せっけい日和

MKデザインスタジオ一級建築士事務所柿本美樹枝のブログです。設計者として、生活者として、多用な視点で綴っています。

旧吉田邸に日本建築の粋をみる、建主の器が、建築の器

2019年03月25日 | 日本民家再生協会・伝統建築・造園


建築家 故吉田五十八による近代数寄屋と
言われる大磯の旧吉田茂邸。迎賓館としても使われた私邸。

有名な建築であるにもかかわらず、
神奈川に越してきてから拝見せずじまい。

そのうちに、なんと火災に遭い、
再建後、平成29年に一般公開されました。
(すでに、来訪者は、昨年、10万人を突破したそうです。)

この度、神奈川県建築士会の中支部の皆さんが
見学会を、ガイド付きで企画してくださり
やっと、重い腰を上げて、伺うことができました。

昨日は、小雨も降り、肌寒い1日でしたが、
建築士の皆さんの、建築に対する情熱は熱く、
見学会は大幅に時間オーバー、笑。



ベテランのガイドさんは、建築の造詣が深く
建築士相手ということもあり、建築素材の材質からお値段、
ディテールまで、解説が及び、学びの多かった1日です。

一般公開で建物以外は無料とあり、
ここの庭園の素晴らしさは、
多くの方がブログにアップされているので、省きます。

ここでは、マニアックな話を綴ります。
全体像も写真、撮ってません、笑。

まず、目を引くのが兜門。トップの写真

消失を逃れたとだけあって、趣もそのまま。
お値段は一般住宅が10棟建つ程だそう。

その檜皮葺(ひわだぶき、ひはだぶき)が美しくて。
木材フェチには堪りません!



中のカーブに切り取られた形は、
大きな傘をかけて、要人を迎えるためであるとか、

杉の一枚板戸であるなど、
ガイドさんの解説が、建築心をくすぐります。



ロータリーの樹種や花の意味まで
詳しく解説してくださいました。

木部も、細かく面取りされていて、
感嘆の声が漏れます。



建築マニアでなくとも、建築美や、こだわりの部分などは
少なからず、心打たれると思います。



ガイドさんが付いていてくださったのが良かったのは
復元前もご存知だったこと。

なんとなく、アプローチに違和感を覚えていたら
実は玄関はもう一つあったが、復元されなかったそう。
それを聞いて、合点がいきました。

それから、日本建築の究極である兜門の目線の先にある
洋風のヤシの木。不思議な感じがしていたのですが
これにも理由がありました。

ここに配置するかは、庭師も最初は躊躇したようです。

しかし、この木が、吉田茂が、
外交官時代に海外から贈られたものであり、
大切な樹木であることから、堂々と植えたのだそうです。

彼の生き様を、表す庭園なのですね。
鯉が泳いでいない池も、華美になるのを控えたのだとか。

まぁ、ガイドさんのネタは、尽きないので
この辺にしておきます。

大きな収穫は、建主の哲学、思想、生き様は
建築や庭の造りに現れるということ。

建主の器の大きさが、そのまま建築の器の大きさになるのだなぁ。。。

実現に向けて、建築家は苦労するというよりも、
ちゃんと翻訳できるかどうか。。。

庭にこだわった建主の建築から見える景色も建築の一部


ダイニングからは、人工の滝も見える


吉田五十八の前にも多くの建築家が関わり
吉田茂のわがままには、
うまく行かなかったエピソードも残されているようです。

やはり、ちゃんと要望、志向を把握して
ちゃんとディテールを考えて、
ちゃんと建主の満足の行くものを創らなくてはねぇ、と肝に銘じます。

ステンレス製の細い御簾


真珠の粉を混ぜた襖紙。文様が薄く浮かび上がって。


いつも、依頼主の大事な費用を使う先の建築であり、
内装であり、外構であるのですから、

そのことは心がけて来たつもりです。

それでも、もっと、もっと、
その方の奥深くにある希望や未来
そういったものも、引き出せたら良いなぁ。。。。

と、大御所建築家の、大物政治家の建築に触れて
改まった気持ちです。

自分自身は、足元を見据えたい気持ちが強く
浮ついたつくりは出来ないけれど
広く、長く、万人に愛される建築づくり、が目標です。

この旧吉田邸が再建できたのも、
市民に広く愛されてきたからこそだなぁと、
再建の経緯を伺ったりことと、
ガイドさんの熱の入り方にも感じます。
(ガイド仲間での建築解説談義も大いにされるそうです)

歴史的な建物を見学すると、残る建築、残らない建築、
生かされる建築、生かされない建築の差

いつも考えてしまいます。

お城にしても、個人の邸宅にしても。

その建築の社会性、公共性みたいなものが、、、
備わっているかどうか

その辺りも、もしかしたらポイントではないのか?

