せっけい日和

MKデザインスタジオ一級建築士事務所柿本美樹枝のブログです。設計者として、生活者として、多用な視点で綴っています。

名建築は強い想いから生まれる 〜本物の材料と本物の技に魅せられて〜

2019年09月30日 | 日本民家再生協会・伝統建築・造園


先週末は、日本民家再生協会の
技術部会主催の左官の勉強会でした。

建物の2階特別見学に合わせて、
埼玉県の遠山記念館にて
左官の種類、技法を学びました。

 公益財団法人遠山記念館HPはこちら https://www.e-kinenkan.com/

1)本物の凄さ

旧遠山家住宅は、昨年、国の重要文化財に指定されたとのこと。
これまで、ほとんど改修も改築工事も行って来なかったという
驚きに美しさです。

ただし、茅葺き屋根は20年に1回の取り換え工事を
行っているそうです。

昭和11年の竣工。戦前の建物。

本物の材料で、本物の技法だとここまでキープできるものなのか!
と、感嘆するばかり。

建具といい、木材といい、最高級です。
そして、日本の匠の手技には、目を見張りました。

地盤も改良も、土の入れ替えなど、
造成工事に半年はかけたというだけあって
地震被害もほとんどありません。

東日本の3.11地震の時は、
漆喰や聚楽壁の砂が落ちたようですが、そ
れも、落ちたものを集めて、再利用して修復済みでした。

下手に、手を加えると、違いが出てしまうらしく
そういったやむにやまれない場合のみ、修復されているとのこと。

見学時も、経年変化で、壁の角などが剥がれていたり、
色あせたりしているところなどありました。
それも味わいと、かえって、建築に深みを出しています。

2)左官の見本市

この建物の、左官の種類の多さ、技法の多さは
左官のプロを唸らせるほどです。

ここの「大津磨き壁」を見て、私も知る左官の第一人者が
復刻を呼びかけ、10年ほど前に、やっと復刻した技法だそうです。

今回の講師の一人は、その復刻した親方です。
素晴らしい探求精神ですね。

いろいろな細かい手業や下地のことなども解説頂き
設計者も知らないことばかりで、
その技法の世界への視野を広げてくれました。

ザクロ石(ガーネット宝石)いりの赤壁(本霞)、
キラキラです。



黄味がかった大津壁の磨き、優しい艶です。



トイレ手洗いの朱赤大津壁磨き、気分が高揚します。



こちらのトイレは明るくグリーンに。顔料を混ぜたのではないか?
の解説。


下地を浮かび上がらせる床の間の左官
色合いが淡いグラデーションに。



などなど、左官の見本市のような茶室群。
思わず、溜息も漏れます。

醤油を混ぜてわざと錆びさせ
下地の色を浮かせた
まるで、ホタルが飛んでいるかのような
ホタル壁など、遊び心も満載。



職方達も部屋毎に違い、
技を競ったようです。職人魂の息使いを感じるほどでした。

3)名建築が生まれる背景

このような名建築が生まれるのは、
どういった背景があるのかも気になりますね。

↓細い竹細工の技巧


当然、お金のある、センスのある、
建主がいて初めて成り立つ建築のものづくり。

この建主は、日興証券を起こした遠山元一氏。
幼い頃に手放した実家の再興を図ったというものでした。

そう、ここは、苦労した母のための家なのです。
(使用人10人ほどと母が暮らしたそう)

