向こうの霊山辺りを向いていると思われる)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/27/65/528d6580e137293e8bc4aea4a0e7fab5_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/2b/64/0d5bdbc1b3cac112230100b9bc75ee0a_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/14/78/c8ca1efef7bdc365a3fa2e5d0d78010d_s.jpg)
やはり「倭姫命」が来られたんですね…
境内を奥に進むと
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/4b/b2/0910b7e4c00a2592d7437a78eeb53fa7_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/55/b8/bc055b8b4607d3c4314813ffda055d1d_s.jpg)
手水舎も今流(コロナ対策用)、由緒書き、
歴史はもちろん古く、大洪水もあって、ここに移されたとか、
やはり「神宮縁(ゆかり)の地」であると…
では、石段を(なかなか急です)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/7b/40/21d6ab90dbc83b231e96928cc90c09b2_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/22/ed/4a634732c08bd63adbb733f2a8c81d75_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/52/67/01c8b2e0fa541b6b07f8fc57bea1407d_s.jpg)
拝ませていただこうと思ったら、「コロナクラブ」って…
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_ase1.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/2b/c3/6c9464104cea10f8afddccce6fa9f7f3_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/7d/64/8d77d95faba48985301433b77d0d8614_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/10/bf/aeaca51a7689294c5819a6de256d3719_s.jpg)
(「さざれ石」って君が代に出て来るあれ?)
拝殿向かって右奥へ行くと
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/40/3c/3864867ba4e586df4bebce421d0622d3_s.jpg)
拝殿から左側へも進めます、その先には
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/70/23/baa0292b3f49b2ba718d8147ab77e8a8_s.jpg)
あぁ「やすくに」ね、戦没者の御霊を~~という社でした。
参考:『観光三重HPより「都美恵神社」』
さぁ、ここで「完」。
のつもりでしたが、この奥にまだ隠れたる「社」がありそうなのです…
まどろっこしいことを書かないで、ハッキリと書けば、
*都美恵神社の裏手に「天満宮」(=google mapには「秋葉社」)がある。
この神社を出て、柘植川の向こうにいくと
*「史蹟・雨龍神社跡」がある。
そして、神社のお隣は柘植小学校、裏山続きで
*「徳永寺※」へと繋がっていることが判明!
「本能寺の変」のあと、堺にいた家康が伊賀越えで三河に帰るとき、
このお寺で休息し供応を受けたという伝説の場所…
あぁ、血が騒ぐ
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/cat_6.gif)
余談、「麒麟」最終回で本能寺の変がありますが、どんな終わり方になるのか、気になるところ。
ドラマに関わらず、ここは押さえておきたい場所でもあります。
その前に、「元伊勢」続きの「雨龍神社跡」へ