せっけい日和

MKデザインスタジオ一級建築士事務所柿本美樹枝のブログです。設計者として、生活者として、多用な視点で綴っています。

薔薇と洋館、茶器にシュールな絵、西陣織とごちゃ混ぜな文化のわが国

2023年05月16日 | アート・文化


変なブログのタイトルだと、思われたでしょうね。
先のブログの続きです。
そう、1日で観て回った内容がこれなのです。

もう、帰宅時にはお腹いっぱいでした。
夜も興奮して眠れないほど!?
盛りだくさんな建築とアートと音楽体験。

久しぶりだったからでしょうね。
沢山の感動があったのです。

これまでも、心が鬱々となるとき
アートには随分と助けられてきました。
音楽やダンスにも。

先のブログに書いたように、心が晴れやかになった分、
もっと、素直に感じることが出来たように思います。

洋館に美術館にと付き合ってくれた友人には感謝!
彼女の美的センスと、知識にも、沢山の話ができて、
本当に、私は、何だか救われた感じでした。

最初は、登録有形文化財になった平塚の八幡山の洋館
横浜ゴムに払い下げられた戦前の建物で、
元はイギリス人のエンジニアを迎えて作られた火薬庫のあった場所に建っていました。



この建物は、神奈川県建築士会の先輩方が保存活用に尽力された経緯があり、勉強会でお話は伺っていました。

ただ、子育て真っ最中で見学会などには参加できず
やっと実物を拝観し、体感出来たというわけです。


外観のピンク色は、黄色の時代もあったのだとか。
パンフレットなどには、書かれていませんが、
戦前イギリス、日本、戦後アメリカが関わる中で、
この建物も翻弄されたようです。

復原と復元の違い、
建築の復原は、いつの時代に戻すかで議論されると、
この時に教わりました。

床からの出窓、特徴的なベイウィンドウ


床下換気グリルの鋳物のデザインもとても可愛らしい。


現在は、移築復原で、市民のイベント会場として、
活発に利用されているようです。

この日は、コンサートが開催されており、コントラバスとピアノの演奏を天井の高い洋館の、それでいてホールほど大規模ではない部屋で、
演奏者の息遣いも聞こえるほどの近距離で満喫しました。

保存される建物は、「市民に愛されている」という条件を、
まさに見せつけられる感じで受付の方から、中の誘導の方まで、
積極的にこの建物の特性を説明してくださいます。

