この世界の憂鬱と気紛れ

タイトルに深い意味はありません。スガシカオの歌に似たようなフレーズがあったかな。日々の雑事と趣味と偏見のブログです。

【日本の切り絵 7人のミューズ】展を観てきました。

2022-11-26 20:53:59 | アート、美術館・博物館、ギャラリー
 11月23日はコンサートの前に福岡県立美術館で【日本の切り絵 7人のミューズ】展を観てきました。

 自分は折り紙が趣味なのですが、自分は折り紙のことを「たった一枚の正方形の紙を折ることで森羅万象のすべてを表現しようとする試み」だと考えています。
 だから正方形でない紙を折って何か作品を作ってもそれは折り紙ではない、と考えます。
 例えば、昆虫の形に紙を切り抜いて、その紙を折って昆虫を完成させても、それは折り紙ではなく、同様に複数の紙を用いたり、ペンで何かを書き込んだりしても折り紙ではない。
 もしそれらの作品を折り紙だと認めたら、極端な話、一部に折った紙が使われている作品は何でも折り紙になってしまうと思うんですよね。
 もちろんそういった作品がダメだ、と言っているわけではありません。
 あくまで定義上の問題です。

 でも折り紙のことをそういうふうに定義するのはどちらかといえば少数派で、多くの折り紙愛好家は、ぶっちゃけ上級者になればなるほど、そういったこだわりが無いような気がします。
 思うに折り紙の上級者は一枚の紙を折って作品を作ることに物足りなさを覚えているのではないでしょうか。
 それに引き換え自分は一枚の紙を折ることも極めたというには程遠いですからね。
 だからこそ一枚の紙を折ることが折り紙なのだとこだわっているのかもしれません。

 あ、断っておくと、自分も複数枚の紙を用いたり、切り込みを入れたりして作品を作ることはありますよ。
 ただそれは折り紙ではないなと思うだけで…。
 繰り返しますが、定義上の問題なのです。

 なぜそんなことを言い出したかというと、【日本の切り絵 7人のミューズ】展で同じようなことを思ったからです。
 展示会場には、この切り紙はすごい!と思える作品もあれば、これを切り紙と呼んでいいのだろうかと思える作品もあって、、、いや、いいんでしょうけどね、別に。笑。

 どういった作品を切り紙と呼んでいいのかというのは、会場内が撮影禁止だったので示せないのですが、そういった作品を作る作家さんもきっとただ紙を切るだけでは物足りなかったんだろうな、と想像しました。

 話は変わりますが、福岡県立美術館が移転するそうです。
 それ自体は別に反対することでも何でもないのですが、移転先が大濠公園なのだとか。
 え、、、大濠公園にはすでに福岡市立美術館があるのに?
 それに大濠公園に新たに美術館を作っても、土地がないから駐車場は作れないよね。
 どうしてもっと土地が余っているところに作らないのかな。
 「県立」の美術館であれば福岡県内のどこかに作ればいいんじゃないの? 
 と思うのは自分だけなんですかね。

 以上です。
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