団塊の世代の世間話

60年を生きてきた思いを綴った「ゼロマイナス1 団塊の世代の世間話」を上梓し、その延長でブログを発信。

高校中退をなぜ救済するか

2009-11-26 14:00:35 | Weblog
 貧困などの理由により、高校中退をなんとかしよう、と弁護士らが立ち上がっていることをテレビが報道していた。
 学資がなくて学業が続けられない、という例はあるが、その多くは奨学金が助けていた。しかし、そうした例でないなら、授業料の安い公立高校に編入すればいいではないか、と思った。 
 この報道では触れなかったが、それができないから問題になっているらしく、公立校に入れる学力がないわけだ。
 それなら、しようがないじゃないか、というのが、これまでの社会的な常識。ところが、それをなんとかしよう、というわけだから、ここにも甘えの構造がある。
 学校に行けなくて可哀想、という感情論と学校に行けない社会が悪い、といういびつな正義の論理だ。だったら、さっさと働け、というのが、これまたこれまでの常識。
 就職口がない、という指摘はあるが、あの殺人犯の市橋は1年間働いて100万円稼いだ。働こうと思えば、あるもので、選り好みをしていては前へは進めない。
 働きながら、自分の人生を見つめ、必要なら夜間高校や大検をめざすもよく、職業訓練校に行く手もあるだろう。
 人の生き方にはもっと多様性があるはずだ。みんな高校、みんな大学、あげくが3年になるかならないかで就活だ。そんなパターンから脱していくのが、21世紀型の生き方ではないか。
 ところが親にとっては、働くよりは体裁がよく、とにかく高卒になって、という人並みの願望から来ている。学校も、こうした生徒に大過なく高校生活を送らせ、無事に卒業証書を渡すことが一定の私立校の役割になっているのだろう。勉強は問題外なのである。
 もともと高校にも入れない生徒を入れることが間違っている。高校だって勉強する場だ。そんな生徒は学校がつまらなくなり、学校へも行かなくなり、悪くなるかニートか、フリーターかに落ちていくところは決まっている。
 それなら、学校以外の道筋を周りが考え、手に職をつける、というのがこれまでのまた常識であった。働き稼ぐことも面白いのである。
 高校全入というバカなことをいっている政党もあるが、義務教育は中学まででけっこう。若くても勉強よりは仕事を選ぶことの自由度を向上させ、柔軟に生きることができる環境を作るのが、政治の役目だ。

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