こういう時は、建築の専門であることは内緒にしておくのがベター。
その姿は、市民としての誇りと喜びを感じられるからです。

素敵な空間を味合わせてもらいました。ありがとう。
残してくださった方、そして、活用してくださっている方。

次は、その足で、公園を抜けて、平塚市立美術館へ。



目的は、我らが殿、元熊本県知事で、首相も務めた
細川護煕氏の個展を見るためです。

招待券を頂いていたので、郷里の友人を誘ったのでした。


リンク先はこちら

政界を引退後、陶芸家になっているというのは、もう随分前から知ってはいました。
販売もしており、人気も高いとの噂も耳にはしていました。

作品をまじまじと見るのは初めて。そのセンスの良さに、脱帽でした。
友人はお茶をやっているので、私より茶器には詳しく、
実物も何度か観たことがあるそう。

今回は、書や歴代の作品が一堂に介し、
護煕氏の集大成とも言える個展でした。
信楽焼、美濃焼、楽焼、、、、とあらゆる焼き物がありました。

護煕氏は、様々陶芸家の第一人者の門戸を叩いて、
習っているのだとのこと。
「殿が門を叩いたら、開けないわけには、いかないよね。」
と笑い合いました。

観て回って感じたことは、作品に「欲がない」こと。

アーティストの場合、斬新なものを作って見せようとか
売れてやろうとか、突き詰めてやろうとか、
その熱いエネルギーが迸っているものですが

なんというか、素直な作りで、嫌味がない。

それが人気の秘密なのかもしれないなと思いました。

技術レベルは、素晴らしく、芸術性も高いけれど嫌味がない。
さらに、政界のトップだった人という著名人としてのブランド価値。

書籍販売コーナーで、全部作品集は買っているというご婦人と出会い、
客層を垣間見た気がします。

建築家藤森氏が、工房と茶室を創っているので、
その講演会もありました。

裏話で面白かったのが、細川氏は多くの建築家に知り合いがいる。
有名な方から、若手まで。

熊本アートポリス=建築家が熊本に作品を作る事業
を県知事時代に立ち上げた方ですから、そうなのでしょう。

だけれど、その中で、一緒にモノづくりをやってくれそうな方がおらず
藤森氏に白羽の矢が当たったのだとか。

「建築家あるある」の話に思わず、吹き出してしまいました。

スライドでは、殿自ら、銅板の外壁を施工している様子が映されました。
県知事になると箱物を作りたがるのが政治家だと思っていましたが、
このかたは、本当に自分から造りたかったのですね!

「不東」という雅号については、
「東=霞ヶ関」には関わらないという思いが
込められているのだとか。

そんなユニークな話も伺いながら、
再度作品を見て回ると、また新鮮でした。

そして、常設展では、モノクロの世界。
私の大好きな白と黒。。。究極だからです。
どんな色よりも奥が深い。

それを、様々な手法で描かれた作品を見て、打ちのめされました。
ラーの作品は、観た時は、圧巻されますが、
後々、思い出せるかというと、そうは多くはありません。

撮影可だった作品。写真よりリアル。


こちらの作品は、脳裏に焼き付いてしまいました。
恐るべし、モノクロの世界。。。

建築のモノづくりだと、どう置き換えられるだろうか。。。。
そんなことを考えながら、作品を後にしました。

最後、帰りのバスの時間を待つ間に、
立ち寄った民間の崩壊コーナーでは
西陣織で、若冲の絵を再現しているという紹介がありました。

またまたこれが見事で。
極細の絹糸で仕上がっているそれは、立体感が素晴らしいのです。
若冲の世界観を見事に表現していました。

(写真はありません。数年前から全国で巡回展をされているので
ご覧にった方も多いかもしれません)

このような活動をしているのは、技術を絶やさないためなのだとか。
帯の需要がないために、工房も相当数減ってきているそうです。

うむ。さて、どうしたものか。

「ザ・和」の掛け軸なので、
この作品を、私の設計する空間に合うかと言われると、非常に難しい。

古民家再生か、和室を作る場合か。。。。

額もあります。と見せられたけれど、
額は若冲にはふさわしくないと感じました。

どうしても、
何事も、建築の空間と結びつけて考えてしまいます。

それでも、こうしてリラックスしながら、鑑賞し
我が国のごちゃ混ぜ文化に触れて、
建築も同じだなぁ。。。なんでもありな日本と思いつつ、

リフレッシュできたことに感謝!

そして、いよいよ取り組まねば!
この数年、先送りになっていた事務所のHPの更新!

リニューアルしたくても、ソフト自体を大幅に変えないとできない
と言われて、時間的な余裕なくそのままになっています。

さぁ、出すエネルギーばかりだった数年前から
蓄積できつつある昨今。

自分自身のやりたいことに注力していきます!



休耕地の活用手法〜アートで再生された場所に立ってみて〜

2022年11月21日 | アート・文化


先週末は、まさに小春日和でした。

傾斜地のミカン畑だった休耕地を整備して、
アート空間に生まれ変わった場所、
「江之浦測候所」を訪ねました。



財団の運営ですが、
まさに総合芸術家とも言える杉本博司氏が、
プロデュースした建築であり、場でした。

案内の方がおっしゃるには、
ニューヨーム在住の作家である本人が
コロナ禍で、在日だったために、むしろ工事が進んだそうな。
(まだ、工事中の場所あり)



