ライオンの詩 ~sing's word & diary 2

~永遠に生きるつもりで僕は生きる~by sing 1.26.2012

さらば510号室。

2014-09-19 23:29:15 | Weblog
僕は今、通称「元気部屋」と呼ばれている、タコ部屋にいる。

ICUから移されたのは、個室だった。

重体で運ばれて来たので、個室に入れて完全看護といった感じ。

手術を前にして、病棟を変え、518号室に移された。四人部屋。
この部屋は、手術を待つ人や、手術が終わった人などなどが入る緊急部屋といったところか。看護師さんたちの目が届きやすい位置にある。
この部屋が、長かったように思う。

一週間前に、遂に僕に声がかかった。

「しんぐさん、お部屋を移動しますね。行き先は、タコ部屋です」

個室とか、緊急部屋とかで、大事に扱われてきた僕なのに、とうとう看護師さんも滅多に顔を見せないといわれる、放っておかれ部屋に入れられてしまうんだ・・・。

まぁ、いい。まぁ、いい。と。

だって、病室には変わりないじゃないか。と。

看護師さんがベッドやら荷物やらの移動はやってくれる。
準備が出来たら呼ばれるというシステム。

知っていたけど、そこは六人部屋。いわゆる大部屋。大部屋だけど、部屋は大きくない。つまり、人口密度が高くなる。
四人部屋と同じ広さの部屋にベッドが六床。つまり・・・ぎゅうぎゅうね。

四人部屋のカーテンが付いている部屋にベッドが六個。つまり、区分けが変則的。微妙に仕切られてないんですけど・・・的な。

通称「元気部屋」。

元気な人が入る部屋。

元気じゃない人も居たりするんだけど、基本的には元気部屋。元気な人が入る部屋。

もうすぐ退院だったり、まだ退院出来なかったり、色んな人が居るけれど、みんな、僕の退院を祝福してくれた。

一週間、楽しかった元気部屋。

ワイワイワイワイ。

さらば510号室。

タコ部屋、楽しかったなぁ。

宇宙人と呼ばれて。

2014-09-19 18:39:56 | Weblog


病院というものは、そういうものだ。
何度か入院ってものをしたことがあるが、病院ってのは、常にそういうものなんだ。

下半身強化リハビリが僕には気づかせてくれたのは、「自分は歩ける」という自覚。
傷をかばって、痛みが出ないように、ソロリソロリと歩いていたけれど、普通に歩いても大丈夫なんだということに気づかされた。

これが大きかった。

少々の痛みは、回復への通り道。だと思い始めた。
早く回復して、元気になりたい。と、思い始めた。

ベッドの上に寝転がってばかりいるのはつまらない。と、思い始めた。
前向きなココロは、細胞を活性化させる。と、信じ始めた。

これが大きかった。

入院してから15日目の回診の日。主治医の先生は僕にこう言った。

「だいぶ元気になりましたね。もう埼玉の方に戻れそうですね。来週退院しましょう」

あまりの急な宣告に、僕は驚いてしまった。
あと一ヶ月か、あと二ヶ月か・・・退院はいつなんだろう?雪が降る前には帰りたいな・・・とかね。

あまりの急な展開に、僕自身が驚いてしまった。

僕も驚いたが、もっと驚いていたのは、周りの人たちである。

同じ病棟で、僕が死にかけちゃんで運ばれて来た頃を知っている人は特に驚いていた。

「超人なんですか?」

僕が、ついこの前まで、生まれたてのカモノハシくらいのスピードでトイレに向かって歩いていたのを知る人も驚いていた。

「サイボーグなんですか?」

退院が決まったんだよぉ!と、嬉しそうに報告する僕に、みんなは色々な言葉をかけてくれた。

「宇宙人に連れて来られたんですか?」

とかね。


僕が、退院に則した状態なのかは、僕にもよくわからない。
だって、予定よりだいぶ早い退院だからね。

でも、病院というのは、元気に歩き回る人をずっと入院させておくような場所ではないんだよね。
そういう人は、「通院しなさい」ってことだね。
つまり、君は遠方から来てるので、この病院からは退院して、地元の病院に通いなさい。ってことだね。

そわなわけで、急な展開ではありますが、

「明日、退院します」

やっほー!

やったー!!

超人万歳!!!

心配かけたね。家へ帰るよ。

サイボーグと呼ばれて。

2014-09-19 17:06:32 | Weblog


僕は、僕が知らないうちに、少しずつ回復していた。

僕は、僕が知らないうちに、少しずつ少しずつ、凄まじい勢いで回復していた。

生まれたてのタズマニアンデビルくらいのスピードでしか歩けなかった僕が、驚異的な早さで普通に歩けるようになったのには、理由がある。

それは、理学療法士の上村さんによるリハビリのお陰だ。

僕のリハビリは、他の人のリハビリとは少し違っていた。少し違っていたではなく、まったく違っていた。

まともに歩くことも出来ない僕に、理学療法士の上村さんは、相当なメニューを課した。相当なリハビリとは、相当にハードなリハビリという意味だ。

折れた肋骨に響かないことなら、なんでもやらされた。

バランスボールを使った、腹筋、背筋。

壁に背中を付けて、いわゆる電気椅子の状態からの上下動。

スクワットウォーキング。これはキツイ。こんなこと、病人にさせてもいいのか?というくらいにキツイ。
汗が吹き出して来ても、構わずにスクワットウォーキングは続く。

ふくらはぎを鍛えるための運動。これは説明出来ないけれど、脚の痙攣が終了後30分も続くほどキツイ。地味にキツイ。

リハビリの最後には、必ずサイクリングマシーンが待っている。
サイクリングマシーンをただ漕ぐだけでも、死にかけちゃんの僕には相当な意味があると想うのだけど、そうはいかない。
負荷をかけて、ペダルを重くする。そして、回転数を指定される。回転数とはスピードのこと。このスピードは日に日に上げられて行く。
ペダルを漕ぐこと15分。脈拍は常に120~130を指し示す。

リハビリ室を出る時に、噴き出すほどの汗をかいているのは、いつでも僕だけだったような気がする。

僕は、キツイメニューを課されるたびに、理学療法士の上村さんにこう問いかける。

「これって・・・アスリートがやるトレーニングじゃないんですか?病人がやってもいいトレーニングなんですか?」

理学療法士の上村さんは、そのたびにこう答える。

「そうですよ。アスリートがやるトレーニングですね。しんぐさんは、下半身に怪我はないので、アスリート扱いなんです」

とね。

つづく。

超人と呼ばれて。

2014-09-19 16:35:54 | Weblog


超人は、存在するのか・・・

超人が、存在するかどうかは、わからないな。

でも、たぶん、きっと、僕は、超人なのかもしれない。


三週間前、確かに僕は、死にかけ人形みたいになっていた。

それは、自分でもそう想ったし、他人から見てもそうだったんだと想う。

最低でも二ヶ月くらいの入院と言われていた。
ベッドに磔にされた寝たきりの僕は、その言葉でさえも、希望的観測の数字だと想ったくらいだ。

日々は過ぎる。

入院から一週間後に、全身麻酔をかけて開胸観血手術。手術を終えた時は、あまりの苦しさに悶絶した。

また、日々は過ぎる。

リハビリが始まる。
この頃から、僕のココロは完全に前を向き始めたのだと想う。

蚊の鳴くような声しか出なかったのが、普通の声に変わってきた。

車椅子に乗せられて、階下へ運ばれるだけでもヘトヘトヘロヘロになっていたのが、自力で歩けるようになって来た。

歩くスピードが、歩き始めの赤ちゃんくらいのスピードだったのが、生まれたてのカピバラくらいのスピードになった。生まれたてのカピバラって歩けるの?知らないけど。

歩いて行ける場所がトイレだけだったのが、階段を使って下の階まで行けるようになった。

売店に行って、アイスクリームを買えるようになった。売店のおばちゃんは、僕を見てとても驚いていたけどね。

内緒で、病院の外の喫煙所に、タバコを一口吸いに行けるようになった。肺が壊れてるから、お医者さんに絶対ダメって言われてたけどね。

赤く染まった白眼は白く戻って来て、破れた鼓膜は塞がって来て、まっすぐ歩けるようになって来て、病院の隣にある川沿いの公園のベンチが、暇な時の僕の居場所になってきた。
病院の規則で、公園に行く土手を越えるのは絶対禁止ってなっていたんだけどね。

つづく。

生、ゆで、半熟、温泉、味付け。

2014-09-19 08:43:59 | Weblog
北海道へ旅立つにあたって、僕は、我が家の電気のブレーカーを落としてきた。
ブレーカーを落とすということは、電気が消えるということ。電気が消えれば冷蔵庫も切れる。つまり、冷蔵庫の中にモノが入っていてはいけない。つまり、旅立つまでに、冷蔵庫の中身を空にしなければ!ということ。

ねぶた祭りに行く前も、八丈島に行く前も、八丈島から帰って来てから北海道へ旅立つ前も、僕はずっと、冷蔵庫に入っていた食品の片付けに追われていたんだよ。



病院のご飯は、想像以上に美味しくない。
毎日三食、規則正しく、病院のご飯。