建主は、奉公から始まり、事業を起こし
そして、亡き家の再興。

きっとその再興への強い想いが原動力にもなり
成功への道へ突き進まれたのではないでしょうか。

ここには、原風景に本物の木の家と暮らしの体験があったからこそ
資産家になっても、華美で派手なものではなく、

日本の風景である民家と
書院造りや数奇屋づくりに
こだわられたのではないかと想像します。

本物を知る人だったのでしょうね。

現場監理は忙しい兄に変わって、センスの良い弟さんがなさったとか。
兄弟でタッグを組まれたものづくりも、美しい物語ですね。

学んだ日本の粋を、いつか自分の設計にも
活かせるチャンスが訪れますように。。。

同じく伝統的な建物にも携わる建築関係者と、
そんな夢の話もしながらの帰路でした。

このたびは、詳しく、解説下さった講師の方、
企画を立ち上げて、まとめて下さった仲間のみなさんには、感謝です。

ありがとうございました。

秋分の日に台風15号と17号の観測風速で、耐風基準を見直してみる

2019年09月23日 | くまもと型復興住宅03

↑彼岸花の季節です

9月の2回目の三連休、
みなさま、いかがお過ごしになったでしょうか。

台風の影響で、各地でイベントなどの
中止もあったのではないでしょうか。

私自身は、熊本での仕事があり
北海道での建築士会全国大会には申し込まず、
このお彼岸には、お墓参りをしたいと思っていました。

しかし、台風の中、安全を見て車で出かけるのを中止いたしました。
行けない時は、気持ちだけでもご先祖に想いを馳せておこうと思います。

お彼岸時期にき、台風はつきものですが
それにしても、日本全国での被害の状況に、
ちょっと、設計内容を見直しております。

構造のチェックの中で、耐風圧の計算があります。

基準となる、風速は、
建築基準法施行令第87条第2項の基準風速Vo(m/s)の数値です。

過去の台風被害から、地域によって国の基準が違います。
例えば、熊本市は、34m/sです。




熊本県では、平成12年(2000年)の告知を、
最新更新HP(平成24年(2012年)の更新)ですので、
設計では、この基準を採用しています。

最新版の2015年の構造技術基準の解説書でも34m/s です。
そこで、基本的には、
建物は、この風速で損傷しないとすることを
守る必要があります。

建具のガラスや、屋根などもこの基準を各メーカーが
守っているはずです。

さて、ここで、風速「34m/s」という数字を、
皆さんどう思われますか?

この連休中に、九州を一時的にでも
14万世帯も停電にした台風17号は、
気象庁は、最大風速30m/s、最大瞬間風速は45m/s
と規模を表示していました。

これを踏まえると
基準風速の34m/sは、このままの数字では、
少し、心許なくなってきます。

建築の基準風速は、もともと、
50年に一度来る稀な台風ということになっています。

しかし、昨今の台風上陸の多さや、大きさや強さを鑑みると
もう少し、強くしておいた方が良いのではないか?

と、思えてきませんか?

一つの基準に、品格法の、性能表示の等級があり
耐風等級1が、建築基準法と同程度となっています。

今回の設計は、当初から耐風等級2を目指したいと
思っていました。

その場合は、これの1.2倍の風速でも
損傷しないということをチェックします。

3.6m/s×1.2=40.8m/s 以上を、求めるわけです。

9月初めの千葉県の被害を大きくした台風15号は
電柱が、折れていましたね。

ニュースでは、東電の電柱は、風速40m/sに耐えられる
経済産業省の基準とのことでした。

住まいと電柱を同じにするわけにはいきませんが
折れたり、倒れたりしたということは、
風速40m/sを超えていた可能性がありますね。

これを踏まえて、構造担当とも話し合い、
今回の設計では、風速42m/sで損傷しない
強度とすることにしました。

耐力壁と柱が、少し増えますが、
昨今の気候変動期に対応して、
設計のグレードを上げておきたい所存です。


↑台風が去った後は、秋晴れ。ススキも美しく揺れています。

更に、500年に一度の台風、(50年に一度の1.6倍)の1.2倍で
で、倒壊しないという基準もあります。

今回の17号台風では、九州では被害が少ない方の熊本です。
熊本市でも22日午後11時前に27.4Mメートルを観測しています。
(NHK 熊本 NEWS WEBより)基準法の中には、入ってはいます。

一方、先の15号台風では、千葉県館山市の海上自衛隊の基地で
秒速約52メートルの最大瞬間風速を観測。
気象庁の観測記録によると館山市で過去に
観測された最大瞬間風速の1位は50.0メートル(1979年10月19日)。
これまでの記録を上回ったそうです。(朝日新聞デジタル2019年9月18日)