内容は多岐にわたり、
大変ユニークで、どの場所も興味深く

広大な敷地を、途中ベンチで海を眺めて休憩しながら
3時間かけてその場所を味わいました。

自然と、アートと、石と木と土と、、、、
融合のさせ方が、ナチュラルで、
まるでピクニック気分で巡りました。



ただ、展示されているものは、なかなかに奥が深く。
まるで、神社の奥の院を散策している感覚になります。

禅、仏教、神道、日本文化、建築に詳しくないと、
これだけの場を作ることは、難しいなと感じました。

古代の遺跡、茶室という日本建築、そして、神社の持つ聖域
そういった日本的な要素と、本物を使って表現。

そこに、トタンやガラスといった現代の材料も加えながら
古くさくならないように配慮されています。

トタン屋根の茶室


存在が消えるガラスの祠


ガラスの舞台


海にのび太鉄板の上に立つと、本当に気持ち良い〜。
ただし、中学生以上しか入館できません。




一緒に行った友人と、手すりがなく危ないので
子どもは見学できないねと、話しながら、

石仏なども、子どもにとったら、あまり面白くないかもねと、
大人にならないと分からない、
この鑑賞の醍醐味を確認し合いました。

休耕地が、このように、おとなの癒しの場所になったことは
とても喜ばしいことかもしれない、と思いつつも

子どもは場の体験ができないのは、
残念と感じてもしまいます。

その懸念以外は、本当に面白い場所でした。

ミカン畑の傾斜地が、まるでリゾート地に生まれ変わり、
多くの方が、予約制で訪れる場所となる。。。

ミカンが取れる日当たりの良い場所が
こうした、散策コースになるというのは
なかなかに、楽しいものでした。

場所を消化するには。。。ですが。

全国で起きている休耕地問題を、解決する手法の
ヒントとなりうるかなぁ???と、

自然の中に身を置きながらも
考えないわけにはいきませんでした。

一つ一つの場所の作り方、例えば
神社の向きをあえて海に向けたり、

木の根っこの磐座の場所に感動したり
と、感想は尽きないのですが、、、



一言で言えば、外国人観光客が喜びそう!
です。

作家本人もきっとそこのところを
かなり意識したのではないかと思います。

美術館では、展示を入れ替えれば何度も足を運びますが、
自然の恵み満載のこの場所なら
季節で巡る、リピーターもおられるでしょう。

日の出、満月、冬至、、、など
自然の暦の巡り方をも、楽しむ仕掛けも満載。

レイラインなど好きな方には、たまらないでしょうね。
満月の会もあるようです。

ご興味のある方は、最寄り駅から
無料シャトルバスもありますから
訪ねてみてください。

江之浦測候所
https://www.odawara-af.com/ja/enoura/

場を作るという点、
建築のあり方という点、
アートの視座など
感想を語りあってみたいものです。

そして、場作りのヒントは、、、
私は逆に、子どもの居場所をこういった風に創れないか
と、思ってしまいました。

子どもパラダイス。。。
いつかは、実現させたいものです。

最後に、今回の企画は、友人のお誘いでした。

不幸があったことや
介護疲れの私の、気分転換にと誘ってくれたのでした。

アート&自然散策の余韻に浸りながら、
一番は友人の配慮に、感動した日帰り旅となりました。

ありがたく、余韻に浸っています。

旧暦新年に向けて〜今年は「縄文」時代に見る平和な暮らしをテーマに

2022年01月24日 | アート・文化


いよいよ、来週、旧暦新年がやってきます。
(今年は2月1日)

やり残したことのブラッシュアップの時!
なのに、ダウンしてしまった先週です。

今日、やっと復活しました。

本日は、前置きを書いたのちに
新年に向けてのテーマを綴ります。

先週、風邪対策をアップしたばかりだったのに、
実は、自分自身が発熱してしまった一週間でした。

発端は、子どもの発熱。

日曜日、部活の試合で、寒い中、汗をかき、
風邪をひいても仕方ないかなと、思いつつ。

やはり、コロナが心配。。。

用心しながら、看病していたけれど
3日後には、私が発熱。
あ〜、まさかの感染!?

