また、青空見て思い立ちました。
今日はどこにゃ?
先日、川上ダムの帰りに枅川(ひじきがわ)辺りを走っていて「丸山城跡」がここらへんだと…
存在は知っていても、歴史上伊賀が壊滅状態になるきっかけの場所です、
興味のないはずがない!
歴史を振り返れば、(時代背景はドラマ「麒麟がくる」と被るのですが、
多分この戦は省略されると思われる… )
≪440年以上前、戦国の世を統一しつつあった織田信長。
その二男信雄(のぶかつ)は伊賀攻略のため、
伊勢田丸城を出て伊勢の国司・北畠氏がかつて築きかけた丸山城を本格的に築城し始めた、、、
当時の伊賀国は土豪が割拠してそれぞれの領地を支配し、
いざと言う時には連合して外敵に対抗する自治連合の国であったが、
この侵略を許さず城を焼き払って織田勢を伊勢に追い返した、、、
この戦跡が【丸山城跡】であるが、皮肉なことにこの戦いが2年後に
信長の4万(5万とも)人にも及ぶ大軍勢によって1万人の伊賀国勢が壊滅させられる
「天正伊賀の乱」(1581年)の引き金となった。
ここは、伊賀の戦国史を語るには避けて通れない重要な古戦場≫。
(伊賀上野ええもん探し隊見聞録より)
前置きが長くなってしまいましたが、
先ず、どこから入ればいいのか?といろいろ調べた結果、
「丸山集会所」の駐車場利用可能とのこと。
(古い地図では出てこないけど…)
数年前に行った時はなかったような真新しい建物があります(笑)。
ここの駐車場に車を止めさせていただく
集会所のすぐ前に
新しくきれいな案内板があります
案内通り進むと
「忍びの里」案内標識もあって、間違いなくココを進めばいい!
(冬なので私的に安心して行ける…但し、民家の横を通りますので静かに~~)
一本道なので迷うことはありません。
戦の跡のような竹藪を通り、ココを登れば…
一気に視野が広がります
遠い昔、ココには建物があったと思われます、
手水鉢や祠もあり、正月用のお供えもあり、
地域の人たちが守る大切な場所であることが伺えます。
その先進みますが、
道は狭く、赤い目印を踏み外すことなく進まないと、ココは崖っぷち!
おまけに、冬の落葉は滑ります
ほどなく行けば、「神戸地区自治協」さんの案内板があって(ホッと安心)
おそらく、何か建物があったと思われますが、そこは詳しくないので…
でも、ここで終わりではない、ふと上を見上げると大きな石碑が見えます
「丸山城址」といえば、この石碑
丸山城のランドマークのようなものです、会えて?やっぱり嬉しい
その辺りをウロウロ見て回りました(笑)。しつこいですけど、「石碑=マーク」です。
ここで、「忍びの里案内板」。
多分2018年くらいに設置されたものです、
例のごとく
クイズです
「三角点」もちゃんとありましたっ!
大切にね、とのこと。
さて、下りますが、一体ココにはどんなお城が建っていたのか?
興味をそそられますし、CGか何かで見てみたい!そんな気になりました…
虎口かな?ここから降りて、
対面の木津川の向こうの「天童山」辺りの山々を見る。
ここは、伊勢の国司・北畠氏が築きかけた丸山城を伊賀衆が見張っていた場所。
≪・・・丸山城の西にある天童山に密偵を送り、築城の様子を伺っていた・・・≫
続きは、天童山へ行こう!
今日はどこにゃ?
先日、川上ダムの帰りに枅川(ひじきがわ)辺りを走っていて「丸山城跡」がここらへんだと…
存在は知っていても、歴史上伊賀が壊滅状態になるきっかけの場所です、
興味のないはずがない!
歴史を振り返れば、(時代背景はドラマ「麒麟がくる」と被るのですが、
多分この戦は省略されると思われる… )
≪440年以上前、戦国の世を統一しつつあった織田信長。
その二男信雄(のぶかつ)は伊賀攻略のため、
伊勢田丸城を出て伊勢の国司・北畠氏がかつて築きかけた丸山城を本格的に築城し始めた、、、
当時の伊賀国は土豪が割拠してそれぞれの領地を支配し、
いざと言う時には連合して外敵に対抗する自治連合の国であったが、
この侵略を許さず城を焼き払って織田勢を伊勢に追い返した、、、
この戦跡が【丸山城跡】であるが、皮肉なことにこの戦いが2年後に
信長の4万(5万とも)人にも及ぶ大軍勢によって1万人の伊賀国勢が壊滅させられる
「天正伊賀の乱」(1581年)の引き金となった。
ここは、伊賀の戦国史を語るには避けて通れない重要な古戦場≫。
(伊賀上野ええもん探し隊見聞録より)
前置きが長くなってしまいましたが、
先ず、どこから入ればいいのか?といろいろ調べた結果、
「丸山集会所」の駐車場利用可能とのこと。
(古い地図では出てこないけど…)
数年前に行った時はなかったような真新しい建物があります(笑)。
ここの駐車場に車を止めさせていただく
集会所のすぐ前に
新しくきれいな案内板があります
案内通り進むと
「忍びの里」案内標識もあって、間違いなくココを進めばいい!
(冬なので私的に安心して行ける…但し、民家の横を通りますので静かに~~)
一本道なので迷うことはありません。
戦の跡のような竹藪を通り、ココを登れば…
一気に視野が広がります
遠い昔、ココには建物があったと思われます、
手水鉢や祠もあり、正月用のお供えもあり、
地域の人たちが守る大切な場所であることが伺えます。
その先進みますが、
道は狭く、赤い目印を踏み外すことなく進まないと、ココは崖っぷち!
おまけに、冬の落葉は滑ります
ほどなく行けば、「神戸地区自治協」さんの案内板があって(ホッと安心)
おそらく、何か建物があったと思われますが、そこは詳しくないので…
でも、ここで終わりではない、ふと上を見上げると大きな石碑が見えます
「丸山城址」といえば、この石碑
丸山城のランドマークのようなものです、会えて?やっぱり嬉しい
その辺りをウロウロ見て回りました(笑)。しつこいですけど、「石碑=マーク」です。
ここで、「忍びの里案内板」。
多分2018年くらいに設置されたものです、
例のごとく
クイズです
「三角点」もちゃんとありましたっ!
大切にね、とのこと。
さて、下りますが、一体ココにはどんなお城が建っていたのか?
興味をそそられますし、CGか何かで見てみたい!そんな気になりました…
虎口かな?ここから降りて、
対面の木津川の向こうの「天童山」辺りの山々を見る。
ここは、伊勢の国司・北畠氏が築きかけた丸山城を伊賀衆が見張っていた場所。
≪・・・丸山城の西にある天童山に密偵を送り、築城の様子を伺っていた・・・≫
続きは、天童山へ行こう!