先日、有名建築家による住まい&パビリオンの完成見学会に参加。
テーマは「終の住処(すみか)」をどう考えるかというもの。
個人の建て主がいる訳ではなく、民間資本の呼びかけによるもの。
住宅3棟は実験的なもので、建築的な「建物のつくり方」自体は、それぞれ個性がありユニークであった。
実際に、内部、外部空間に身を置いて感じたこと。
あ~、ここに「暮らし」はないな。
ざまざまなタイプを見て、気づきが有ったことを記しておきたい。
1棟目は、半透明の屋根を採用したディンクス向けと思われる住まい。
屋根から外の明かりが入ることで、ベッドルーム、リビングに明かりが移動するという。
光屋根の天井の様子
そこに入った途端に落ち着かない。
外部の天気の変化が全て内部空間に取り込まれてしまう。常に中の光が変化し、(一秒も待ってくれない!)間仕切りや窓のない壁の住まいでは、視線をどこに持って行ったら良いのやら。
住まいとは、外部の自然(雨や突風や太陽の熱)から身を守り、外部変化の影響をなるべく受けないで心落ち着かせるところではなかったか?
(もちろん、朝陽を感じる、風を感じる、季節感を味わうという、じんわりとした変化は大事)そんなことを考えてしまった。
(うん、天井から大量の光を入れる仕組みは、鬱の患者に使われるという光療法の病室にはいいかも?!)
2棟目は、2M角程度の立方体に(狭い!)、寝室、客間、リビングなどの機能を分けて、配置したもの。
樹木が需要な要素
空間一つ一つから見る樹木は、風景として面白い。
ここには、個人はあっても家族はないな。この狭い空間に大人二人では息が詰まるし、こどもとの関係はどう築けば良いのだろうか。そんな疑問が浮かぶ。
(うん、これは、個人でじっくり鑑賞するアートの展示空間にはいいかも?!)
3棟目は、プリミティブな素材(焼き杉、左官、暖炉)など多用し、ハシゴで上がる茶室もある住まい。18帖有るという居間は、天井が斜めのため、狭く感じる。
金ぱくを張った茶室の入口
普段私の仕事では、狭い敷地で空間をより広く感じさせるよう苦慮するというのに、全く逆の発想。
バルコニーもなく、キッチンは隅に追いやられ、各室の出入りはにじり口になっている。(腰を屈めないと行き来出来ない)茶室のにじり口(←非日常の入るために設けられたもの)をモチーフにしたようだが、生活者には不便でしかない。
住まいって、居間で飲んで寛ぐだけの生活ではないはずなんだけどな・・・。
(うん、飲み屋ならこれもありかも?!)
敷地の広さと資本に任せて好きなものを作るという趣味的な建築。終の住処って、これで良いのだろうか・・・。
どの建築も写真写りは良いし、メディアにも評価されているようだ。
いろいろと知恵を絞って、人と違うものを、世の中に示すことは建築づくりに必要。こういうプロジェクトに反対はしない。
でもね。(←あまり使いたくないが)
私は流されないぞ!メディアや業界向けに住まいは作るものじゃない。
住み手に向き合って、住み手の暮らしに向き合って考えていくものだよな。
と改めて、自分の価値観を浮き彫りにさせてもらった見学会には、感謝。
建築の良い悪いではなく、こういう刺激は、ありがたい。