頭痛に喉の痛みに熱。
息苦しさは、ひどくはなかったものの、
やや胸が苦しいような。。。。

発熱後3日して、病院へ。

PCR検査は、完全に院外で行われました。

予約制で、病院の窓から、
先生が手を出して行うというもの。

はたから見たら、かなり、滑稽かもしれません。
寒かったです。
とにかく、風の冷たい日でした。

結果は、「陰性」。
ほっ。それが分かると、中に入れてもらえました。

それまでは、車中か外、
コンビニ等で検査結果を待つように指示されました。

まぁ、陽性でなくてホッとしたものの。
症状がオミクロン株に似ていたので、本当にビビりました。

「ウィルス性の風邪は、
他にもいくらでもあるからね。」
と解熱剤を出す主治医。

夜の最後の診療で、ギリギリで
診てくださったのには、感謝です。
かかりつけ医のいる有り難さ。

まぁ、そんなことで、二十四節気「大寒」
「陰を極めた」この冬です。

ここからは、もう「陽に転じる」しかないと
信じたいですね。

本題です。
春節時には毎年、個人的な目標やテーマを綴ってきました。

令和元年、神社デビュー、神道を学び、
令和二年、お寺デビュー、仏教を学び、
令和三年、陰陽道、五行説を意識し、

令和四年、は、「縄文の世界観」です。

暮らしや生活をデザインする立場から、
令和になって、日本的なものをもう一度見直そう
学び直そうと、心がけてきました。

図らずも、コロナ禍で、日本の良さ、
日本人の暮らしのあり方に社会の関心も高まる中、

実に、昨年から「縄文時代の凄さ」
に触れる機会が増えています。

以前から、関心はありました。
土器の文様の美しさなど、デザイン面では。
(写真集も持っています)

しかし、暮らしの実態などは、竪穴式住居や
狩猟生活だった。くらいしか、
義務教育で学んだことは覚えていませんでした。

国産木材の活用を手探る中、知ったのが、
古代からの杉の植林です。
杉と共に暮らしていたことが分かっているのです。

これまでも、日本人は、自然と共生してきた歴史と、
循環型の生活、、、それがどうも、縄文時代にあるらしい
というのは、漠然と情報が入ってきてはいたのですが。。。

具体的に、どうなのか?
それを現代の暮らしにどう活かせるのか?

と、興味が今、どんどん膨らんでいます。

妊娠すると急に街中で妊婦に出会う
(意識しているものは、目に入るの意味)
というように、

「縄文」が立て続けに
西暦新春に目に入ってきたので、現在、勉強中です。

女性誌の巻頭に載るエッセイの一コマ。
「私たちに生きる縄文の遺伝子、縄文論理空間」とあります。

新聞での特集。小林達雄氏のお名前が、
立て続けに、、、目に入ってきました。

1月4日の読売新聞


そこで、「縄文ランドスケープ」
(1990年代に提唱されていたとは!)
を、拝読してます。(topの写真)

建築系の人は著者にはいませんが、
方位学的な、考古学者の分析が面白いのです。

こうしてみますと、「季節感のある暮らし」を、
縄文人も、積極的に行っていたことが分かります。

環状列石の方角から、
夏至、冬至、春分、秋分の「二至二分」を
とても大切にしてきたこと。

住まいだけではなく、モニュメント的なものを建造し、
お腹を満たすだけではなく、
心を潤す暮らしを、集団でしていたに違いないなど。

一番、私が知りたいのは、
平和な暮らしをどう運営していたのか?
ということです。

三内丸山遺跡の6本巨木柱も何の目的で作られたのか
今でも、はっきりとは分かっていません。
ただ、格差もなく共同で作業したであろうと推察されています。

建造物と、暮らしと、ランドスケープデザインと、、
長く続いた定住の地。

徳川の世が400年も続いて、その長さが
世界の歴史的にも稀であることは
よく言われます。循環型の暮らしがあったことも。

比べて、縄文はさらに非常に時空のスケールが大きく
1500~1700年の定住ということが
青森であったとは、昨年学んだこと。

あぁ、縄文人がいかに、豊かで知恵があり、
共同的生活を平和に営んできたのか!
感覚としては、なんとなく分かります。

遺跡発掘から、考古学的な様々な情報が
これからも明らかになってくるでしょう。

イギリスのストーンサークルに、憧れていましたが
環状列石が、日本全国で、広範囲で発見されているとは!

