この世界の憂鬱と気紛れ

タイトルに深い意味はありません。スガシカオの歌に似たようなフレーズがあったかな。日々の雑事と趣味と偏見のブログです。

自分自身が信じられない。

2020-09-28 23:16:32 | 日常
 少し前のことですが、お気に入りのCDを間違って売ってしまったようだ、という記事をアップしました(こちら)。
 すいません、完全に自分の勘違いだったみたいで、CDはありました。

 まず事実を列挙しておくと、ヘビーローテーションで聴いていた飯島真理のCDが車の中から忽然と消えていました。
 代わりにあまり聴くことのない鮎川麻弥のCDが(100円ショップで買った)CD収納ケースの中にあったんです。
 そしてあまり聴くことのなくなったCDはブックオフに売ったばかりでした。
 この三つの事実から自分はブックオフに鮎川麻弥のCDを売る際、間違って飯島真理のCDを売ってしまったんだ、そう思い込んでしまいました。

 が、真相は全然違いました。
 お気に入りの飯島真理のCDは自室の本棚のCDコーナーにありました。
 それから聴くことのなくなったCDをブックオフに売ったのは事実なのですが、その中に鮎川麻弥のCDはなかったのです。
 何てことのない真相なのですが、自分は愕然としました。
 前述の通り飯島真理のCDはヘビーローテーションで聴いていたので、それを家に持ち帰った記憶がまったくなかったのです。
 家で聴くために持ち帰ったんじゃないの?思われる方もいるかもしれませんが、それはないんですよ。
 CDラジカセが壊れてから、もう家でCDは聴かなくていいやと思って、CDプレイヤーの類いは買い直してないですから。

 本棚で飯島真理のCDを見つけた時、冗談抜きで、誰がここに持ってきたんだろう?と思いましたよ。
 誰が持ってきたも何も自分の車の中で聴いていたCDが自分の部屋で見つかったのであれば、持ってきたのは自分しか考えられないんですけどね。 
 でもフツー、探していたCDが本棚で見つけたら、あぁ、そういえば本棚に片付けていたんだっけ、と思いだしそうなものですが、それすらないんですよ。

 これが「老い」というものでしょうか。
 う~~~ん、認めたくない。
 もしかしたら、宇宙人の仕業かもしれませんね。
 今回はそう思っておくことにします(ピンポイントな嫌がらせをする宇宙人だな…)。
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