早朝、夜。そこそこの距離を走るためか、いろいろなものに会う。
下ばかり向いて走っているためか、いろいろなものが目に入ってくる。
糞がある。先日は踏んづけた。目の前を鳥のそれが落ちてきたことは数知れずである。
吐瀉物がある。避けようとして脚をひねりそうになる。
亡骸がある。先日は、猫と目が合った。翌日にはなかった。ちょっとほっとした。
カラスが啄んでいる亡骸も目にした。そのカラスでさえ、路上で息絶えていることもある。
新規開店のコンビニがあり、数ヶ月前に開いたばかりのコンビニが閉店している。
公園では路上生活者の段ボールハウスがいつの間にかできている。どんどん荷物が多くなっていく。
数年前訪れたタイでは、物乞いの姿をあちこちに見た。腕や脚がなかった。本当に脚が無くなっているのか怪しい姿の物乞いもいた。そういえばタイでも儂は歩き回っていた(走ってはなかったか)。
交通地蔵がある。花が生けられている。
ガードレールがある。ぐしゃぐしゃになってもまだそこにある。
いつものサラリーマンが見える。たばこを手に持っている。
いつもの犬が散歩をしている。いない日は不安になる。
日々違うものがあり、日々同じものがある。
昔は畳の上で無くなる、とかいうより、路上で無くなる場合も多かったのではないかと思う。ごくごく当然のこととして。自分の場所っていうのは、それほど多くない頃、路上は自分が存在する上では、とても基本的な立ち位置だったはずだ。そこには生も死もその後もその前もすべてあるような気がする。
自分の場所ではない、自分とは違う他のものと共有し、かといって護り護られるだけではなく、侵害され奪われることすら当たり前のようにある路上のルールは、今も確かに存在するはずだと思う。ただ今は、見えにくくなっているのは事実なんだろう。
昨今、生活していく上で、クルマに乗ることは避けられないが、見えてくるものから遠ざかる、乖離していくということなんかなと思う(クルマでなくても、単車ですらそうかもしれない。ただ単車は暑さ寒さはもろに被ったか。そして、臭いも、か)。
アスファルトは、舗装されていても、決してフラットではない。
約2年前に書き留めていた原稿が見つかった。朝の通勤時、市中心からやや南の駅で下りて北西へ向かい、ちょっとした峠を越える13キロのコースを走っていた時のことである。
暗い中走っていると、いろいろなことを思う。今も変わらず、である。
下ばかり向いて走っているためか、いろいろなものが目に入ってくる。
糞がある。先日は踏んづけた。目の前を鳥のそれが落ちてきたことは数知れずである。
吐瀉物がある。避けようとして脚をひねりそうになる。
亡骸がある。先日は、猫と目が合った。翌日にはなかった。ちょっとほっとした。
カラスが啄んでいる亡骸も目にした。そのカラスでさえ、路上で息絶えていることもある。
新規開店のコンビニがあり、数ヶ月前に開いたばかりのコンビニが閉店している。
公園では路上生活者の段ボールハウスがいつの間にかできている。どんどん荷物が多くなっていく。
数年前訪れたタイでは、物乞いの姿をあちこちに見た。腕や脚がなかった。本当に脚が無くなっているのか怪しい姿の物乞いもいた。そういえばタイでも儂は歩き回っていた(走ってはなかったか)。
交通地蔵がある。花が生けられている。
ガードレールがある。ぐしゃぐしゃになってもまだそこにある。
いつものサラリーマンが見える。たばこを手に持っている。
いつもの犬が散歩をしている。いない日は不安になる。
日々違うものがあり、日々同じものがある。
昔は畳の上で無くなる、とかいうより、路上で無くなる場合も多かったのではないかと思う。ごくごく当然のこととして。自分の場所っていうのは、それほど多くない頃、路上は自分が存在する上では、とても基本的な立ち位置だったはずだ。そこには生も死もその後もその前もすべてあるような気がする。
自分の場所ではない、自分とは違う他のものと共有し、かといって護り護られるだけではなく、侵害され奪われることすら当たり前のようにある路上のルールは、今も確かに存在するはずだと思う。ただ今は、見えにくくなっているのは事実なんだろう。
昨今、生活していく上で、クルマに乗ることは避けられないが、見えてくるものから遠ざかる、乖離していくということなんかなと思う(クルマでなくても、単車ですらそうかもしれない。ただ単車は暑さ寒さはもろに被ったか。そして、臭いも、か)。
アスファルトは、舗装されていても、決してフラットではない。
約2年前に書き留めていた原稿が見つかった。朝の通勤時、市中心からやや南の駅で下りて北西へ向かい、ちょっとした峠を越える13キロのコースを走っていた時のことである。
暗い中走っていると、いろいろなことを思う。今も変わらず、である。