団塊の世代の世間話

60年を生きてきた思いを綴った「ゼロマイナス1 団塊の世代の世間話」を上梓し、その延長でブログを発信。

酩酊しケータイ紛失

2011-09-12 15:36:17 | Weblog
 金曜日の深夜、したたかに酔って電車を乗り過ごした。この乗り過ごしたこと自体を覚えてはいない。
 帰宅したのは午前3時。朝起きて、そのことを女房殿に教えてもらった。次に、ケータイ電話を拾った方がいて、警察署に届いている、ということも告げられた。
 ギョッ、と思った。頭の中のどこをどう探しても、その記憶がない。ただ長い間、歩いていたような気がするし、ポケットの領収書を見ると、タクシーのものがあって、金額は1290円だった。
 たぶん歩き疲れて、どこかで乗ったのだろう。その折に、ケータイ電話を落としたのだろうか。しかも、その場所がどうやら警察署のそばで、そこで誰かが拾ったようで、その足で警察署に届けてくれた。
 親切にも、女房殿にとっては迷惑な話だが、2時半頃に、そのことで電話があった。電話のベルで叩き起こされて、頭に来たろうと思う。
 こちらはなにも知らずに帰ってきて、のほほんと寝てしまって。朝になって気がついた次第だ。土日は遺失物の金庫がロックされているので、月曜日の朝、警察署に電話した。
 あれこれ訊かれる。メーカーは、ストラップは、色は、落とした時間は、電話番号は…。「ええ、と、080のううん」とすぐに出てこない。
「あっ、ちょっと待ってください」とパソコンを起動して、連動しているソフトを立ち上げて、ようやく電話番号を教えた。
「5分待ってください、ケータイの落し物多いので探します」「はあ、お願いします」と電話を切って待った。やがて鳴って、相手はあることを告げた。
 ほっ、とした次第だが、どうしてポケットからケータイが落ちたか分からないが、正体不明まで呑むほうがどうかしている。
 バッグをなくしたのは、何回だろうか。たぶん4回ぐらいあるが、すべて出てきているのは幸運のなにものでもなく、今回のケータイもそうだった。
 まだまだツキがある、というのではなく、たぶんこれでツキも尽きたと思ったほうが間違いない。ケータイに記憶されている電話番号やメールアドレスは、すべてパソコンと連動しており、ケータイがなくなっても困ることはないのだが、ようやく25ヶ月のクレジットが終わるのが間近で、これから安くなるというのに、というタイミングだった。
 ともかくまた大反省の土日であった。酒を飲んでいて、これ以上飲むと、記憶がなくなりますよー、という便利な薬はないだろうか。記憶がなければ、なにも足されないし、経験にもならず、ただ飲み代だけがなくなる、という不毛な時間でしかない。
 もっと慎重に飲もう、というありきたりな結論を得て、納得するしかないのが情けない。

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