武富健治原作、河合勇人監督、長谷川博己主演、『鈴木先生』、1/12、ユナイテッドシネマキャナルシティ13にて鑑賞。2012年2本目。
世間ではAKB48の河西知美の手ブラ写真が物議を醸しだしているようですが、自分には何が問題なのか、ぶっちゃけよくわかんないですね。
一部では、あの写真は児童ポルノを想起させるなんて言ってる人もいるようですが、それはさすがに無理があるだろうと思います。
あれが児童ポルノだというなら、西洋絵画の宗教画なんて見てらんないですよ!!こちら。
ブグロー「春の再来」、ジェローム「ヴィーナスの昇天」、アンリ・カミーユ・デンジャー「アフロディーテとエロス」etc、あられもない恰好をした女性に男の子がまとわりついている絵ばっかり。笑。
断っておくと、AKBや手ブラ写真、まして児童ポルノを擁護しているわけじゃないですよ。
AKBのあこぎな商売のやり方には嫌悪感しかないし、手ブラ写真はセンスがなさすぎる。児童ポルノは根絶して然るべきでしょう。
ただ、裸婦と少年の組み合わせは必ずしも児童ポルノではないだろうと言いたいのです。
なぜいきなりこんなことを持ち出したかというと、手ブラ写真を見て問題だと思った人は映画『鈴木先生』を観てどう思うのだろうと興味があるからです。
何しろ主人公である鈴木先生は妊娠中の妻がいるにもかかわらず教え子である生徒(それも中学生!)に欲情してしまう先生ですからね。
劇中、その教え子を欲望のはけ口にしてしまう(夢を見る)シーンが三度もあるんですよ。
どんだけ溜まりまくっとんねん!と言いたくもなります。
ヤバさだけでいえば、手ブラ写真の比じゃない。笑。
突然ですが、すこぶる美人の女性がいたとして、その女性を犯したいと思うことって悪いことですかね?
また、ムカつく奴をぶっ殺してやりたいと思うことは?
何言ってんだ、どちらもダメに決まってるだろうという人がいるかもしれませんが、自分はそうは思いません。
むしろ、いい女がいれば抱きたいと思うこと、ムカつく奴がいれば殺してやりたいと思うことは健全であるとすら思います。
じゃ、いい女がいれば好きに犯していいのか、ムカつく奴がいれば好きにぶっ殺していいのかというとそんなことは絶対にない。
好きな女性が出来ればその女性に気に入られるように努力する。
ムカつく奴がいればそのストレスを自分の中で消化する。
つまり、どのような(不健全な)ものであれ、欲望を持つこと自体は健全だと思うんですよね。
そしてその欲望が世間的に見て非常識なものであれば理性によって抑え込む、もしくは消化する。
それが人間の心の在り様だと思うのです。
欲望と理性、車でいえばアクセルとブレーキですね。
今の世の中って欲望を持つこと自体が悪だ、と捉えられてませんかね。
そうかな?って思うのです。
問題なのは欲望を持つことではなく、それを理性で抑えられないことなのでは?
一昔前でいえばキレやすい子供?
