この世界の憂鬱と気紛れ

タイトルに深い意味はありません。スガシカオの歌に似たようなフレーズがあったかな。日々の雑事と趣味と偏見のブログです。

その樹の枝になる果実は甘美で、根から染み出る樹液は腐敗臭が漂う。

2005-08-06 12:02:04 | 政治・経済・時事
ある村の外れにとても大きな樹がありました。
その樹の枝になる果実は甘美で、人々の暮らしに豊かさをもたらしていました。
しかし根から染み出る樹液は腐敗臭が漂い、それは到底人々の耐えうるものではありませんでした。
このとき村人達の選択は二つしかないように思われます。
一つはその樹の果実が人々の暮らしに掛け替えのないものであるなら、樹液から漂う腐敗臭には我慢する。
もう一つは腐敗臭がどうしても耐えがたいものであるならば、果実は諦め、その樹を切り倒す。
この二つの選択肢しかないですよね。
腐敗臭が発生しないようにすべての根を切り取り、なおかつ果実は収穫しようとするのはあまりにも虫のいい話です。
原子力とはいわばこの“大きな樹”に似ているのではないでしょうか。
毎年、八月過ぎのこの時期になると普段にも増して核兵器の廃絶が多くの人から訴えらます。
その主張自体はまったくもって正しいと思います。
核兵器がこの地球上から無くなれば、それ以上望ましいことはないでしょう。
けれど、、、核兵器廃絶を訴えている人の中で、核兵器が原子力という“大きな樹”の根であるということを理解している人ってどれぐらいいるんでしょうか。
それともそれはそれ、これはこれって器用に分けて考えているんでしょうか。
原子力発電が総発電量のおよそ30%を占め(この割合は年々上昇していますが)、さらに毎年の消費電力が最高値を更新する中、一体どう考えているのかが知りたいです。
もし仮に、地球上の全ての核兵器が廃棄されることになりました!
でも同時に全ての原子力発電も停止することになりました!
そのため電力が不足して多少生活が不便になるかもしれませんが、我慢してください!!というような状況になったら、そのことを受け入れられるだけの覚悟が出来ている人ってどれぐらいいるんでしょう。
ちなみに自分は今年になって自室のクーラーを一度も運転させていません。
それは何も原子力発電が停止した時の予行演習っていうわけではなくて、たまたま運転させなくても耐えられるから運転させてないだけのことなんですけどね。
ですから、別に自分に核兵器廃絶を声高に訴える資格があると思っているわけでもないのです。
それはそうと、この地球上から核兵器がなくなればよいと思っている方へ、もしよかったら、今日8/6と明々後日の8/9の二日間だけでもクーラーなしで過ごしてみませんか。
そしたらあなたの主張にどれぐらいの重みがあるのか、すなわちあなたがそれをどれだけ本気で訴えたいのかがわかるかもしれません。
コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする