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鉄道旅行のたのしみ(宮脇俊三著) その2(駅は見ている編)

2016-05-25 21:38:42 | 雑感
 つづいては、「駅は見ている」


  


 取り上げられている駅は、名古屋、新宿、天王寺、高松などなど。いわゆる「ターミナル」となっているところ。そして、「頭端式」という駅である。

 著者は駅についてこう述べている。「駅は人生の舞台なんだな、とも思う。そして、駅が、ゆき交う人の人生とながれいく時代を見つめているように感じるときもある。それは「駅」が文字どおり、馬の乗り継ぎ場所として定められた古代律令制の時代からかわらないのではないか。」「私たちは駅を利用する。駅はものいわぬ舞台となりつつ私たちを見ている。その駅を私は見たいと思う。見るか見られるか、どうなるか、そんなルポになるだろう。」
 これから、様々な駅を「見る」意気込みを感じる。

 そして、駅とまちとの関係について、「町があれば駅が設けられる。町が大きければ駅の規模も大きくなる。これが駅と町との関係の一般だろうけど、そうでない場合もある。たとえば、東海道本線の米原、鹿児島本線の鳥栖等々で、駅はひじょうに大きいが町は小さい。米原などは町の体をなしていない。これらは町があって駅ができたのではなく、鉄道網の結節点としてまず駅や操車場が設けられ、付近に鉄道関係者の住居や詰め所が建ち、ついで周辺に商店が集まってくるという順序で形成されたもので、城下町や社寺の門前町に似ている。『駅の町』である。」。確かに、米原は、「のぞみ」こそ通過するものの、「ひかり」は停車し、北陸方面へと乗客を誘っている。ただし、米原駅でトランジットするのであって、埒外に出ることはないと思われる。

 そんな思いをしながら読み進める。

 新宿駅では、「乗客vs駅員」という切り口で「駅を見ている」。当時は当然自動改札ではなかったので、改札係が切符にはさみを入れる。「一人の改札係が一日にパンチを入れる回数はじつに三万回に達するという。」、確かに、自動改札の前は改札に人がおり、はさみで「カチカチ」とリズムをとりながらパンチしていた。その理路整然とした音色が懐かしい。

 筑豊地方の石炭輸送の要となったのが、筑豊本線・直方駅。角炭坑から集められた石炭を北九州方面に送る。ここを起点に、タクシーで炭坑跡を巡る著者。「無人化して荒れるにまかせた炭鉱住宅、がらんどうになったまま聳える巨大な選炭装置、池に変じた露天掘りの跡。それらが夕暮れのボタ山を背景にして、荒涼と静まりかえっていた。季節は春なのに、そこだけは晩秋の夕暮れのようであった。」寂れていく炭鉱の様子を、季節と時間に例えている。炭鉱街にはこれから冬(の時代)が来るという暗示なのだろうか。

 鉄道の分岐点、著者は「人」に例えている。「鉄道の分岐点の配線は『人』の字の形になっている。駅は原則として胴体の部分に設けられる。したがって、頭←→左足、頭←→右足の列車は直進できるが、左足←→右足の列車はスイッチバックの不便を余儀なくされる。中央本線・塩尻駅である。中央本線は、新宿と名古屋を結ぶ路線。以前の塩尻駅は、「新宿←→名古屋、新宿←→松本の列車は直進、名古屋←→松本はスイッチバックとなっていた。」、ということは、現在の塩尻駅は、移転後の状態であることが分かる。千葉駅も、以前は現在の東千葉駅が「千葉駅」であった。同じように、現在の場所に移転している。

 連絡線の駅が2駅、高松と青森。それぞれ、宇高連絡線、青函連絡船のターミナルであった。いずれも、瀬戸大橋や青函トンネルの完成で、船は、その役目を終えた。著者が取材したときは、まだ運航されていた。本州と四国を結ぶ国鉄の二つの連絡船が廃止されたことにより、「最長片道切符」は四国を経由することが出来なくなった。

 奥羽本線・新庄駅。新庄市の市民歌の一節には、「伸びる鉄路のわが郷土」と、鉄道のまちを強調したものとなっている。以前、出張で新庄駅で途中下車した。山形新幹線を利用しての出張である。陸羽西線の乗り継ぎまで時間があったので、駅周辺を散策したが、歴史的・文化的な背景を理解していなかったことから、寂しげな街並みを、ただ、歩いた記憶がある。

 最近、鉄道で旅をして、駅からまちに出たときに、どこに出もある画一的な看板や同じような建物がおおい。まちの個性が感じられない。汽車の到着のアナウンスも、以前は肉声、情緒を感じた。駅=まちの顔、どうやって個性を出していくかが、創生の鍵かもしれない。
コメント
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