団塊の世代の世間話

60年を生きてきた思いを綴った「ゼロマイナス1 団塊の世代の世間話」を上梓し、その延長でブログを発信。

オリンピック開幕日に戦争突入

2008-08-09 08:31:18 | Weblog
 北京オリンピックが開幕した。中国らしくけばけばしく仰々しいオープンだった。日本のマスコミははしゃぎすぎで、莫大な放映料の元を取ろう、という気で微に入り細にわたり報道している。オリンピックのニュースは、日本人選手の活躍とメダルが決まる種目程度を放送してくれればいい。あとはうるさいだけだ。
 開幕のその日、ロンドン、パリ、ニューデーリーでチベットの人権抑圧に抗議するデモが起こった。決してオリンピックの美名のもとに忘れ去られていいことではない。
 もうひとつは、ロシアとグルジアが交戦状態に入ったことを伝えている。南オセチア自治州の独立をめぐって、とうとう戦争状態に突入した。
 民族独立の戦争ではあるが、グルジアにアメリカ、南オセチアにロシアがそれぞれ支援しており、泥沼化する可能性と、他の地域へ飛び火することもあり得る。
 ソ連が崩壊した後、その支配下にあった国々が独立したが、まだ真の民族独立に至っていない地域があまたある。中国もウイグル族やチベット族が独立を目指している。20世紀の戦争を経て、大国の論理から脱却して多くの国や地域が独立したが、まだその流れから洩れた民族や地域がある。そうした国が、これから紛争の火種になるのだろう。
 期せずして、その戦争勃発がオリンピックの開幕日になったことは偶然ではない。
 なぜなら、オリンピック自体が一種の戦争の代替行為だからだ。古代、ギリシアの都市国家がスポーツで覇を競った。そのスポーツとは、武芸であり、肉体の誇示であった。
 どうだ、こんな立派で強そうな肉体を持っているのだ、俺たちに戦争なんかしかけても勝てやしない、という示威行為であった。
 つまり、オリンピックは戦争と裏返しのイベントだったのだ。近代オリンピックはまた違う意味を持たせた。世界平和のシンボルとなったが、実際は莫大な金が動き、戦争の代替行為として各国がスポーツで競うことになった。
 勝てば英雄、負ければただの人になってしまう国もあり、生きるか死ぬかの争いでもある。それを浮かれて能天気に放送する日本のマスコミの姿勢はいかがなものか、と思う。本当に必要なのか、という論議もまたなされなければならない。
 唯一、国際オリンピック委員会に決めてほしいことは、人権抑圧のある国にオリンピック開催は認めないことだ。この取り決めがあったら、北京オリンピックはなかった。
 この暑い夏に、ちょっと醒めた眼でオリンピックを観戦したいものだ。
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