宮崎駿監督、『崖の上のポニョ』、8/14、TOHOシネマズトリアス久山にて鑑賞。2008年35本目。
お盆休み期間中にも関わらず、TOHOシネマズトリアス久山が映画料金¥1000というサービスディを設けてくれたので映画のハシゴをしてきました。よっ、TOHOシネマズトリアス久山の太っ腹!!
どーでもいいことなんですが、以前TOHOシネマズトリアス久山(これまたどーでもいいけど名前が長いよね・・・。)に行ったとき、完全にカーナビに頼りっきりだったのですが、そのとき福岡市内を突っ切るよーなルートを指示され、自宅から一時間半もかかっちゃいました。
いくら何でもそりゃかかりすぎだろーと思って今回はある程度自分の勘を信じて行ったら四十分ほどで着いちゃいました。下手したら佐賀市内のシネコンより近いよ。あんまりカーナビに頼りすぎるのも考え物ですね。
さて、本日一本目に観たのが宮崎御大の『崖の上のポニョ』。千円なら観てもいいかなと思って。話題にもなってるしね(つまり作品そのものにはあまり惹かれるものがないってこと)。
まぁ何ていうか、いろいろわかんない映画でしたね。
中でも一番わかんないのが主人公宗介の母リサの行動。
ポニョが滅びの水って奴を解放したものだから、宗介たちの住む町を大洪水が襲います。止められたにも関わらず、猛烈な嵐が吹きすさぶ中、宗介を連れて働いている老人ホームから強行に家に帰ろうとするリサ。
なんで???
この後の展開を見ても危険を冒してまでどうしても家に帰らなければ理由って特に感じられないのだけれど?
どうにか家に帰り着いて(途中ポニョと合流)、安堵する三人。ここまではわかるよ。でも夫の安否が知れないというのに(というかフツーに考えれば夫は死んでいる)のんびりお茶を飲んだり、ラーメン食ったりする(リサが食べた描写はない)、その神経がわからない。さて、お茶しよっか?じゃねーよ!!
さらにわからないのが働いている老人ホームの様子が気になるという理由で幼い子供たち二人を残して出かけるリサ。
待て待て待て。
老人ホームが気になるっていう気持ちはわからないでもないよ?でもさ、今そばにいてあげなきゃいけないのは子供たちの方じゃないの?老人ホームの方には他に付き添いの職員がいないってワケじゃなし。
必ず戻ってくるから、などというテキトー極まる約束をして出かけちゃうリサ。もちろんこの約束が果たされるわけはない。
一連のリサの行動は、自分が物語の登場人物で、物語の結末がどーなるかを知っている人間のそれだよね。
まぁ確かにリサがそういうふうに不自然な行動を取らなければ物語は進まないわけなんだけれど、そういった不自然さを少しでもなくすのがストーリーテラーとしての務めではないだろーか。
宮崎御大はこの映画を主人公たちと同じ、幼い子供たちのために作ったと聞きます。
でもたまたま隣りに座っていた五、六歳の女の子が保護者と思しき男性にエンドロールが流れ始めてこう言いましたよ。
「やっと終わったねー」って。
この一言に本作の存在意義は要約されていると思います。
お気に入り度は★★、お薦め度は★★★(★は五つで満点、☆は★の半分)といったところです。
ps.この映画を観た子供が海水魚を真水で飼おうとしたり、魚の餌にハムとか与えたりしなければいいんですけどねぇ。子供って影響受けやすいから。。。
お盆休み期間中にも関わらず、TOHOシネマズトリアス久山が映画料金¥1000というサービスディを設けてくれたので映画のハシゴをしてきました。よっ、TOHOシネマズトリアス久山の太っ腹!!
どーでもいいことなんですが、以前TOHOシネマズトリアス久山(これまたどーでもいいけど名前が長いよね・・・。)に行ったとき、完全にカーナビに頼りっきりだったのですが、そのとき福岡市内を突っ切るよーなルートを指示され、自宅から一時間半もかかっちゃいました。
いくら何でもそりゃかかりすぎだろーと思って今回はある程度自分の勘を信じて行ったら四十分ほどで着いちゃいました。下手したら佐賀市内のシネコンより近いよ。あんまりカーナビに頼りすぎるのも考え物ですね。
さて、本日一本目に観たのが宮崎御大の『崖の上のポニョ』。千円なら観てもいいかなと思って。話題にもなってるしね(つまり作品そのものにはあまり惹かれるものがないってこと)。
まぁ何ていうか、いろいろわかんない映画でしたね。
中でも一番わかんないのが主人公宗介の母リサの行動。
ポニョが滅びの水って奴を解放したものだから、宗介たちの住む町を大洪水が襲います。止められたにも関わらず、猛烈な嵐が吹きすさぶ中、宗介を連れて働いている老人ホームから強行に家に帰ろうとするリサ。
なんで???
この後の展開を見ても危険を冒してまでどうしても家に帰らなければ理由って特に感じられないのだけれど?
どうにか家に帰り着いて(途中ポニョと合流)、安堵する三人。ここまではわかるよ。でも夫の安否が知れないというのに(というかフツーに考えれば夫は死んでいる)のんびりお茶を飲んだり、ラーメン食ったりする(リサが食べた描写はない)、その神経がわからない。さて、お茶しよっか?じゃねーよ!!
さらにわからないのが働いている老人ホームの様子が気になるという理由で幼い子供たち二人を残して出かけるリサ。
待て待て待て。
老人ホームが気になるっていう気持ちはわからないでもないよ?でもさ、今そばにいてあげなきゃいけないのは子供たちの方じゃないの?老人ホームの方には他に付き添いの職員がいないってワケじゃなし。
必ず戻ってくるから、などというテキトー極まる約束をして出かけちゃうリサ。もちろんこの約束が果たされるわけはない。
一連のリサの行動は、自分が物語の登場人物で、物語の結末がどーなるかを知っている人間のそれだよね。
まぁ確かにリサがそういうふうに不自然な行動を取らなければ物語は進まないわけなんだけれど、そういった不自然さを少しでもなくすのがストーリーテラーとしての務めではないだろーか。
宮崎御大はこの映画を主人公たちと同じ、幼い子供たちのために作ったと聞きます。
でもたまたま隣りに座っていた五、六歳の女の子が保護者と思しき男性にエンドロールが流れ始めてこう言いましたよ。
「やっと終わったねー」って。
この一言に本作の存在意義は要約されていると思います。
お気に入り度は★★、お薦め度は★★★(★は五つで満点、☆は★の半分)といったところです。
ps.この映画を観た子供が海水魚を真水で飼おうとしたり、魚の餌にハムとか与えたりしなければいいんですけどねぇ。子供って影響受けやすいから。。。