と、先日の個人の邸宅を文化財まで引き上げる修復工事と
今回の再建を拝見して、考えました。

見学会の後は、残った有志で、
海水浴場発祥の地と言われる大磯の歴史や
切り通しの道路を隔て、旧吉田邸と反対の敷地にある

三井家の別荘地であった、今は解体されて立っていない建物の
木組みを、資料館で拝見したりして、
大磯の建築のことが、少しは分かったような気になりました。

久米式耐震木造のモデル。


駅近の洋館は、レストランとして、活かされています。


こちらも次回ぜひ、中に入りたいものです。

また、季節を変えて訪れたいですね。

都市の中の茅葺屋根、残す価値は建築文化と生活暮らしの文化

2019年03月18日 | 日本民家再生協会・伝統建築・造園


昨日は日本建築家協会の修復塾の講座に、参加して来ました。

講師、企画、事務方の方々には、お世話になり、
大変有意義な時間でした。ありがとうございました。

修復現場見学後は、横浜市の文化財として
指定された第1号の横溝屋敷を皆で散策。

トップの写真は、その養蚕用に明治に建替えられた横溝屋敷です。

最初に、横浜市の市民の寄付による「馬場花木園」内の
伝統的民家修復現場を見学し、設計監理者から話を伺いました。
(写真は、まだ非公開です。現況の風景をアップしますね)

こちらは、現在の新築の茶室鉄骨造


こちらは、公園からの見える茅葺屋根


調査、設計、監理の苦労。
そして、街中で茅葺き屋根を残すため、
法的除外を受けるための審査
を通す代替措置の工夫や、調査資料をまとめる労力を伺い、
実務レベルの講義に大変勉強になりました。

調査から完成まで、7年間だそうです。
揚屋や曳家のVTRも見せていただき、
まさに臨場感あふれる体験でした。

茅葺屋根は燃えるため、用途地域により、
屋根を不燃材で吹かなくてはならない建築の基準を、満たしません。

では、どうして、それを残すことが出来るのか?

それは、放水銃(初期消火)の設置や、自動通報装置などで
火災予防を行っているから、可能なのです。

代替措置を、消防署や審査会で有識者、
行政と議論の積み重ねの結果なのです。

建築士が修復方針を設計して終わりというのではありません。
建物の耐震、火災予防策、地域でのこれからの活用のあり方
建物の地域での歴史的位置付け、などなど、
まさに、総合プロデュースが求められるのでした。

職人さんも、熟練の技が要される現場。
手間暇がかかっています。技の継承の意味もある修復現場です。
日本人のきめ細やかさ、
建築に対する美意識などを、感じとりたいですね。

