けんきゅうきろく(と、あともうひとつ)

レアル・マドリー、リーガエスパニョーラ関係の、なんとなく気になるニュース。

ナカムラ

2009-06-26 23:03:49 | football
どちらも一般紙と言って良いと思います。こんな見方をされています、という例として。もっとも、少々大げさに書かれているような気もするけど。

エル・パイスから。
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フトボリスタ・モデロ

彼は洗練さとテクニックの面で天才的であったが、シャビエル・アスカルゴルタは、あらゆる面でその成長の仕方を心配していた。「フットボール以外では何をしているんだ?」と尋ねると「勉強」と返事が返ってきた。アスカルゴルタは「では何を勉強している?」と尋ねた。
「フットボール」と答えたシュンスケ・ナカムラ(横浜、日本、1978年生)は、桐光学園(高等教育の学校)を出て横浜マリノスに籍を置いて以来、頭からフットボールのことが抜けないでいた。1997年、彼にチャンスを与えたアスカルゴルタは、常にこの中盤の選手のクオリティを信頼し、このときデポルティーボにいたチキ・ベギリスタインに彼の移籍を強く勧めなかった。「私がそうしたかった時に、彼はまだシュンスケのことを知らなかった。」とアスカルゴルタは明かす。この日本人選手が、エスパニョールに移籍を決め2シーズンの契約を結んだ。彼には価値がある。なぜなら彼は、彼の国の広告アイコンだからだ。

3年前、ナカムラはグラスゴーの街を、日本人フットボール選手を探し求めて旅していた。彼はレストラン、両替所、裁判所などを尋ね歩いた。その頃デル・ピエロ(ユヴェントス)は、トリノでイタリア代表に選ばれていた。2つのチームはアムステルダムで出会う。これはアディダスによる企画で、ナカムラの多くの広告のひとつだ。「彼は、彼の国ではスターだ」と、セルティックのスポーツ・ディレクターであるジョン・パークは言う。このスコットランドのクラブはそれを利用し、中村の肖像権の50%を手にしていた。ナカムラはまた、フットボール・キングダムに加え、Pro Evolution(ウイイレ)の2001、2005、2006年の顔でもある。

「彼は1年で700万ユーロの広告料を生み出している。」とエスパニョールでは指摘されている。このため、経済的な合意には努力が必要だった。シュンスケは1年当たり120万ユーロを受け取る。新たに契約が更新されれば、エスパニョールは肖像権の一部を受け取る。つまり、既に契約されているものとは異なる、新たなブランドとの契約がされた場合のみ受け取れるということだ。それでも、「我々は、彼をメディアの汚れから引き離さなければならない。彼にはフットボールをして欲しいのだから。」 とクラブのスポーツ面の責任を負うヘルマン・デ・ラ・クルスは主張している。

アスカルゴルタが彼をトップチームに引き上げた際、彼にはやや負担が見られた。「プライベートのプレパラドール・フィジコを探したよ!」とアスカルゴルタは言う。そして結論付ける。「一人前のフットボーラーになって欲しかったんだ。」 横浜での仲間だったフリオ・サリナスはこう言っている。「彼には高いクオリティがある。小さなレフティだ!」。そして別のロッカールームでの仲間であったジョン・アンドニ・ゴイコイチェアはこう深める。「最高の1人だ。それに、いつもバルサのことを聞いてきたね。」 ナカムラは、アスールグラナへの偏愛を明らかにしている。「ドリームチームのビデオを見て育ったんだ。」 彼の、日本国外への初めての旅は、カンプノウを訪れることだった。そして2000年、彼はJリーグの最優秀選手に選ばれる。

彼のクオリティは代表でも示された。しかし、フィリップ・トゥルシエは、アジア杯で優勝した後、彼を2002のW杯メンバーからはずした。それでも彼は、300万ユーロのオファーを受けながら、ある事情でマドリーに移籍しなかったことがある。彼は下部組織でのプレイを望んでいたが、チームはセグンダに昇格できず、法律の問題で合意には至らなかったのだ(補足:セグンダ以下では、外国籍選手の所属が制限・禁止される)。彼はまずイタリアのレッジーナに行き、後にセルティックに移る。ここではリーグ優勝に3度輝き、2007年には最優秀選手となった。「彼は試合のどんな局面でも失敗しないし、特にファウル(FK?)の場面で輝く。」とパクは言う。同時に彼の反響も思い出させる。「彼がスコットランドにやってきて、ユニフォームの売上は急上昇だった。」

