ライオンの詩 ~sing's word & diary 2

~永遠に生きるつもりで僕は生きる~by sing 1.26.2012

鍵がかかった、記憶の箱の中に。

2014-09-09 22:04:06 | Weblog
先日、病室に交通機動隊の方がやって来た。事故の調書を取るためだ。

僕は、その人を見てこう言った。

「会いましたよね?」

その人は驚いた顔をしてこう言った。

「会いましたよ、覚えているんですか?」

僕は首を傾げながらこう答える。

「全然覚えてませんけどね」。。。

。。。

「僕が駆けつけた時、あなたは立ち上がって、ヘルメットを脱ごうとして、説明を始めようとしたんですよ。ウーウーと、痛みに唸りながら。骨が何本も折れて、これから救急搬送される人がですよ。僕は驚きました」

そうなんですか・・・僕の記憶には、そのシーンは残っていません。
でも、会ってお話をしたような記憶はあるんです。

事故の説明と、現場の説明と、ほんの少しの今後の事と、その他諸々、調書を取って、調書に僕の捺印を重ね、その人は帰って行った。
「ほんとにご無事で良かったです」と言い残して。


僕はずっと考えていた。

どうして僕は、この事故に遭ってしまったのか。
どうして僕は、この事故を避けられなかったのか。

そろそろ、僕が出した答を書かなければならない。そうでもしないと、ただ、クヨクヨしているヤツになってしまうからだ。

答は、事故から5日目の朝方に出た。考えに考え抜いた末に、どこからかポトリと落ちてくるかのように、5日目の朝に出た。

僕は、何をしたとしても、この事故を避けることは出来なかったのだ。

出発の時間が数時間ずらしていようとも。
サービスエリアでおじさんと長話をしていようとも。
サービスエリアでタバコを一本吸って、トイレに寄ってから出ていようとも。

ほんの一瞬の時間のズレで、回避出来たであろうと思われる事故なのだが・・・。
これは、神様が描いたレシピなんじゃないのか?

つまり、僕が生きるとか死ぬとか、そういうのは関係なく、ここで僕は車の攻撃を受けて、一度死に体になる。と、神様のレシピに描かれていたことのような気がする。

ずっと、考えていた。クヨクヨもしたし、メソメソもした。ポロポロと泣いたし、ウーウーと呻いた。拳を強く握ったし、シーツを引き裂きたくもなった。
でも、ずっと考えていた。

なぜ?

なんで?

どうして?

大いなる魂は・・・僕に旅を辞めさせたかったのだろうか?

どう思う?

大いなる魂は・・・僕に、そろそろ落ち着いて普通に暮らしなさい、と言ったのだろうか?

どう思う?

大いなる魂は・・・僕から何を奪おうとしたのだろうか?

どう思う?


答がわからない時は、答が出るまで考えなければならない。これは、人生の鉄則。
途中で諦めるという選択肢は・・・ない。ありっこ・・・ない。

いくつも出てくる「答」たちと向き合わねばならない。戦う。闘う。泣く。わめく。発狂する。決める。繰り返す。繰り返す。繰り返す。

結局、正解なんて、最初から、ない。
正解は無いが、答は、ある。
答は、いつだって、自分のココロが決めるものだ。

僕は、自分に問うた。

大いなる魂は・・・僕に旅を辞めさせたかったのだろうか?

そして、僕自身が問いに答える。5日目の朝に。

「そんなわけ、ないだろ?」


考えること。

2014-09-09 01:05:21 | Weblog
そんでね。僕は、色々と考えた。

例えば、人が鬱になりゆく時の脳のメカニズムについて。だとか。
例えば、人の心がパニックを起こすに至るまでの脳のメカニズムについて。だとか。
例えば、震災の後に自らの命を絶った人の心象風景と心模様を想像することで得られる、破壊へと向かうプロセスと思考回路の仕組みについて。だとか。

まぁ、色々と考えたわけなのだけれど。

先に書いた、悔しいだとかやり切れないだとか・・・そんな感情にまつわることなど考えても仕方がない。

考えるのは、ひたすらに、なぜ?ということだ。

つまり、事象からメッセージを引き起こすこと。これこそが、ぼくの仕事であり、これだけが、ぼくの仕事なのだ。

つまり、大いなる魂は、僕に何を伝えようとしているのか?である。

僕は時速80キロで、高速道路と走行車線を走っていた。
トンネルを抜けて新潟県に入ると、路面が濡れていた。トンネルの向こう側は雨が降っているとの表示が出ていたので、少し安心した。
トンネルを抜けてから10キロほど下りの道が続く。ゆるやかにどんどんと下っていく。
新潟港まで160キロくらいか。あと2時間。出港の一時間半前には港へと着くはずだ。

僕の記憶はここら辺で切れている。
ここから先は、後日、聞いた話だ。

猛スピードで僕のバイクを追い抜いて行く車がある。その車は、僕を抜くなり急ハンドルを切り、僕の目の前へ割り込もうとした。
事件が起きたのはその時だったのだろう。と僕は想う。

ハンドルを切ったワゴン車が、濡れた路面でスリップする。スリップしながら、こちらへ向かって来る。推定時速120キロ。
僕とマグナは、スリップしながら体当たりをしてきたワゴン車に跳ね飛ばされる形となった。

僕は空を飛んだ。ワイヤーのガードレールを飛び越え、高速道路の外へと放り出された。その時の僕の速度がどのくらいだったのかは・・・わかりようがない。

奇跡はいくつもあったらしい。

ガードレールを飛び越えずに、僕がガードレールに激突していたら、おそらく即死だっただろう。

ガードレールを飛び越えて、僕は高速道路外の法面に叩きつけられた。右半身を強打しながら、僕の身体はそこで止まった。

ガードレールの向こう側には立ち木がいくつも植わっている。飛び出した先で、立ち木にぶつかっていても、僕の命は無かったそうだ。

僕の身体が、ガードれー側ではなく、車道側に飛び出していたとする。
後ろから走って来た観光バスの運転手の話では、その観光バスが僕を轢いてしまっただろうとのこと。

法面に叩きつけられたあとに、法面の向こう側へ転がり落ちていたらどうなっていただろう・・・。

どうあがいても・・・僕が生きていられる可能性はないように思える。

現場を見てきた人はこう言った。

あの事故で生きていられる可能性なんて、1パーセントくらいしか・・・ないよ。奇跡以外の何ものでもない。

僕に当たったワゴン車に、観光バスやら何やらがぶつかったりして。。。
計五台が絡む大きな追突事故。関越道は数時間に渡って通行止めとなり、全国版のニュースでも流れたその事故で、僕は一躍、時の人となるのである。

重体、一名。職業、旅人。現在死にかけています・・・とね。

つづく。