この世界の憂鬱と気紛れ

タイトルに深い意味はありません。スガシカオの歌に似たようなフレーズがあったかな。日々の雑事と趣味と偏見のブログです。

ダイアモンドは傷つきまくり(仮)。

2014-02-21 22:25:11 | 戯言
 先日、過去作のショートショートを掲載したところ(こちら)、ある方から次のようなコメントを頂きました。以下転載。

 一般受けとかいう問題じゃなくて、単純に面白くないんですよ。
ぐいぐい読ませるような引きつけるようなものがまったく感じられないんです。
バカっぽい金爆の言葉の方がよっぽど心に残りますよ。


 いやはや!初コメントで何ともきついことを書くもんだな~と感心してしまいました。
 それに記事のアップからコメントまでの時間が三十分ちょっとだったので、その速さにも感心しました(通常は記事にコメントが付くにしてももっと時間がかかるものなので)。
 あと、拙作よりも金爆の言葉の方が心に残るとのことなのですが、金爆の言葉と言われてもあまりに漠然としているので、金爆の、誰のどの言葉が心に残ったのか知りたいものだと思いました。
 さすがに朝の挨拶の「おはよー」が心に残ったってわけではないでしょうからね。

 でも思ったのはそれぐらいかな。
 世の中には心無い人からのコメントでコメント欄を閉鎖するブログもありますが、自分は基本的にどーでもいい人から何を言われてもどーでもいい!というスタンスなので、見知らぬ人からのコメントで傷つく、というようなことはないですね。
 以前「よく荒らしに対して平然と対応出来ますね」と褒められた(呆れられた?)こともあります(こちら)。

 荒らしに対して耐性があるとなると、何が起こっても動揺しないんじゃないかと思われるかもしれませんが、そんなことはありません。弱いところは徹底的に弱いのです。

 これはブログではなくミクシィでのことですが、自分はマイナー映画のコミュニティの管理人をしています。マイナー映画のコミュだけあって、存在もマイナーで参加人数も十人程度しかいません。それでもそれなりに楽しく活動をしていたわけです。
 あるメンバーの人とお互いが見たマイナー映画のことについて語らっていました。
 それで、一昨日だったかな、仕事前にその人がコメントをしているのを確認して、その日はちょっと忙しくてコメントとを返せなかったのですが、翌日コメントを返そうとしてビックリ。
 何とその人、ミクシィを退会してました。
 二日前までフツーに会話していた人が突然いなくなったら、そりゃ「え?」と思いますよ。
 その人とは当たり障りのない会話しかしていなかったので、さすがに退会の理由が自分にあるとまでは思いませんが、何かあったのだろうかと不安になります。

 今のは極端な例ですが、ある日突然に、もしくは気がつくといつの間にか、親しいと思っていた人がいない、自分の前から消えるということが自分の場合しょっちゅうあるんですよね。そのたびに狼狽えてしまいます。

 それがネットというものだよ、と言う人もいるかもしれません。
 でもそれはリアルが充実しているから言えることだと思います。
 リアルで友だちが一人もいない自分の場合、ネットとはいえ親しい人が一人いなくなるのは大問題なんですよ。

 さらに問題なのは、自分がそのことを半ば諦めてるってことですね。
 今社会では「ストーカー」が問題になってるじゃないですか。
 思うにストーカーって、相手のこと以上に自分自身が大好きなんじゃないですかね。
 そして自分自身が大好きな自分のことを相手が好きにならないのはおかしいと思ってる。
 想像ですが、そう考えています。
 
 自分の場合、その逆なんですよね。いわば「逆ストーカー」。わかりやすく言うと自己嫌悪の塊り。
 自分が大嫌いな自分を相手が好きにならないのは当然だ、仕方ない、そんなふうに考えてしまうのです。
 だから離れていく相手を強くは引き止められない。

 これで孤独に耐性があるなら問題ないのでしょうが、そうではないですからね。孤独には滅法弱いのです。
 いつか、誰からも相手にされなくなるんじゃないかと思うと震えが止まらない。

 そんなことはありえないですよ、そう言ってくれる人もいるかもしれません。
 でもそうならない保証はないんですよ。
 だって、今まで離れていった人だって相当親しかったですからね。
 メールのやり取りをしたり、電話したり、誕生日プレゼントを贈り合ったり、実際会った人も中にはいましたよ。
 でもそんな親しい人が特別喧嘩したわけでもないのに(喧嘩別れした人もいますが)気がつくと目の前からいなくなってるんです。
 いつか、誰もいなくなってしまうかもしれない、その恐怖からすれば、荒らしなんて本当に大したことはないですよ。

 まぁでも自分が言っていることは理解できないかもしれませんね。
 健康の大切さは失って初めてわかると言いますから、同様に孤独でない人に孤独の恐ろしさを分かれといっても難しいでしょうから。
 それでも孤独でないことは幸せなのだということだけでもどうか頭の片隅ででも覚えておいて欲しいです。
コメント
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