きのうはやあるきのじいさんにおいぬかれる

犬と酒依存症のおっさんが、車椅子を漕ぎながら、ネガティブに日々見たり聞いたり感じたりした暗めの話題を綴ります。

2011-08-24 21:29:45 | 近場の異邦人
儂の実家は、四国に多い(らしい)弘法大師の宗派ではなく、「只管打坐」の宗派である。
この寺は四国では有名らしい。「専門僧堂」とある。雲水がいて日々活動している(という表現はおかしいか)寺。

寺に入る。
蝉の声は確かにする。
がしかし完全に静である。

別世界のような気がし、しばし動きを止める。参拝し、静を後にする。
達磨大師に勇気付けられる。

なんて書いてあるのか、後で調べてみようと思う。

近くに「新幹線の父」と呼ばれる人物の生家跡があった。そこに行ってみる。先月の打ち上げで職場のTさんが、この人物のことを教えてくれた。普段温厚なTさんが、功績の割に評価されていない人物として熱く語っていたことを思い出した。生家は保育所の敷地内にあった。

これもまた静であると思った。

再び走り始めると、鈍行列車が通り過ぎ行くのが見えた。

普段は気付くことのない、静の見守りをありがたいと思った。
自分もそうありたいと思った。

落ち着いたり落ち込んだり、自分のことでいっぱいいっぱいで、いつになったらそういうことができるのかなと、また変にぐだぐだと考えながら、残りの道を走った。