この世界の憂鬱と気紛れ

タイトルに深い意味はありません。スガシカオの歌に似たようなフレーズがあったかな。日々の雑事と趣味と偏見のブログです。

漢字の書き順について薀蓄を垂れてみる。

2013-01-18 22:25:31 | 蘊蓄・雑学
 昨日、あるバラエティ番組を見ていたら芸能人が漢字の書き順のクイズで競ってました。
 正しい書き順を知らない芸能人の多いこと!!
 でもそれでいいと思います。
 漢字の書き順なんて知ってても知らなくてもどちらでもいい雑学の類いですよね。

 でも、どうなのかな?
 漢字の書き順って学校の国語の授業で教えることなんでしょうか?
 もしかして、入試とかに出たりします?
 クイズで楽しむ、ぐらいならいいんですけど、入試なんかで出題されるとしたらちょっと抵抗を覚えますね。
 漢字の書き順なんてものは「こう書いた方がいいですよ」という書き方の目安に過ぎないと思っているので。

 漢字というものは書き順通りに書けば綺麗に書ける、そう思っている人もいるかもしれませんが、はっきりいってそれは間違いです。
 例えば「右」という漢字と「左」という漢字。
 まぁ似てますよね。カタカナの「ナ」の下につくのが「口」なのか「工」なのかという違いだけであって。
 でも最初の書き出しが違うのです。
 右は「ノ」から、左は「一」からです(ついでに言っておくと右と酷似している石は「一」から)。

 なぜ似たような漢字でありながら書き順が違うのかというと、漢字の書き順はその漢字の成り立ちと密接な関わりがあるからなのです。こちら
 ですから、漢字というものは書き順だけを覚えても意味がないものなんですよ。一緒に成り立ちも覚えなければ。
 例えて言えば歴史において、関ヶ原の戦いが1600年に起こったことは知っていても、具体的にどういう戦いだったのか、知らないようなものではないでしょうか。

 かつては漢字の書き順は成り立ちよりも合理性を優先するという考え方もありました。
 わかりやすく言うと「右」も「左」も似たような漢字なのだから、書き出しは同じにすべきである、という考え方ですね。
 昔は二つの考えが混在していたので、書き順も統一されていませんでした。
 しかし戦後になり、文部省が当用漢字を決める際、教えを乞うた書家がたまたま漢字の成り立ちを重視する立場の人であったので、今のような書き順になった、という話を聞きました。

 また、漢字発祥の地である中国では合理性を重視するため(というか日本より桁違いに漢字が多いため、と言った方がよいかもしれません)、書き順は成り立ちにとらわれません。
 当然「右」も「左」も同じく「一」から書き出します。
 中国人が日本に来て、日本人が右という漢字を「ノ」から書いているのを見たら、きっと怪訝に思うことでしょうね。

 漢字の書き順にその成り立ちと密接な関わりを持たせた、というのは如何にも日本人らしい、ロマンのあるエピソードだと思います。
 でも書き順の問題に間違えて希望校に落ちてしまった、というのはあまりにもロマンのない話です。
 ロマンを追うのもいいですが、そのせいで視界が狭まって物事が窮屈になるというのはやはり考え物だと思うのです。
コメント
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