吉野ヶ里遺跡は、月の観測地だったとの新説。
天体の動き、暮らしに取り入れながら
どのような暮らしが展開していたのか、想像するとワクワクします。

これからも、素敵な縄文時代に
今の暮らしに必要な循環させて、自然と生き物と共に生きる
暮らしのあり方、住まいのあり方を模索したい令和四年です。

最後に、知人の現代の縄文人、雨宮棟梁(元々大工さん)の
丸木舟旅のクラウドファウンティングはこちら。

彼も、平和と自然共生を考えるに従って、
縄文的な暮らしにたどり着いたのだとか、極端ですけど。
思想の根っこは、似ているので、応援しています。

ちなみに、NHKで、当時のやり方で
対馬海流を渡った壮大なプロジェクトの丸木舟は、
彼が作ったものです。

発掘されたものを参考に
縄文時代の道具を手作りし、
機械に頼らず、手作業の同じ方法で、
丸太を切り出し刳り抜いて作った船で、
渡りきりました!。素晴らしい!

宇宙旅行元年とも言われる、令和ですが
「縄文」も、これから、大いに注目される予感です。

空と地とでもゆうべきか、陰陽ではありませんが、
相反するものが、深堀する時代に突入した、
そんな感覚で学んでいます。

最先端技術も、古代の発掘も、両方最先端!?
だと、私は思います。

こうして、一年一年、発見や驚きが増え
人間としての視点が増えることも、幸せへの一歩なのかなと
感じています。

皆様は、どんな年に?


工芸展2020に学ぶ美の紡ぎ方2 〜建築家の展示手法〜

2020年11月20日 | アート・文化


先週末に、鑑賞した日本博、
紡ぐプロジェクトの一環
「工芸2020~自然と美のかたち〜」は

会場構成が、
建築家ということもあり

展示内容にも興味があったのですが、
建築家の展示手法とは、どのようなものかを
観に行くのも目的でした。

そこで、前回の1)展示作品に続いてのブログです。
生意気な事を申す覚悟で、綴ってみます。

2)展示の仕方

入って最初の空間の天井は、
上記写真のような吹き抜け、

そこには、日本博についての説明や、
一部の作品が展示されていました。

違和感なく、というより
むしろ空間の力に圧倒されつつ

(表慶館に入るのは初めてです。
田舎の建築学科卒業生は、こんなものです、笑)

各室には、展示台の「島」が作ってあり、
作品を裏側からも鑑賞できるようになっています。

金、銀、白、黒、、、、などテーマ分けもされています。



絵画や着物などは、壁面に。

こんなものかとスルーしてしまえば
それまでなのですが、、、、

年を重ねて様々な展示会に出かけてきた身としては
まず、アレ?と思ったのが、

<各章の説明文の位置や、文字の高さ>

通常は、展示室に入ってすぐか
大抵は入る前に説明文があるので、
読んでから中に入るのですが、

空いている壁に貼ってあるという感じで
部屋によっては、作品の途中だったり、

掲示高さも、日本語の下に
英語訳や中国語、韓国語が来るので、
文字が高くて、読みづらい。

身長のある私でも、見上げる感じ。首が疲れた、笑。
(通常の身長の日本人女性は、英語部分しか読めないのでは?)