完成の暁には、小さな茅葺屋根の茶室、そして主屋を、
ぜひ、ここに残す意味、価値を考えながら、
一般の方にも見学して欲しいと願います。

次の見学先、横溝屋敷は、
地域の名主の住まい兼、采配を振るった
場所であり、養蚕を営んでき建物。

敷地内には、主屋の他に、
兜作りの茅葺屋根の浮き屋根を持つ穀物蔵、文庫蔵、
突き上げ屋根のある蚕小屋があります。






まるで、伝統的建物群の見本市です。

裏には水路、せせらぎ、山神社などもあり、
暮らしと共にあった建築の役割を、よく伝えています。

主屋内で、修復工事の記録と、
四季の行事のビデオがそれぞれ観れるので、
合わせて学ぶと、この地域の特徴と歴史、
そして保存されてきた経緯がよく分かります。

地域の役場的存在、名主の屋敷、横溝邸。
そこには、ここで暮らしてきた人々の想いと歴史が詰まっています。
地域の方々が、是非残したいと活動されたようです。

建築を残すことは、当時の人々の支え合った暮らしをも
伝えていくのだなぁと、感慨深くなります。

古い建物、という見た目だけではなく、
その背景や奥にあるもの、、、
暮らしと歴史、地域性、そういった時間軸を持って
見学すると、民家は俄然と面白くなります。

どうぞ、ご興味のある方は、見学してみてくださいね。

馬場花木園のサイト
http://www.hama-midorinokyokai.or.jp/park/babakabokuen/
みその園、横溝屋敷のサイト
https://qq2h4dy9n.wixsite.com/yokomizoyashiki

かく言う私も、横浜の拠点から近所ながら、
横浜に越してきて、すぐの出産、子育て、
仕事と家庭に追われるようにして、
ゆっくりと近くの建築をめぐるチャンスを逃してきました。

本当は、もっと子どもとお出かけすべきだったかなぁ。。。
と思いつつも、いえいえこれからと、
少しづつ、実現していきます。

今週末、今度は建築士会主催の、旧吉田邸の修復後の見学会です。
有名すぎるのに、そこもまだ行けていないのです。
企画していただけることが、本当にありがたいですね。

昨日の横浜の昭和最後の大修復工事だった横溝屋敷と、
平成最後の馬場花木園の現場と合わせ見ることで、
変わらないもの、建築文化の真髄を感じられ、春の学びに感謝しました。


民家はいかにして残ったか、残せるか

2019年03月04日 | 日本民家再生協会・伝統建築・造園


昨日は、日本民家再生協会の大先輩が手がけた
築140年の明治期に建てられた伝統的家屋の
移築再生現場見学会でした。

参加している技術部会が受付担当となり、
早めに現地に伺って、スリッパや手袋、配布資料の準備。

続々と来られる方の受け付け対応に追われるほど、
雨で寒い中、大勢の方が見学に来られ、
関心の高さが伺えました。

建物自体は、本当に素晴らしく、
さらに年月をかけて、蘇らせた建築家の手腕と
建主の情熱とパワーには脱帽、というしかありません。

残念ながら内部の写真はお見せできませんが、
構造の軸組は、大変に迫力のあるものでした。

甲州民家の代表的な特徴、屋根の「兜作り」(外観写真参照)に加えて
養蚕農家の特徴、通風、採光のための「突き上げ屋根
そして、「」もあるという、まるで構造の見本市。

大黒柱は7Mもあるケヤキの一本柱。
大きさは40センチ×48 センチの大迫力。

四方から差しもの(梁)があり、解体時には慎重を要したそう。
柱に隠れた部分は、どのような組み方かは、
解体してみないと分かりませんから。

解体調査した方が、文献などを調べた結果、
実際の仕口は、「追い入れ小根ほぞ鼻栓締め」だそう。
本当に手の込んだ仕口です。

(仕口とは、柱と梁の接合部のこと。
現代では金物で止めるだけというのが一般的)

