1/15にいただいた
ご朱印と「日本書紀」引用文
都美恵神社を出て、『旧大和街道』を西へ歩いていると
(google mapより)
こんな石碑がありましたっ!(これは後日(1/17)発見したのですが…)
この碑は、歩いてこそ見つけられたのかなと思いました
「敢都美恵宮遺跡」
都美恵神社の由緒書きには確か、
『寛永21年(1644年)の大洪水で欠損甚だしく・・・
正保3年(1646年)に今の地に移転』とありましたので、
本来はココにあったものと思われますが…
ちょっと奥に入らせていただき見た風景
遠くに目をやると、霊山が見え、その手前の森のどこか??に…
「雨龍神社跡」はあるはず、、、と物語は続くのです(笑)。
この辺りは、15日と17日に訪れていますので書いているうちに混乱してきますが
今は「雨龍」さんに集中します。(*投稿時点で読み方わからず、鋭意調査中!分かり次第載せます)
*読み方『うりゅうじんじゃ』です、文化財課の方と観光戦略課の方にお世話になりました…(11:55現在)
車での経路は

おそらく、地元の人以外知る人ぞ知る…ような気がしますが…
ここに、神社があったかもしれない「史蹟」です。
場所を説明するのは難しいのでgoogle mapを参考にしていただくとしますが、
そのまままっすぐ進むと「柘植浄化センター」がありました。
出来る事なら大型車が来ないことを祈りつつ農道に車を止め、少し南へ歩きます…
小高い丘に上っていく感じで
確かに「史蹟・雨龍神社跡」ありました、ほんと石碑だけですけど、
見守られているなぁと思いましたし、伊勢神宮の方を見ているのだと…
ここは地域の人(住所地は上村です)にとって
大切な宝物のような場所ではないのかなぁと思います。
禊をしたと言われる「柘植川」はすぐそこです。
東大和西三重のパンフレットより「雨龍神社」の謂れは、
≪倭姫命が柘植川のあたりで禊をすると、
七色に輝く竜神がそばに来て守っていた≫とのこと。
なかなか神秘的な話…神話ですからね、想像するのもまた楽しや(笑)。
では、「徳永寺」「柘植成田山不動明王」「秋葉社(天満宮)」訪問へ

都美恵神社を出て、『旧大和街道』を西へ歩いていると

こんな石碑がありましたっ!(これは後日(1/17)発見したのですが…)
この碑は、歩いてこそ見つけられたのかなと思いました



都美恵神社の由緒書きには確か、
『寛永21年(1644年)の大洪水で欠損甚だしく・・・
正保3年(1646年)に今の地に移転』とありましたので、
本来はココにあったものと思われますが…

遠くに目をやると、霊山が見え、その手前の森のどこか??に…
「雨龍神社跡」はあるはず、、、と物語は続くのです(笑)。
この辺りは、15日と17日に訪れていますので書いているうちに混乱してきますが

今は「雨龍」さんに集中します。(*投稿時点で読み方わからず、鋭意調査中!分かり次第載せます)
*読み方『うりゅうじんじゃ』です、文化財課の方と観光戦略課の方にお世話になりました…(11:55現在)
車での経路は

おそらく、地元の人以外知る人ぞ知る…ような気がしますが…
ここに、神社があったかもしれない「史蹟」です。
場所を説明するのは難しいのでgoogle mapを参考にしていただくとしますが、
そのまままっすぐ進むと「柘植浄化センター」がありました。
出来る事なら大型車が来ないことを祈りつつ農道に車を止め、少し南へ歩きます…
小高い丘に上っていく感じで



確かに「史蹟・雨龍神社跡」ありました、ほんと石碑だけですけど、
見守られているなぁと思いましたし、伊勢神宮の方を見ているのだと…
ここは地域の人(住所地は上村です)にとって
大切な宝物のような場所ではないのかなぁと思います。
禊をしたと言われる「柘植川」はすぐそこです。
東大和西三重のパンフレットより「雨龍神社」の謂れは、
≪倭姫命が柘植川のあたりで禊をすると、
七色に輝く竜神がそばに来て守っていた≫とのこと。
なかなか神秘的な話…神話ですからね、想像するのもまた楽しや(笑)。
では、「徳永寺」「柘植成田山不動明王」「秋葉社(天満宮)」訪問へ