大きな空間であれば、高い位置にある文字は
 距離をとって拝読できるのですが
今回は各室が狭く、そう離れるわけにもいかず。。。

その掲示は、展示壁の上下余白を揃えて
壁の中心に据えてあり
空間を見る限りに、違和感はありません。
見た目は綺麗に配置してあるように感じます。

あくまで、掲示を読まなければ、です。

ここで気がついたことは、
会場構成を見るだけでは、分からないことがある。
利用者の目線に立たなくては。
ということでした。

改善案としては、
余白の壁は多くあるのだから、
英語表記も、日本語も
並列に並べるべきだったのではないかと。
縦に並べるのは、
ちょっと、多言語に失礼なのではないか
との印象も残りました。

<作品と照明の関係>

黒い艶有りの天板に、作品が載っています。
すべての作品が、です。

ということは、、、
拝見しにくい作品もあります。
黒いものが其れです。

「黒楽焼茶碗」は、私の大好きな作品で
惚れ込んでいます。
美術館も京都と滋賀に見に行ってます。

今回、その微妙な抹茶色が
うまく見えませんでした。

なんだか、黒い変形したものの塊にも
見えて、同行した人からは、
「なんか、失敗作に見える形だね」
との発言が出た時は驚きました。

あ〜、この芸術性がうまく伝わらないのは
口惜しい。

ちなみに、帰ってきて、ネット上で作品を見ると
断然この方がよく見えます。
しばらくは、下記、リンク先で拝見できます。


あ〜、ちゃんと照明が当たっていたなら
と思わずにはいられません。

それから、空間にもともとある
照明器具の明かりが映り込んで
作品を照らし、観にくさを招いていたこと。

天井の照明器具や見ている人の顔も映ります。



映り込むことは、ちゃんと計算済みなのかなぁ。。。

ミニスポットが、
それぞれの作品を照らしでいるのですが、
それにも増して、会場照明が明るくて。

本来、美術品は、そこだけに
照明が当たっていて
集中して、細部まで見れるようになっています。

そんな配慮は、
工芸品にはいらないってことなのかなぁ。

照明の難しさを、とても感じました。

<展示台の高さは均等で良いのか>

展示の高さも、均等なので
大皿などは、柄がすべて見えませんでした。
よほど覗きこまないと。

作品のテーマで、章を分けた構成は
良かったと思います。

ただ、全作品が同じ高さというのは、
角度も付いていないので、物によっては、
鑑賞しにくさが残り、残念でした。

シンプルな構成で、好感が持てたのですが
作品が多様なだけに、同じ展示手法に
やや、無理があるのは、否めませんでした。

工芸作品が、素晴らしかっただけに、
観に行った方に、
感動が伝わる構成になっていたのかどうか、
どうしても、気になってか書いてしまいました。

ここでの教訓は、

名建築の空間で、何か構成しようとするのなら
相当の計算と、配慮が必要。
もしくは、徹底的に引き算か。
下手すると、空間に負けてしまう。ということ。

展示構成という、
日頃の仕事内容と違うことをする場合には
利用者目線や、作品の良さを知り尽くす人
(学芸員さんなど)と協議を重ねて、
その作品の良さを最大限に引き出す構成にすること。

そんなことが必要なのだろうなと、
大げさにも、考えてしまいました。

生きている間に、
展示のお仕事の依頼がありましたら
考えたことを活かしたいですね。

もちろん、今回の学びは、日頃の設計にも
応用できることなので、活かしていきたいと
存じます。

工芸展2020に学ぶ美の紡ぎ方 〜日本博で日本のお宝に触れる年に〜

2020年11月16日 | アート・文化

東京国立博物館前のユリノキの紅葉

東京の上野で、展覧会を見るのは、
実はあまり好きではない。

入場するまでに、長蛇の列だったり、
会場に入っても、見えるのは作品よりも
人の頭だったり、

と、まるで満員電車のような
混雑する場所だからだ。

しかし、今年は違う。

新型肺炎対策のお陰で
入場が予約制。

人数も限っているので、
実にゆったりと、鑑賞ができる。

それでも、時間が押してくると
どんどん、人は増えてくるので
朝一番に予約して行くのが良い。
という事が分かってきた。(これは、上野に限らず)

今年は、2020年のオリンピック年に絡んで
日本博が開催されている。

オリンピックはなくとも、展覧会等は予定通り開催される。
(緊急事態宣言以降からは延期で開催)

皮肉なことに、海外の観光客向けでもあったであろう
日本のお宝公開が、日本人向けになったことで
ゆったりと鑑賞ができるのだ。



これは、美術館博物館巡りが趣味の人間にとっては
非常に有難い。上野公園をゆったりと散策もできる。


写真撮影しても、人がほとんど入らないなんて!?

