この世界の憂鬱と気紛れ

タイトルに深い意味はありません。スガシカオの歌に似たようなフレーズがあったかな。日々の雑事と趣味と偏見のブログです。

ゾンビ侍。

2008-08-28 00:56:26 | プロット
 小説を書かなくなって随分たちます。
 小説を書かなくなった理由は、小説を書く理由がないからです。
 ん?日本語が変かな?
 ま、ともかく、理由がないと小説なんて書けるもんじゃないです。
 熱心な愛読者がいるわけじゃなし、書きたいと思う欲求があるわけじゃなし、創作活動なんてものは労多くて得るものなし、おそらくもう生涯小説なんて書かないんじゃないかな、と思います。

 とはいえ、小説のアイディアだけはぽこぽこと頭の中に沸いて出て、それをそのまま捨て置くのも勿体ないよーな気がするので、プロットという形で残していこうかと思います。
 そのプロットの記念すべき(かどーかはわからない)第一弾が『ゾンビ侍』。

 時は戦国時代。
 君主三雲成久より佐鳩村(さばとむら)の死人返りの噂の調査をするように命じられた村上誠十郎。単身佐鳩村に赴く誠十郎だったが悪辣な罠にかかり、彼自身も生き死人にされてしまう。
 だが彼の幼馴染であり、想い人である咲輝姫への思慕の情が誠十郎から人間の心を失わせないのだった・・・。

 まぁストーリーに特に捻りはないです。ゾンビものに時代劇を組み合わせたら面白いかと思った、ただそれだけ。
 ゾンビものって基本的に武器は銃じゃないですか。その銃の弾が切れたらあとは手近なものを武器にして応戦するってことが多い。
 でもどーせならゾンビを日本刀でバッサバッサとぶった切っていったら、さぞかし爽快なんじゃないか、そう思ったわけです。
 ほら、今現代劇で主人公が日本刀を振り回したら何かと問題になるじゃないですか。時代劇だってほとんど血飛沫の出ない決闘シーンがあったり、何かと制約が多い。
 でもその点相手がゾンビだったら遠慮は無用、胴体を真っ二つにしようが、頭から唐竹割りしようが、どんな残酷な殺し方、いや、倒し方をしても問題ないわけです。何しろゾンビなんだから最初から死んでいる。笑。

 このお話、特に捻りはないのであまり深くは考えてないのですが、最後のシーンだけは決めています。
 
 最後の生き死人を倒した誠十郎は刀を地面に突き刺すと手近な岩に腰を下ろす。
 彼の背後で朝日が昇る。
 朝日を眺めて感嘆する誠十郎。
「朝日とは何と美しいのだ・・・」
 それだけをつぶやくと彼の体はゆっくりと崩れていき、やがて塵と化してしまう。
 
 このラストはいいんじゃないかって自分では気に入ってます。
 誰か映画化してくれんかいな?笑。

 あと、同じようなプロットの映画はすでにあるよ~という情報や、このお話、あのゲームに似てるよねー、とかいうツッコミは別に欲していませんので、そこのところ、よろしくお願いします。
コメント (8)
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