ナカムラは日本フットボールのものだ。グラスゴーには、8人もの日本人ジャーナリストが赴任した。エスパニョールが彼らを待っている。
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続いてエル・コンフィデンシアルより。
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シュンスケ・ナカムラ、スペインでプレイする日本人「ギャラクティコ」

エスパニョールは、来シーズンのチームの基準とされる選手、日本人のシュンスケ・ナカムラと契約を結んだ。スピードがあり、動きがあり、ボールの扱いが上手く、卓越したゲーム・ビジョンを持つこの選手は、ペリコでの新たな「ブレイン」となるのに必要な可能性全てを持ち合わせている。よく知られているわけではないが、この日本人は、現時点で東洋の最高の選手だと考えられている。また彼は、彼自身の国では真に大衆のアイドルであり、正真正銘のメディアスターである。

この中盤の選手は、日本人選手のステレオタイプとは、まったく異なっている。背が高く、技術があり、悪魔の左脚を持つ。クオリティの高い得点を決め、新しい日本フットボールの価値を示す選手だ。ほんの十数年前まで、日本のサッカーは完全にアマチュアであった。しかし現在、彼らは成長し、その影響力は大きなものとなっている。これは主として、今回エスパニョールと契約し、日本サッカーが生み出したクオリティを示している彼のような選手のおかげである。
ナカムラは、1978年6月24日にヨコハマで生まれた。フットボーラーとしてのキャリアは、彼が生まれた街から始まる。ヨコハマ・マリノスは、彼にとってプロフェッショナルとしての初めてのクラブで、そこでは5シーズンに渡ってプレイした(1997年~2002年)。そしてこのフットボール選手の影響力は、すぐに欧州へと移ることになった。最初はイタリアのレッジーナで、3シーズン所属。ここでは80試合に出場し、11ゴールを挙げた。イタリアの次のステップは、スコットランドのグラスゴー・セルティック。ここで彼は、フットボーラーとして神聖なるものとされた。
この日本人ミッドフィルダーは、素晴らしい選手だという触れ込みで英国のチームに到着したが、彼はすぐにチームのスターのメダルを手にすることになる。カトリックのチームで4シーズン過ごしたことは、ナカムラがチームメイトやファンの間で、傑出し真のものとなる助けになった。120試合以上に出場し29ゴール。この成績により、彼はチームのキー・ピースとなった。セルティック在籍の間、チームはスコティッシュ・プレミア・リーグを3回獲得(2006、2007、2008)、リーグ杯を2回獲得(2006、2009)している。2007年には、シーズンの最優秀選手としてその名前をスコティッシュリーグに刻んだ。
シュンスケ・ナカムラは、代表に固定されている。日本代表として87キャップ、アジア杯を2回(2000年、2004年)獲得したことで、彼が史上最高の日本人選手の1人であることが保証されている。さらに、彼は日本における広告の開拓者でもある。日本ではナカムラは、まさに金を生み出す機械なのだ。アディダスの広告イメージと東洋のテレビにおけるマルチなイメージ表出をするスターということ、さらにはフットボールのクオリティも加えて、広告による収入を考えると、彼は重要な利益をもたらすことだろう。

近年、日本フットボールは、スペインリーグへと選手を輸出し始めた。最初に我々の国にやってきたのはノブユキ・ザイゼンで、ログロニョスに所属した。1996年の夏にやってきたこの非常に華奢な選手は、しかし結局、公式の試合には1試合も出場しなかった(外国籍の問題)。何かをなしたのは、ソータロー・ヤスナガで、リェイダにやってきた。(意味がわからないので一文略)。そしてさらに何人かがスペインにやってきた。
ショージ・ジョー(バジャドリ)は、スペインで最初にゴールを決めた日本人という名誉を手にした。2000年2月27日の、対オビエド戦である。ケンジ・フクダ(カステジョン、ヌマンシア、ラスパルマス)、ヨシト・オオクボ(マジョルカ)、アキノリ・ニシザワ(エスパニョール)もそれぞれリーガに参加したが、まちがいなく最も良く知られている東洋の選手は、韓国のリー・チュン・スー(=イチョンス、レアル・ソシエダ、ヌマンシア)だろう。わが国におけるメディアの大騒ぎを解消した、初めての存在である。そして今、シュンスケ・ナカムラがやってきた。来シーズンのリーガ・エスパニョーラでの新たな発見となるのに、十分な条件を備えている。
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ところで、スペイン語でniponと書くのとjaponと書くのとの違いは、どこにあるんでしょう?