40年前の記録を上回ったということになります。
50年に1度以上の頻度で大きな台風が来ていることになりますね。

こうしてみると、更に基準を上げておいたほうが良いのではないか?
とも、思えてきますね。

そこで、どこまでスペックをあげるのか、過剰にならないか
建設費用とのバランスになります。

災害の頻発する昨今。

この辺りは、日々、設計者も悩ましいのではないでしょうか。

結局は、建主と設計者での判断。
建主に理解を求めながら、望まれるものにしていきたいですね。

最後になりましたが、
今回の台風で、被害に遭われた方々の
一刻も早い復旧をお祈りいたします。

そして、これから新築される皆さんの
耐風圧の設計が、時代に見合うものとなりますように。。。

心身統一合氣道熊本20周年記念講習会に参加して

2019年09月21日 | 合気道に学ぶ
本日は、とてもおめでたい場に参加させてもらった
嬉しさと共に、プライベートな人生の学びについて綴ります。

熊本地震の後、熊本でも合氣道の稽古を再開しました。

被災した建築をめぐる中で、
自分自身のブレない心を保つためです。

建築から、ちょっと横道に逸れますが、
人生についての学びは
すべての道に通じると思っています。

1)まず、合氣道を始めた経緯から、、、

もともとは、子どもが生まれて、
少しでも身を守る術を身につけられればと、
関東に居るときに親子で通い始めたのが、
合気道を始めた最初でした。

熊本では、これまで、関東で通っていた「合気会」ではなく、
「心身統一」という別の流れの会とは、
実はよく知らないままに、、、

近くで通えるところと検索した結果
出てきた道場でした。

しかしながら、通ってみますと、「気を合するの道」
とは、どういうことか、

体系的に指導いただける教室で
私にとっては、本当に良い出会いとなりました。



2)道というものは枝分かれしていく

合気道とは、もともと植芝盛平氏が開祖です。
会自体は、息子さんが引き継がれました。

高弟の中の一人、藤平光一氏が始められたのが
心身統一合氣道なのです。

関東では女性の先生に習おうと
子どもへ指導も熱心になさっていた方につきました。

自宅からは、電車で1時間弱の道のりを通いました。
女子学生さんも多く来られ、女性としては安心できました。

通われている方々は皆さん素敵な方々で、
稽古の後は、毎回お茶を用意してくださり
お茶菓子をつまみながら、交流するというのは
その先生の師匠からのお気遣いなのでした。

その先生の師匠が、
この藤平先生の一番弟子だったという
ことを、後ほど知ることとなり、
不思議なご縁を感じました。

関東に戻った時、道場を尋ねると
ご本人から、一番弟子であったが、合気会をでて、
藤平先生についていくことができなかった経緯もお聞きしました。

何事も、本家があれば分家ができるように
様々な流れの中で、少しづつ教えも形を変えながら
発展していくのでしょうね。

図にするとこんな流れです。
3)本質を掴み取る

3年探してでも、良い師匠につけ!
とは、習い事の世界。

私自身、年の半分ほども熊本の道場には通えていませんが
それでも、こうして細々と続けさせていただいているのは
本物だとの確信があるからです。

ある方にこんなことも言われました。
「世の中って、本流が本物とは限らない」

いろいろな会の流れは分かりません。
私自身は、会云々よりも
先生についていこうと決めたのです。

今は、私より後に通い始めた方々に
どんどん進級されていく様を横目に、
完全にマイペースでさせてもらっています。

そして、この熊本道場がなんと、20周年を迎えられ
宗主の息子さんである会長さんが、指導に来られました。

こちらも親子で継がれましたが、内弟子であることは
熊本の先生とは対等なのでした。

合氣道は、
『力技ではない。相手を導くことである』

という、宗主の指導の肝の部分をしっかりと
今の会長にご指導いただきました。

実際に、力ではなく「氣」で、相手を崩す(倒すではないですよ〜)
という取り組みをしました。

相手に触れるのは、ほんの指先。

これが非常に難しい、笑。

『始める前から、相手を受け入れていますか?』

と、指南されました。

「自分と相手は一体である」との気持ち、
心持ちになっていますか?ということですね。

家族も、子育ても、仕事の人間関係も。。。
相手と向き合う時は同じということです。

次の熊本道場での稽古の時に
この稽古を踏まえて、

「相手によって出来る時とできない時があります」
という質問に対して

熊本の先生は
「それは自分の心に思い込みがあるからです」と。

そう、自分の中に、「この人は体が大きいから
倒れない」という思い込みが無意識に生じているというのですね。

この無意識の部分を変えていく作業でもあるわけです。
だから、稽古するのですね、笑。

4)力ではないとはどういうことか?

