座右の銘というほどではありませんが、好きな諺に「情けは人の為ならず」というものがあります。
情けは人の為ならず、読んで字の如く、情けをかけても相手の為にならないから情けはかけるものじゃないという意味です。
というのは嘘です。
本当の意味は、情けをかける、つまりこの場合は親切をするということですが、誰かに親切をすると、巡り巡って最終的に自分自身を助けることになる(だから親切をしろ)、ってことです。
わかりやすくいうと、親切をするときには自分自身への見返りを期待しろ、ということですね。
え?その解釈は違う?そうですかねぇ、違いますかね?
ま、解釈についてはさておき、少なくとも自分は誰かに親切をするときは常に見返りを期待してますよ。そしてそのことで誰かに非難されるいわれもないと思ってます。
ただ一つ断っておきたいのは、見返りという言葉にはずいぶんダーティなイメージがありますが、自分は見返りとして、何も金銭や金目のものを要求しているわけではない、ということです。
自分が親切をする場合に求める見返りは、見知らぬ人であれば、感謝の言葉であり、また笑顔です。そして知人・友人であれば、変わらぬ友情です。
そんなものを求めて親切にするのは間違っている!!という方もいるかもしれませんが、そういう方は自らの信条に従って、相手に何も対価を求めず、親切を施せばよいでしょう。自分には真似出来ませんが。
しかし最近は、というかずっと以前からですが、変わらぬ友情を求めるのは砂漠で蜃気楼を追うようなものかもしれない、なんて思ったりもしています。
自分自身は何も変わっていないつもりなんですが、ふと気がつくと、親しかったはずの友人と疎遠になってたりして…。
以前はこのブログにも頻繁に書き込みをしてくれていたのが、もうずいぶんとその名前を見かけない。
時がたつ、というのはそういうものなのかもしれませんが、やはりどうしようもなく寂しくなります。
でもこれからも自分は、見返りを求めて情けをかけていくつもりです。
そういう生き方しかもう出来ません。
ps.あ、そうそう、見返りに金銭や金目のものは要求しないと書きましたが、あえて金銭でそれに応じたいという方にはもちろん善処させていただきますので、遠慮されなくていいですからね。笑。
情けは人の為ならず、読んで字の如く、情けをかけても相手の為にならないから情けはかけるものじゃないという意味です。
というのは嘘です。
本当の意味は、情けをかける、つまりこの場合は親切をするということですが、誰かに親切をすると、巡り巡って最終的に自分自身を助けることになる(だから親切をしろ)、ってことです。
わかりやすくいうと、親切をするときには自分自身への見返りを期待しろ、ということですね。
え?その解釈は違う?そうですかねぇ、違いますかね?
ま、解釈についてはさておき、少なくとも自分は誰かに親切をするときは常に見返りを期待してますよ。そしてそのことで誰かに非難されるいわれもないと思ってます。
ただ一つ断っておきたいのは、見返りという言葉にはずいぶんダーティなイメージがありますが、自分は見返りとして、何も金銭や金目のものを要求しているわけではない、ということです。
自分が親切をする場合に求める見返りは、見知らぬ人であれば、感謝の言葉であり、また笑顔です。そして知人・友人であれば、変わらぬ友情です。
そんなものを求めて親切にするのは間違っている!!という方もいるかもしれませんが、そういう方は自らの信条に従って、相手に何も対価を求めず、親切を施せばよいでしょう。自分には真似出来ませんが。
しかし最近は、というかずっと以前からですが、変わらぬ友情を求めるのは砂漠で蜃気楼を追うようなものかもしれない、なんて思ったりもしています。
自分自身は何も変わっていないつもりなんですが、ふと気がつくと、親しかったはずの友人と疎遠になってたりして…。
以前はこのブログにも頻繁に書き込みをしてくれていたのが、もうずいぶんとその名前を見かけない。
時がたつ、というのはそういうものなのかもしれませんが、やはりどうしようもなく寂しくなります。
でもこれからも自分は、見返りを求めて情けをかけていくつもりです。
そういう生き方しかもう出来ません。
ps.あ、そうそう、見返りに金銭や金目のものは要求しないと書きましたが、あえて金銭でそれに応じたいという方にはもちろん善処させていただきますので、遠慮されなくていいですからね。笑。