団塊の世代の世間話

60年を生きてきた思いを綴った「ゼロマイナス1 団塊の世代の世間話」を上梓し、その延長でブログを発信。

震災後にメデイアはどう変化したか

2011-05-21 09:01:40 | Weblog
 東日本大震災後、メディアの見直しがあったように思う。もういらないか、と思わていた活字媒体が息を吹き返した。反対にテレビは墓穴を掘った。
 テレビは被災地の悲惨な状況をこれでもか、と映して顰蹙を買ったが、同じ電波媒体のラジオはリスナーの生の声をダイレクトに伝えて、評価を上げた。
 活字媒体は、やはり丁寧な取材と論評記事によって、その必要度が改めて分かった。特に週刊誌はその効用が大きかった。
 被災地に社員の記者を突っ込ませることができないから、フリージャーナリストやフリーカメラマンが活躍した。彼らの主な活動舞台が週刊誌だから、いやが上にもクオリティが上がった。それまでヒマで時間を持て余していたカメラマンらが急に忙しくなったそうだ。
 週刊誌の発行部数が報道されたが、現在の発行部数トップは文春、2位が現代、3位が新潮、4位がポスト、5位が大衆という順だ。現代が元気で伸びている。新聞社系の週刊誌は低迷傾向で、新聞でできることを別に週刊誌でやることはないわけだ。
 ところでネットはどうだったのだろうか。この評価はいまひとつ分からない。放射能被害で中部大学の武田邦彦教授のブログが話題を集めたが、結局ネットは玉石混淆になってしまい、なにが正しいのかなにが違うのか、という判断ができない面があって、信頼性が低いのは否めない。
 武田教授のブログにしても、その反対意見の学者もいて、どっちを信じていいのか分からない、というのが実態だった。
 その点、活字媒体はやはりしっかりと残る、という意味で、送り手の責任が重く伝わってくる。活字媒体に関わる人たちの覚悟が、他のメディアと違うのだろうか。
 その後、テレビはなんの反省もなく、バカなバラエテイ番組を相変わらず流し続けている。NHKはどさくさに紛れて、NHKハイビジョンの枠をやめてしまった。実験放送という言い訳はあるものの、売るものを勝手に減らして、料金の値下げはない。東電の値上げ云々と一緒で、これもまた非常識である。
 いろいろなメディアがあることは大切なことで、そこでさまざまな見方や議論が提出され、国民が考える機会が提供される。
 それはいいのだが、今回の東電の原子力安全神話のキャンペーンが、メディアの中の議論を封じてしまった。こういう巧妙な作為がメディアのいたるところにはびこっており、それを見抜く目を国民は持たなければならない。
 活字媒体が再び元気になったことは歓迎すべきことだが、震災後の一時的な現象に終わらせたくないものだ。

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