週末に、鑑賞した日本博、紡ぐプロジェクトの一環
「工芸2020~自然と美のかたち〜」は
会場構成が、建築家の伊東豊雄氏ということもあり

展示内容にも興味があったのだが、
建築家の展示とは、どのようなものかを
観に行くのも目的であった。

そこで、展示作品と、展示の仕方について
生意気な事を申す覚悟で、綴ってみたい。

1)展示内容

「工芸」という言葉は、英語訳がないそうである。
「Kogei」なのだそうだ。(Oには伸ばすーが付く)
    
日用品の芸術という概念は、海外にはないのだろうか?

歴史的に、支配層と、支配される(奴隷層)
という構図がある西洋文化には、
職人芸とも言える日用品は、
支配層だけのものだったからだろうか。

もちろん、ここに展示してある物は、
庶民には手の届かない、お値段のものばかりだとは思う。

それでも、「美術品」という言い方ではなく、「工芸品」というと
途端に、日常使いの息使いが聞こえてくるから不思議だ。

究極の日常美?
なのかもしない。

様々な作品を見ながら、
私の建築のモノづくりに置き換えてみると
あ〜、私も、工芸品を創りたいのかもしれない
と、思えてくる。

いわゆる大きな公共建築の斬新さが、美術品だとすると
気持ちよく快適に暮らす住まいや空間が工芸品。

美は絶対に必要と思うが、過剰さはいらない。
斬新すぎて、使えないものもいらない。

空間が大きくて、
維持管理の光熱費ばかりかかるものもいらない。

そうなってくると、
伝統的な技法を用いながら
用の美の中に、新しい試みがあるのが
工芸だとしたら、、、

私もそのような建築のモノづくりを
目指したいと思えてくるのだ。

展示の中には、え〜、なにこれ?
という不思議なデザインの漆器もあり
作品名:「守箱(しゅばこ)・海月」

究極にシンプルだけど、ひねりが効いている
というものもあった。

(外観は角ばっているけど、中は円形)
作品名:白器 「ダイ/台」
バランスが素晴らしく良くて、建築にも応用したい。

素材、技法は、古来からのもので
それをどう現代にアレンジするかで
作家さん方も相当に工夫されていることを感じる。

一番気に入ったのは、
この季節に秋らしく、微妙な葉っぱの色合いと
形のバランスが絶妙だった


作品名:「柏葉蒔絵螺鈿六角合子」(この作品は、撮影OK)

初めて知った技法「截金」
金箔を、糸のように細く切り、
筆で貼っていくというもの。
まるで織物のよう。惚れ惚れする美しさ


作品名:截金飾筥(きりかねかざりばこ)「静夜思(せいやし)」
(この作品は、撮影OK)

魚の躍動感を感じさせる作品。
「渚の印象」
画像や、ポストカードになると
その、印象が薄れてしまって残念。

気に入った作品は、
いつもなら入手するカードは
今回は、購入せず。

やはり、現物を見なければ、
その良さは感じない
ということが分かった出来事。

竹細工の花器などは、二重構造や
螺旋のような構造で、これが建築に応用できたら
さぞかし、美しかろう、面白かろう
と、建築的ヒントももらったりして。

展覧会の作品は82点ほどで
1時間あれば鑑賞できる規模であった。

じっくりと、一つ一つに向き合えたことで、
多くのことを感じて、学ばせてもらった。

感謝である。

Web上でも作品が観れます。

もし、このブログで気になった方は、
 展覧会は昨日で終了しているので、
HPで見てくださいね。

長くなってしまいました。

2)会場構成については、、、次回に続けます。