横浜から熊本に戻ったら、一つの訃報が届いていた。
室長は、病気療養の中、最後まで仕事に打ち込み、永眠したと、設計事務所のスタッフからのハガキだった。
親族のみで葬儀も済ませたとある。
とうとう、お会いすることは出来なかった。
最後に、彼女から届いた手紙には、癌を煩っていることが書かれていた。
出来上がったばかりの彼女の著書とともに。
私の母が癌でそう長くは難しいと告げられ、故郷に戻った私の報告を受けての、彼女の告白のような文面であった。
母が山場を超え今は元気になったように、彼女にも回復して欲しいと願うしかなかった。
先輩女性建築士として活躍する彼女の著書は、建築士会の仲間と回し読みをしたものだ。
家政学から建築には入って来られた方で、家族や食をとても大切にするキッチンにこだわりを持って、設計する人であった。
そんな大先輩と同じキッチンの特集で私のオリジナルキッチンが取り上げられたときは、何だか同列扱いでおこがましさを覚えたものだ。
東京と大阪で展開していた方で、大阪では、ある政治家のもと教育方針が変わり、住教育をどう展開して行くかの悩みを聞き、東京では設計した住まいを拝見させてもらう等、その都度、私に声かけ頂いたことが本当に懐かしい。
きっと、多くの住み手が彼女の知恵と工夫でHAPPYな暮らしを営んでおられることと思う。
これまで、社会のために、ありがとう。井上まるみさん。
ご冥福をお祈り致します。