この世界の憂鬱と気紛れ

タイトルに深い意味はありません。スガシカオの歌に似たようなフレーズがあったかな。日々の雑事と趣味と偏見のブログです。

『モールス』、美少女ヴァンパイア、中身は…?

2011-09-03 23:01:56 | 新作映画
 マット・リーヴス監督、クロエ・グレース・モレッツ主演、『モールス』、8/14、天神東宝にて鑑賞。2011年26本目。


 自分は映画に関してはオリジナル尊重主義です。
 昨今のハリウッドにおけるリメイク依存には感心しません。
 リメイクが許される場合もあるとは思ってます。
 条件を上げると、
1.オリジナルの根幹をなすアイディアは素晴らしいが、全体的な出来は残念なものである。
2.オリジナルが製作された年代が古く、今では多くの人がその存在を知らない。

 2.の条件に当てはまる近作は、洋画では『トゥルー・グリット』、邦画では『十三人の刺客』などがあります。
 『トゥルー・グリット』のオリジナルは1969年、『十三人の刺客』の方は1963年ですから、これらの作品をリメイクするのは誰に気兼ねをすることでもないでしょう。

 一方1.の条件に当てはまる作品はそれほど多くありません。
 なぜなら、そもそも不出来な作品をリメイクしようとは誰も思わないからです。
 強いて言えば、『ザメッティ』がそうかな(といってもリメイクの方は未見)。
 あれを見てもなぜリメイク作品を作ろうという気になったのかはわからなかったですね。

 さて、マット・リーヴス監督『モールス』ですが、この作品は2008年のスウェーデン映画である『ぼくのエリ 200歳の少女』のリメイクです。
 単独で観れば決して出来は悪くないし、リメイクとしてそれなりに工夫の跡も窺えるけれど、でもやっぱりリメイクする意義は見いだせなかったかなぁ。
 誰かに、『モールス』を劇場で観る価値はあるか?と聞かれたら、いや、『ぼくのエリ』をDVDで見ればいいんじゃないの?って答えるでしょうね。

 で、改めて『モールス』を観て思ったのは、これは(オリジナルであれ、リメイクであれ)ひどい話だなぁということです。
 主人公のオーウェンは隣室から中年男性の怒鳴り声を耳にし、翌日、アビーに父親から虐待されていないか?と尋ねます。このとき彼女はそんなことはされていないと答えます。
 しかし真相は、吸血鬼のアビーが渇きに耐えきらず、従者である男性に当たり散らしていただけなのです。
 つまりアビーは、見かけは美少女であり、その気になれば幼気な女の子のふりをすることも出来るけれど、中身は立派なオッサンだってことです。
 この『モールス』は(そしてオリジナルの『ぼくのエリ』も)オッサンであるアビーが新たな従者を見つけるために、初心な少年を誑し込んだお話である、と見ることが出来ます。
 ひどい、、、お話ですよね。

 そしてもう一つ、ヴァンパイアものとして見た場合、非常に詰めが甘い。
 アビーがオーウェンの住む町に引っ越して、三週間かそこらで四人の人間が無残な最期を遂げています。
 これは、吸血鬼であるアビーの食糧となるために殺されたのですが、三週間で四人では、あまりに人死にが多すぎます。
 これではとてもヴァンパイアが人間社会に溶け込んで生きていけるとは思えません。
 そこらへんは原作の小説では上手く処理しているのかもしれませんが、映画では、無理があるなと思いました。

 結局のところ、この作品に限らず、ヴァンパイアものというのは、細かな設定を気にせず、耽美な世界観と雰囲気だけを楽しむものなのかもしれませんね。


 お気に入り度は★★☆、お薦め度は★☆(★は五つで満点、☆は★の半分)です。
コメント (2)
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