イランの2人

2009-06-26 01:19:49 | football
シーズンオフの方が、記事の更新頻度が増しているのは気のせいでしょうか。


イランの2人
ディアリオ・デ・ナバラが、ちゃんと情報をフォローしてくれました。オサスナのネクナム(=ネコ)とマスード(ショジャエイ)は、先の報道にあったようにパスポートを取り上げられた状態にあるわけでもなく、問題なく過ごしているとのこと。とりあえずテヘランにはいないということで、少し安心しました。

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昨日、オサスナはジャバド(ネコのこと)とコンタクトを取り、休暇の場所にいて落ち着いていることを知らされた。またイランサッカー協会は昨日、緑のリストバンドをつけた代表選手の追放を否定した。

ジャバド・ネクナムとマスード・ショジャエは、それぞれパスポートが手元にあり、良い状態にあることがわかった。最近イランから到着した情報、6月17日にソウルで行われた韓国戦での抗議行動への処罰として、イラン代表の全選手がパスポートを押収されたこと、は否定されている。

オサスナは昨日、ネコ自身と連絡を取ることができた。ネコは、彼もマスードもパーフェクトな状態にあり、誰も彼らのパスポートを取り押さえてもなく、どんな種類の問題もないことを確認した。
ロヒージョの選手は、落ち着いているというメッセージを送ることを望んだ。彼は、イラン国内で(ただしテヘランではない)家族と共に休暇を過ごしているためで、数週間のうちに戻ることを考えている。ネコはマスードと話しをした。彼も同様に問題はないそうである。
試合では、6人の代表選手が緑色のリストバンドをつけているのが見て取れた。これは、6月12日の大統領選に立候補し敗北したフセイン・ムサビを支持するサインとみなされた。6人の選手たちの運命は、あらゆる憶測の目標となった。

イランのメディアから発信された情報は、緑色の抗議を強行した4人のフットボール選手、カリミ、マハダビキア、ハシェミアン、カエビが、フットボールを去るようにさせられたという確信を示していた。不思議なことに、残りの2人、ネコとマスードの運命については、これまでなんのニュースももたらされなかった。
また、代表の選手たちが、W杯予選からテヘランへ戻った後、彼らのパスポートが取り上げられたことも伝えられた。イギリスのガーディアン紙が、これを確認した。

これらの情報に対して、イランサッカー協会副会長のMehdi Taj氏が議論に加わった。緑のテープで抗議の姿勢を示した、イランサッカーを代表するアリ・カリミとメフディ・マハダビキアが、代表を追放されたと断言した。イラン現地のニュースで、このTaj氏は、これら2人の選手のイラン代表からの引退は、「まったくの個人的、プロフェッショナル的問題、彼ら自身による決断」によるものだとしている。また彼らに対しては、今回公式の試合で、ムサビ氏支持を示す緑色のリストバンドをつけて戦ったことが、今回の件のプレッシャーとなったことにも反論している。またTaj氏は、2人のパスポートが差し押さえられたことも否定している。「彼ら2人の選手たちは、何年にも渡ってイランサッカーのために誇りを持って戦ってきた。我々は、しかるべき形で彼らに感謝したいと考えているのだ。」
それにもかかわらずTaj氏は、同様に追放されたという残りの2人、カエビとハシェミアンについては言及しなかった。イランの報道によれば、ネクナムとマスードのみが、再び代表に招集される可能性があるだろうということだ。

今回処罰された4人のうち、アジアのマラドーナと呼ばれるアリ・カリミは32歳、一度は代表を退いたもののW杯南アフリカ大会の出場を目指して代表を助けに戻ってきた。メフディ・マハダビキアは31歳で、アイントラハト・フランクフルトでプレイしている。バヒド・ハシェミアンも32歳で、ドイツのボーフムのミッドフィルダー。フセイン・カエビは24歳で、レスター・シティで短い期間プレイした後、イランリーグに戻っている。
彼ら全員がリストバンドをしており、そのうち何人かは試合を通じてそれを装着していた。オサスナの2人は、ハーフタイム以降は、リストバンドを白いテープで覆っていた。

