やや深刻な話を報告することになるが、母親が認知症(なにが認知か分からないが痴呆症である)になり、その症状が進み、この3ヶ月ぐらいは振り回されていた。
いきなり電話がかかってくる。たいてい電話はいきなりだが、貯金通帳も印鑑もカードもなくなった、どうしたらいい、と電話口で泣く。ある時は捨ててしまった、ともいう。
まだ痴呆症の実態が分からないから、慌てて行く。片道1時間ぐらいかかるから、仕事は中断する。行くと、本人はどうしたらいい、分からない、と途方に暮れている。
こちらもどうしようもないから、通帳などの再発行手続きなどを行ったが、実際はなくなっておらず、盗られることを恐れる余り、どこかに仕舞い忘れていた。それが分かったのは最近のことで、ないないといっていた現金が絨毯の下から見つかったこともあった。
この仕舞い忘れが痴呆症の特徴で、なくなったとか、捨ててしまった、というのも、過去のショッキングな記憶がよみがえって、騒ぎ出すようだ。ただ日常の生活はまだできていて、買い物や料理、風呂などはOKだったが、精神が高じてくると、そうしたことも手がつかくなってきた。
役所や隣近所の人たちも、ひとりでの生活に限界を感じて、介護申請を行った。それがこちらに報告がきて、頻繁に訪れるようになった。
結局、遠方の親戚がケアマネージャーをやっており、そこの施設に入居することになった。ただ要介護1以上が入居資格で、申請が降りるまで約1ヶ月待って旅立った。
ある意味、そうした親戚がいて、我々は身軽になったが、もしいなければ、どこかの施設が空くまで、うちで面倒をみることにもなった。
母親の症例をいえば、かなり前から同じことを繰り返しいうようになっていた。そして、ふつうの会話はしているように見えるが、ほとんど頭に入っていない。新しい記憶の刷り込みがほとんどできなくなってきていた。過去の記憶とも交錯して、うんうんと頷いているが分かっていなかった。
財布がない、という。バッグの中にある、と答える。1分も経たないうちに、また財布がない、その繰り返しになった。旅立つ1ヶ月ぐらい前、とにかくしたことをすべてメモにしてくれ、となんども頼んだ。そして、あちこちにメモを貼った。なんども見ることによって、ようやく頭に入るようになったし、大切なものは預かって安心させた。
たぶん、これからも進行していくことだろう。どうしてこうなっちゃったの、となんども聞かれた。答えようのない問いだったが、病気になったの、と諭すようにいった。なんども同じ問いが繰り返された。いずれ自分でなくなっていくのか、と思うと、老いることの無惨さに思いがいく。たぶん、我々も避けられない道なのだろう。
カメラ・写真、フォトギャラリーの動向に興味のある方は「Web写真人」をご覧ください。また拙著「団塊の世代の世間話」の案内ページにもアクセスできます。「Web写真人」(http://shashingin.web.infoseek.co.jp)で検索できます。アクセスをお願い申し上げます。首都圏のフォトサロン/ギャラリー一覧を掲載。http://www.blogmura.com/ にほんブログ村
いきなり電話がかかってくる。たいてい電話はいきなりだが、貯金通帳も印鑑もカードもなくなった、どうしたらいい、と電話口で泣く。ある時は捨ててしまった、ともいう。
まだ痴呆症の実態が分からないから、慌てて行く。片道1時間ぐらいかかるから、仕事は中断する。行くと、本人はどうしたらいい、分からない、と途方に暮れている。
こちらもどうしようもないから、通帳などの再発行手続きなどを行ったが、実際はなくなっておらず、盗られることを恐れる余り、どこかに仕舞い忘れていた。それが分かったのは最近のことで、ないないといっていた現金が絨毯の下から見つかったこともあった。
この仕舞い忘れが痴呆症の特徴で、なくなったとか、捨ててしまった、というのも、過去のショッキングな記憶がよみがえって、騒ぎ出すようだ。ただ日常の生活はまだできていて、買い物や料理、風呂などはOKだったが、精神が高じてくると、そうしたことも手がつかくなってきた。
役所や隣近所の人たちも、ひとりでの生活に限界を感じて、介護申請を行った。それがこちらに報告がきて、頻繁に訪れるようになった。
結局、遠方の親戚がケアマネージャーをやっており、そこの施設に入居することになった。ただ要介護1以上が入居資格で、申請が降りるまで約1ヶ月待って旅立った。
ある意味、そうした親戚がいて、我々は身軽になったが、もしいなければ、どこかの施設が空くまで、うちで面倒をみることにもなった。
母親の症例をいえば、かなり前から同じことを繰り返しいうようになっていた。そして、ふつうの会話はしているように見えるが、ほとんど頭に入っていない。新しい記憶の刷り込みがほとんどできなくなってきていた。過去の記憶とも交錯して、うんうんと頷いているが分かっていなかった。
財布がない、という。バッグの中にある、と答える。1分も経たないうちに、また財布がない、その繰り返しになった。旅立つ1ヶ月ぐらい前、とにかくしたことをすべてメモにしてくれ、となんども頼んだ。そして、あちこちにメモを貼った。なんども見ることによって、ようやく頭に入るようになったし、大切なものは預かって安心させた。
たぶん、これからも進行していくことだろう。どうしてこうなっちゃったの、となんども聞かれた。答えようのない問いだったが、病気になったの、と諭すようにいった。なんども同じ問いが繰り返された。いずれ自分でなくなっていくのか、と思うと、老いることの無惨さに思いがいく。たぶん、我々も避けられない道なのだろう。
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