良材と良質な手仕事があってこそ、
長い年月にも耐えてきたのだと、感じ入りました。



本日は、効率優先の現代社会において
手間暇のかかる「民家」という伝統的建築が

どうやったら残せるのか、どうして残ったのか
そんなことを考えて綴ります。

見学会の挨拶で、皆さんが口を揃えておっしゃったことが
建主様の情熱がすごい」でした。

民家の学校で学ばれ、民家を多くご覧になり
そして、「一目惚れ」した民家なのだそうです。

さりげなく主張しないのが民家の良さでもあり
写真では、なかなか伝わらない木の建築の凄さですが、
その場に立って眺めたり、中の空間に入ったりすれば

思わず、感嘆の声や、
お〜、うむ、など唸るような声が漏れてしまうのが
伝統家屋の迫力。

ビデオにも、見学当初の様子が残されていました。
暗い中を懐中電灯で照らしながら
「すごいな〜」とか「「うわ〜」と
思わず声を上げる調査メンバー。

残っていくためのポイント、まず1点目は、

その建物の魅力迫力が、はっきりと今の私たちも伝わること
感じ取れる人との出会いがあること。


ではないでしょうか。

持ち主はすでに新居を建てられ、解体を待っていた建物だそう。

ずっと目にしている方は、かえって、その良さが当たり前に
なっているのかもしれません。

そして次に、

惚れた建物と添い遂げる覚悟をする建主、
その情熱とエネルギー


が必要ということ。

時間もお金もかかります。もちろん維持していく費用も含めて。

いろいろなことを、犠牲にしていかなくてはならないでしょう。
考えることも山盛り。

それでも、この民家に暮らす、楽しむということをイメージしながら
一つ一つの課題をクリアしていかれたことでしょう。

解体時などは、まったく建物の姿がなくなるわけですから
図面や部材でイメージするしかありません。根気も必要です。

最後に、技の継承、技術力を育む場と人

担当された設計の方も、最初に挨拶されていたように
職方あって、初めて、創ることができるのです。

棟梁、左官屋さん、電気担当、、、、
多くの方の紹介があり、
最後にパンフレットをもらってきました。



職人さん方が、この世界(伝統構法)にしては、若いなぁ〜
と、眺めていたのですが、(あ、私が年齢を重ねだだけかも、笑)

30年の歩みとあります。

老舗とは違い、故郷の伝統家屋が壊されていく様を
食い止めたいという一心でのスタートのようです。

伝統構法に特化し、茅葺き職人の育成にも力を入れ始めたとか。
こういった方々が、踏ん張って、残していこうと
努力してくださっている賜物と感じます。

民家の予算は文化財クラスの工事に関しては、もしかしたら半分〜
10分の1くらいしか予算はありません。(ヘリマネで学びました)
個人で出すのですから。(当然、個人ではそれなりの負担)
しかし、やる仕事はそれほど違いません。

どれだけ、地域の工務店さんが、
残そうという想いで頑張ってくださっているかが
分かります。(施工費だけではないということ)

そこで、私たち設計者ができることといえば、

1)民家の良さを広める、残すことができる、という啓発活動
2)建物と、人(建主、施工者)とのマッチング
3)技術を生かせる現場、プロジェクトをまとめる能力

でしょうか。

頑張ることは沢山ありますね。



最後に、、、

移築再生現場は、まだ私自身は経験していませんが、

人も建物もご縁だなと、感じます。

今回の現場は、工程ごとにワークショップ形式で、
関係者以外の人の手も入っています。

多くの方が、知る建築となりました。

結婚式も、何故するのかというと、、、、
添い遂げる覚悟を誓う二人の
多くの方に、証人になってもらうため、だそうですね。

このワークショップ参加、ということが
その儀式にも似ているなぁと思うのでした。

より多くの方に、携わってもらう。。。
知ってもらい、自分ごとにしてもらう。

このことも、
残していくポイントになる予感がしています。

学びの場として、住まいを提供してくださった建主様、
ありがとうございます。
見学会の準備関係者の皆様、お疲れさまでした。

140年前に建ててくださった建主様と
工事関係者の方々にも、時空を超えて、感謝致します。

長文、最後までお読み頂きありがとうごさざいます。

伝統構法の技を学ぶ 〜民家の学校〜

2018年10月29日 | 日本民家再生協会・伝統建築・造園


日曜日には、民家の学校の講座を開催しました。

伝統構法を手がける若手の大工さんに、
在来工法との違い、伝統構法の歴史、伝統構法の特性
地震に耐える力など、レクチャーを受ける企画です。

棟梁に実技を学びます。


自分たちで、実際にノミやノコギリを使い
継手も作ります。

そして、天然乾燥と、人工乾燥の木材の粘りの違い
「腰掛け鎌継」と「追っ掛け大栓継」の強度の違いなども
実際に破断させて確認します。


この方法が、なかなかユニークで、材に人が乗ってみるもの
というアナログな手法。

自分が乗った時に壊れはしないかと、恐れつつ
みしみし、、、の音とともに、バキッっと割れた時は、

「キャ====」

体験した受講生は興奮気味。
昨年は私も体験させてもらって、
身にしみてその違いがわかり、プロが行う破断試験とはまた違って
素人でもわかるのがポイント。

天然乾燥の木材の方は、じわじわと破断していくのに、
人工乾燥材は、パキーーンと破断したら早い。



だから、天然乾燥の方が、
伝統構法の木組みには適しているということが
実感できます。

棟梁の道具のコレクションや、木組みのミニモデルなども
見せていただきました。鋼のことなども、今年はじっくり聴けました。





これだけ細かい作業ができるのも、鉄の道具あってこそ。
木の文化の日本というが、鉄の文化でもあるというお話が印象的でした。

技とそれを生み出す道具と人の手が、今、絶滅危惧種!?(民家の学校校長談)
後半は、絶滅させないためにも
私たちに出来ることは何か、ということを受講生とともに考えました。