最低限の筋力や力は必要です。
氣も出しておくことが大事なので
健康体であることも基本ですね。

合氣道の基本姿勢「一点から、動く」ことが大事で、

力を入れないという感覚は、
実は、自分の力だけではなく、
天と地の力も加わって動いているということなのです。
 (これは足裏の感覚で味わう必要あり)

現在、ラグビーのW杯が開催されていますが、
会長は、以前代表選手に、稽古をつけられたこともるそうです。

具体的な稽古の内容は掲載不可なので
ここでは、概念と報告だけに留めておきます。

まずは、相手を受け入れつつ、自分が天地と一体となり
ぶれない心身を保つ、心静まった人間になれるよう
日々の生活で、生かしていきたいですね。

祝賀会では、
「長く続けることが大切だよ」と長年稽古されてきた方の
お言葉を頂戴しました。

熊本城の詩吟も来賓がお披露目されて、盛り上がりました。



会長のサイン本もビンゴで当たりました。
(心が静まっていないことが見抜かれた!?、笑)



記念品も大事に愛用します。
導いていただいている諸先生方
稽古仲間のみなさまに感謝して。

段をとることに焦らず
息長く、続けて参ります。

ありがとうございました。



被災で建て替えられた熊本の「四賢夫人館」を見学 〜男女平等の社会を切り開いた先輩に想いを馳せる〜

2019年09月16日 | 熊本便り
 
 
被災で建て替えられた、移転した
益城町の「四賢夫人館」を見学しました。

建物は、図面を参考に間取りと外観を復旧されたそうです。
完成は、今年の春でしたが、先週やっと伺えました。

伝統工法の木組みもあります。


建築も、女性の生き方も学んだひと時を綴ります。

熊本肥後おごじょ。肥後猛婦の呼び名も高い
矢島楫子はじめ、矢島家の三女〜六女を四賢夫人と
熊本では呼んでいます。



施設の学芸員さんによれば、矢島家には、娘は七女おられ
家庭には入られた方も立派であったそうです。

この四人は、社会活動された方や
有名になった方を取り上げている
との解説でした。

「女の生き方に、偉いも、偉くないもない」と、
暗に諭されているような気持ちになりました。

小説のモデルにもなっている矢島楫子については
奔放な生き方(年下男性との恋)をされたイメージが強いが、
世間の誤解もあると解説されました。

今で言えば、DV状態から、命からがら逃れ、
子どもを置いての離縁。

その後、自立し、男女平等に尽くした、
忍耐強かった女性であるとのことでした。

実は、その離縁先である林家も、町の町史にのる名家で、
熊本地震後は、被災した様子を調査に行きました。




伝統家屋であり、手入れもなさっていたことから
倒壊は免れていました。



そこでも、矢島楫子の話が出たのです。

この家で様々な想いが交錯したことを、その時は
地震被害と重なって、複雑な心境になりました。

この記念館を訪ねて、子どもを置いてまで、
逃げなければならなかった事情も知り

その時に感じた女の生き方への
もやもやした気持ちが晴れて良かったです。

いろいろな経験が、社会活動への原動力となり
最後は、世界平和を訴えた一人の女性の生き方。

そして、他三人の女性の生き方も通じて
確信したことは、

どんな過酷さでも受け入れ、

自分の置かれた立場、状況で、
精一杯に信念を貫くということです。

時に、猛女と揶揄されても。。。
命を落としては何にもなりません。

逃げることは恥ではないのです。
甘んじず、しかし、その後もちゃんと前進する。

それぞれが、立場は違っても
女子教育や、学問に打ち込んだ方達でもありました。

学びと、信念。

それが「賢さ」であるということを実感しました。

さて、自身の生き方と照らしてどうか。。。。
この部分は、じっくりと見つめたいと存じます。

先人の先駆者達に学んで、生き方を振り返る
そんな機会を与えてくださったこの記念館再建に

ご尽力くださった方々と、解説してくださった
地域に誇りをもたれている女性学芸員さんには、
大感謝です。

建物自体は、以前の記念館よりも大きくなり
予算も約8千万円弱と、立派な建築となっています。

これも、創造的復興でしょうか。。。

この町あげての復興には、空港からも近く
今後多くの方が利用してくださることを願います。

お近くに行かれた方は、立ち寄られてみてください。
杉堂の潮井自然公園の中にあります。