ネコとマスードは、イラン滞在を終えた後、アスピリクエタやモンレアルと同様に遅れてチームに戻ってくる予定だ。ただし正確な日はまだわかっていない。
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政治的な問題もありますが、今回「引退」になった中には、元々現サッカー協会関係者と折り合いが悪いベテラン選手がいるというのも、聞きました。さすがに、この記事中のサッカー協会関係者氏の言葉を、そのまま信じる気にはなれません。真実はどこにあるのか。


いつか見た風景
やっぱり先のことを考えすぎちゃったんでしょうか。スペインはセミファイナルにて敗退。FIFAだか何だかが「世紀の番狂わせか!?」と、いかにもなアンケートをしているらしいですが、ちょっと前のスペイン代表に戻っただけよね、と思ってしまうわけで。フィットしているとは言いがたい選手と布陣の起用、攻めれども攻めれども点取れず、内容は勝った気がするけど、でもちゃんと試合に勝たなきゃ意味ないのねー、という、やっぱりいつかどこかで見た展開。
で、セルヒオ・ラモス、2失点目のあれは何なの。

セルヒオ・ラモス
「背後には誰もいないと思ってた。自分1人だと予測していたんだ。
この敗戦で僕たちはつらく感じている。ファイナルに行きたいと思っていたが、残念なことに、それはできない。僕たちはきびしい相手とやりあっていた。彼らは、非常にはっきりとしたアイディアを持っていた。僕たちに欠けていたのは、ゴールに向かう視点だ。彼らは、2回のチャンスをものにしたんだ。」

3決があるそうですから、かくなるうえは……ブラジルよ、スペインに続け(無理か)。


敗戦の弁
出場した選手、してない選手、デルボスケにイエロと、いろいろな人のコメントが出ているのですが、とりあえず訳せたのは、前方から3名。

フェルナンド・トーレス
予期しない敗戦だが、アメリカは非常にディフェンシブに試合を運び、2つのチャンスを生かした。この敗戦で、ロッカールームが悲しみ辛く感じているのは当然のことだ。

ダビド・ビジャ
僕たちは苛立っている。少なくともファイナルに到達するだけの自信を持っていたのに。彼らは10人で守備的に来て、ボールを入れようとしなかった。その一方で、彼らはとてもうまくやっていたのだ。彼らは僕たちを上回っていた。涙はないが、自分たち自身への怒りを感じる。僕たちは、ここを通過するという多くの希望を抱いていた。僕たちにとってコンフェデエレーションズ杯は、W杯やEUROに匹敵する。タイトルが欲しかった。

セスク・ファブレガス
スペイン代表での自分の役割を理解している。常に監督の決定を尊重するつもりだ。僕はできる限りのことをしてチームを助けようとし、ミステルは僕を交代させると考えた、それを尊重する。
敗北は、いつでもネガティブなものだが、そこからポジティブなものも生まれる。常に勝つことはできない。ボールが入りたがらない日も、カウンターアタックでやられる日もある。フットボールが逆風になった、そういう夜だったんだ。僕たちは、立ち上がるために戦わなければならない。
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どうも交代が不満だったように聞こえるセスクですが、一番最初に代えられるのはやっぱりセスクだったんじゃないか。エリア内へ供給するパスの質は良いけど、あのポジションにしてはボールに絡む回数が少ない。
ただ、2トップ、左サイドにリエラ、トップ下にセスク、右はセルヒオ・ラモスにおまかせ、というあのアシメトリーな布陣自体、どうかと思ったりもするわけですが。右はセルヒオ・ラモスの裏を取られ、左ではリエラがフタになったのか、カプデビラが良い形で上がって来れなかったように見えた。もっとはやくマタ出してれば良かったのに。思ったより、デルボスケのやることは面白くならないな、と思います。あとトーレスは、もっとトラップを練習しよう(以前に比べれば上手くなったと思うけど、プレッシャーかかるとだめなんだな…)。