日本独特の木組み文化。

大陸から入ってきたとはいえ、その細かさ、種類の多さは
日本独特のもの。

北欧の古民家を調べている研究者でも
その道具は、日本ほど種類がないそう。

伝統構法を知ると
日本人の探究心の一端を知ることができます。

受講生のアンケートからは、
伝統構法の魅力と素晴らしさを、ますます感じたことや
実感できた講座だったことが分かります。

いろいろな民家を見ても、仕口のその中身までは分かりません。
こうやって、隠れた技があること、

それがシンプルで美しい構造体を生み出していることを
一般の方にも知っていただけて、私も嬉しかったです。

これからも、共に学びながら、
本物の木のものづくりに邁進して参ります。

新築にて、伝統構法で住まいや建築を建てることもできます!

地震国だからこそ、縦揺れ、横揺れにも強い伝統構法。
興味のある方は、お問いあわせくださいね。

それでは、私も実践して参ります。

古代の地盤改良方法を拝見して、 考古学と建築まちのつながりを考える

2018年06月25日 | 日本民家再生協会・伝統建築・造園

↑都築民家園(大塚・歳勝土遺跡公園)

日本民家再生協会のお仲間から、
とってもマイナーな見学会のお知らせを頂き、
週末、関心のあるメンバーと訪問しました。

建築と地面の関係、悠久の時を超えて、
その繋がりを実感した内容を綴ります。

1) 古代の地盤改良方法とは?

なんと、1300年前の地盤改良が観れるというのです!

実際の仕事でも、地盤改良の方法は悩ましく。
工法、予算、工期、安全面など。

実際のプロジェクトでも、まさに、検討中であったので
紹介してもらった時は、ヒントがあればなぁ。。。
といった、学びたい心も持ちつつ、

地面の中の、日本人の知恵と技を拝見できるとあって、
ちょっと興奮しました。

珍しい一般公開。
発掘現場にお邪魔できる機会など、そうそうないので
喜びました。

梅雨の雨空の中、前半の見学者だけでも60人を超えていて
関心の高さに驚きつつ。

学芸員さんの話に熱心に耳を傾けるみなさん。



場所は、川崎市。
現存はしてませんが、3重の塔があったとされる
官衙(かんが=役所)遺跡群。



塔の下の地盤改良は通常12M四方だそう。

それが、今回9M四方程度なので、本当に塔だったのか?
など議論も浮上しているとか。頭が痛いとオフレコ。

それでもどこか楽しそうな学芸員さんのお姿は
歴史を探ることの面白さを実感されているのだろうなと
お見受けしました。

古代の歴史は、堀起こすほどに新たな事実が出てくるのですね。
考古学と建築、しっかり繋がっているのですね。

この公開が終われば、埋め戻されてしまうので
本当に、観れるチェンスは一度きりなのにも驚きました。
ご苦労様という感じです。

実際の地盤改良方法はというと、
土を敷固めるという方法と
瓦を混ぜた土を入れるという方法でした。

弱い部分を賢固な土に置き換えるという
今でいう、置換法ですね。ここに原点があったのですね。

横線が入ってミルフィーユ状になっているのが
その証拠。



土を突き叩いて、薄くするという作業を重ねたもの。

出土した中に、入っていたという縄のような模様の
瓦も見せてもらい、

「砕石の代わりに埋めたのでしょうね。」
と学芸員さん。
この瓦で、建物建設の時代背景を探るのだとか。



瓦の再利用!エコだなぁ。。

周囲で数トンの瓦が出土されているらしく
近くに建物があった証拠でもあるそう。

その当時、瓦は貴重であったわけだから、
もしかしたら、地震で崩壊した瓦を用いた!?など
つい、熊本地震を経験した身としては、そんな関連性も考えてしまいます。
(←これは、私の勝手な推測なので、史実ではありません)