建築の新陳代謝は、文化を残せるのか?! 〜町並みや建物を保存する意味とは?〜

2019年09月14日 | まちづくり


熊本市では、交通センターの新ビル
サクラマチ熊本のオープンに、バス無料、
藤崎宮の例祭での飾馬と、
中心部が、熱く盛り上がった連休初日です。

屋上庭園にはくまモンも。


そんな中、建築士会では、
ヘリテージマネージャー(地域歴史文化遺産保全活用推進員)
の講習会が行われ、

伝統的建物の熊本地震被害調査結果と
修復の進捗報告の講義がありました。

私が修復に関わらせて頂いた建物も
事例として、紹介して頂きました。
ありがとうございます。

多くの方々の支援があり、
調査研究がある中で、
解体されゆく熊本の歴史的建物。

城下町である新町古町の伝統家屋の調査結果では
年々、取り壊される数が増えているという報告でした。


残らない、故郷の風景もあり、
切なくもなるのでした。

新しい商業施設が完成する裏で、
市民が保存活動をしていた
貴重な公共のモダニズム建築が、

耐震に多きな問題なくとも、
壊されゆく建物。更地となり、駐車場となってしまいました。

まちの風景とは?景観とは?
何なのでしょうか。。。

建築に、政治、経済が絡むのは、
生業として良く理解しているつもりです。

しかし、時の自治体の長の判断で、
こうも町並みが変わっていくとは。。。

建築が新陳代謝していかなくては
私たちの生業も成り立ちません。

しかし、これまでの町の形成や時代を反映する建築を、
簡単に取り壊し、地域の文脈を断ち切ることは
暴力的ですらあると感じます。

その中で、文化としての建築の価値をどう見出し、
伝えていくのか、本当に難しいと感じています。

↓講師が学生時代に関わられた保存運動の紹介。
一部は保存されました。



今回の講義では、とても良いヒントを頂きました。

「なぜ、歴史的な町並みや建物を保存することが求められるのだろうか?」

という問いです。

「記憶の継承とは?」

建築の専門家ではなく、哲学者(桑子敏雄)が著書「空間の履歴」の中で
こう述べられているそうです。

「空間に蓄積されたものを踏まえながら暮らすことと
そんなことも知らずに暮らすことでは、何が違うのか。。。

それは、とんでもない違いを引き起こす」と。

少し、略させていただいて紹介すると、テキストには、

「それは、人が自分というものを理解する度合いに違いをもたらす

「自分の履歴は、どういう場かによって、人の履歴も変わってくる、、、」

「自己の内に、空間の意味が組み込まれないと、それだけ内容の乏しい人生になる

とあります。

『空間に目を向けること=じつは自分を大切にすること』

という結論です。

そうなのですよ!

私が抱えていたもやもやが、これでスッキリしました。

空間を環境と置き換えても良さそうですね。

つまり、突然変わる風景の町並みでは、
人は生きて来た履歴を断ち切られるのですね。

だから、保存を求める市民活動が
自然を湧き上がってくるのですね。

活動に参加する人たちは
自分をしっかりと見つめている人たちとも言えますね。

住まいは、暮らしを重視した空間で
潜在意識の中に、大きな影響を及ぼす空間は
本物の材料でありたいと

自分の想いや方向性を
建築のものづくりに落とし込んでいるつもりでいました。

それでも、活動や行動の自分自身の原動力は
何であるのか、漠然としていたのです。

それがこうして、自己を見つめることに等しいと、
言葉にしていただくと、スッキリします。

哲学者の役割って凄いですね。

つまり、建築は、人の履歴をも形作るということですね。
心して、取り組まねば。

その他にも

「新しい建物だけではなく、
歴史的な町並みや建物が適度に混在することが
都市の魅力を増す」

と、講師の先生には、締めくくっていただきました。

学生時代に、都市計画や建築計画を学んだ時に
そんなの当たり前と、思っていたことを

こうして社会との関わり=建築を学んでいない方
とのコミュニケーションには、解りやすい共通言語が必要
という部分で四苦八苦します。

その部分を共有することが、
哲学者の言葉で、得られたことは大きい収穫でした。

まだまだ、勉強不足ですね。早速著書を拝読します。

これからも、建築士に何が出来るか
仲間と共に学び、考え
技術を身につけ、行動して行きたいですね。

講師の先生方、
事務運営の皆様ありがとうございました。