犯したい女は犯し、ぶっ殺したい奴はぶっ殺す。
それはブレーキの壊れた車ですよね。
鈴木先生は教え子に欲情はしても、もちろんそれを実行に移すなんてことはしません。
自らの欲情に対峙し、分析し、最終的には自分自身をより高みに進めるための原動力とする。
実に人間らしいと言えるのではないでしょうか。
今までの教育ドラマって結局のところ主人公の教師が聖人君子ばかりで、そこが胡散臭くて好きになれなかったのですが、そうではない『鈴木先生』はそれが画期的で魅力的なのではないか、と思います。
テレビシリーズを見ていた人は必見ですが、先に映画を観て、その後テレビシリーズをDVDで見るという逆パターンもアリだと思いますよ。
なかなかそういう人はいないと思いますが…。
お気に入り度は★★★★、お薦め度は★★★(★は五つで満点、☆は★の半分)です。
世間ではAKB48の河西知美の手ブラ写真が物議を醸しだしているようですが、自分には何が問題なのか、ぶっちゃけよくわかんないですね。
一部では、あの写真は児童ポルノを想起させるなんて言ってる人もいるようですが、それはさすがに無理があるだろうと思います。
あれが児童ポルノだというなら、西洋絵画の宗教画なんて見てらんないですよ!!こちら。
ブグロー「春の再来」、ジェローム「ヴィーナスの昇天」、アンリ・カミーユ・デンジャー「アフロディーテとエロス」etc、あられもない恰好をした女性に男の子がまとわりついている絵ばっかり。笑。
断っておくと、AKBや手ブラ写真、まして児童ポルノを擁護しているわけじゃないですよ。
AKBのあこぎな商売のやり方には嫌悪感しかないし、手ブラ写真はセンスがなさすぎる。児童ポルノは根絶して然るべきでしょう。
ただ、裸婦と少年の組み合わせは必ずしも児童ポルノではないだろうと言いたいのです。
なぜいきなりこんなことを持ち出したかというと、手ブラ写真を見て問題だと思った人は映画『鈴木先生』を観てどう思うのだろうと興味があるからです。
何しろ主人公である鈴木先生は妊娠中の妻がいるにもかかわらず教え子である生徒(それも中学生!)に欲情してしまう先生ですからね。
劇中、その教え子を欲望のはけ口にしてしまう(夢を見る)シーンが三度もあるんですよ。
どんだけ溜まりまくっとんねん!と言いたくもなります。
ヤバさだけでいえば、手ブラ写真の比じゃない。笑。
突然ですが、すこぶる美人の女性がいたとして、その女性を犯したいと思うことって悪いことですかね?
また、ムカつく奴をぶっ殺してやりたいと思うことは?
何言ってんだ、どちらもダメに決まってるだろうという人がいるかもしれませんが、自分はそうは思いません。
むしろ、いい女がいれば抱きたいと思うこと、ムカつく奴がいれば殺してやりたいと思うことは健全であるとすら思います。
じゃ、いい女がいれば好きに犯していいのか、ムカつく奴がいれば好きにぶっ殺していいのかというとそんなことは絶対にない。
好きな女性が出来ればその女性に気に入られるように努力する。
ムカつく奴がいればそのストレスを自分の中で消化する。
つまり、どのような(不健全な)ものであれ、欲望を持つこと自体は健全だと思うんですよね。
そしてその欲望が世間的に見て非常識なものであれば理性によって抑え込む、もしくは消化する。
それが人間の心の在り様だと思うのです。
欲望と理性、車でいえばアクセルとブレーキですね。
今の世の中って欲望を持つこと自体が悪だ、と捉えられてませんかね。
そうかな?って思うのです。
問題なのは欲望を持つことではなく、それを理性で抑えられないことなのでは?
一昔前でいえばキレやすい子供?
犯したい女は犯し、ぶっ殺したい奴はぶっ殺す。
それはブレーキの壊れた車ですよね。
鈴木先生は教え子に欲情はしても、もちろんそれを実行に移すなんてことはしません。
自らの欲情に対峙し、分析し、最終的には自分自身をより高みに進めるための原動力とする。
実に人間らしいと言えるのではないでしょうか。
今までの教育ドラマって結局のところ主人公の教師が聖人君子ばかりで、そこが胡散臭くて好きになれなかったのですが、そうではない『鈴木先生』はそれが画期的で魅力的なのではないか、と思います。
テレビシリーズを見ていた人は必見ですが、先に映画を観て、その後テレビシリーズをDVDで見るという逆パターンもアリだと思いますよ。
なかなかそういう人はいないと思いますが…。
お気に入り度は★★★★、お薦め度は★★★(★は五つで満点、☆は★の半分)です。