日本民家再生協会の講座でお世話になっている伝統工法を手がける大工さんが、
『大陸から入ってきた木組みが、地震国日本では、、日本独特のものに進化した。』
とおっしゃっていました。

地盤改良も、きっとそうではないでしょうか。
そうでなければ、このような面倒をやりませんよね。

世界の地盤改良というものも、
いずれは調べてみたいテーマです。

2) 過去を明らかにすればするほど、歴史は常に変わる!?

横浜市歴史博物館も、開放日に重なり
併設の古代遺跡群も合わせて、拝見しました。





考古学が専門の民家再生協会のメンバーから
掘っていけば、土の色が違うので、遺跡はわかると教えてもらました。

そういった中から、このような写真のものが出てくるのですね。



縄文式竪穴式住居の屋根が、
茅葺ではなく、土だった可能性大!

なぜなら、『土屋根の遺跡は見つかっているが、
茅葺は想像でしかなかった』という新事実も、
最近のニュース(2018年6月13日読売新聞文化面)
で知り、見解はどうなのか、聴いてみたかったので

「地面から屋根だけ生えているような住居が
時代にそぐわないなぁと、教科書を見て、子ども心に疑問に思っていたことが、
最近、謎が解けたよ〜」と話すと、

実際に縄文時代の茅葺の屋根組みは発見されていないそう。

建物の木組みまでは、
地面の穴や出土した木材などから解析できているそうなのです。

史実とされていことは、、、想像も含まれるのですね。
やはり、自分が「アレ?本当?」と思う気持ちは大事にしなくては
と、思ったものです。

そして、建築屋としては、ついつい上モノ重視。

日本民家再生協会に入っていなかったら、
土の下や古代の歴史は
知識として学んで終わりの人生だったかもしれません。

自分の仕事や、専門知識、見識を深めるチャンスを
仲間にもらったことに、感謝ですね。

日本民家再生協会なので、しっかり、民家も見学。
茅葺の屋根が、雨に濡れて、紫陽花によく合う風景です。
(記事トップの写真)

住まいの中に、七夕の竹竿が入る吹き抜け空間も素敵でした。



3) 遺跡と民家とその先にある私たちのまち・暮らし

次の日には、神奈川県建築士会の
子ども環境を考えるメンバーの活動報告会に出席。

熊本と行き来の生活を始めてからは、報告を聴くばかりです。

発表の中には、小学生の民家体験や、
地域の現存する蔵をまちづくりに活かす検討を中学生と行ったり、
遺跡がある地域を親子で探検したりなど、、、


↑2017年度活動報告表紙

民家、遺跡、×子どもというキーワードで2日間が繋がってことに
一人苦笑いです。

大磯にある日本最初の免震構造の建物紹介も、参加者からあり
あまり知られていない、地面と建物の関連知識も、また一つ、増えて。

こうしてみると自分のフィールドワークの範囲は
決して切れておらず、
すべてに繋がっていることが実感できたのも収穫でした。

先代の知恵と頑張りがあってこそ、今の技術が改良されて出来ている。
建築のものづくりは、後世に残るもの。

遺跡と民家と、その先に、今の私たちのまち・暮らしがあるのです。

探求しながら、学びながら、このブログのテーマでもある
生活者の視点も盛り込みながら、これからも、後々の人々の暮らしを考えて
建築を創っていきたいと改めて思います。

更新を、週1度にしてから、つい長文になってしまうブログです。
最後までお読みいただいている方には、感謝申し上げます。


余談です。

土日、仕事以外でも出かけるということは、
家族のお昼や夕食の仕込みをして、
早起きして掃除と洗濯物を早めに行って、、、と
慌ただしく、自分自身の休息にはならないのですが、

やはり学びの時間はどこかに設けていこう!
と、こうして充実した時間をいただいて改めて思うのでした。

報告会では「仕事や育児の合間に参加した」と途中で
慌ただしく帰る母業建築士のメンバーも、きっと同じ思いだったことでしょう。
お疲れ様、そして、ありがとう。