新潟といえば・・・良寛和尚。
偉大な人です。
朝ごはんと一緒に牛乳がでます。・・・良寛牛乳。
良寛和尚は、牛乳は飲まなかったはずだけどね。
「ぼろの衣、また ぼろ ぼろぼろ これ我が生涯
食は道々の乞食で食いつなぎ
家は 蓬(よもぎ)が生える家
月の夜は 一晩中 詩歌や句を作って過ごし
花の美しさに見とれては 家に帰るのも忘れる
寺社(円通寺)を出てから このような姿
どう言い訳も出来ない(あえて、その真相(真実)を説き明かすことも出来ない、これが我が生涯)」
風雅に生きた良寛和尚の言葉だ。憧れてしまう。
牛乳を見て、「これかな?」と想ったりした。新潟で事故に遭ったのは、良寛牛乳に出会うためかな?
でも、この頃は、口に入れるものすべて、吐き気を誘発していたので、良寛牛乳を飲んでオェッとなって、「これはきっと違うな」・・・そう想った。
良寛和尚では、ない。と。
お見舞いはほとんど断っているのだけど、一組、何度も来てくれる人たちがいる。
カズヤくんとユキノちゃんという名の夫婦。年の頃は30歳くらいかなぁ。といった感じ。
長岡市という、ここから高速で一時間離れた町から、いつも突然お見舞いに来てくれる。二人揃って。
初めて二人に出逢った時、僕は少し怒っていたのかもしれない。
頭の整理がつかなくて、身体がいうことをきかなくて、小さな声しか出なくて、怒れていたかどうかもわからないのだけど、たぶん、僕はやり場のない怒りみたいなものを抱えていたんだと想う。
僕が事故の被害者ということになるなら、加害者という人が存在する。
カズヤくんは、僕を跳ね飛ばしたワゴン車を運転していた、その人だ。仕事帰りに運転を誤って、僕のバイクに激突した。
ユキノちゃんは、カズヤくんの奥さん。
初めて会った時から、カズヤくんの隣で何度も頭を下げていた。
当たり散らす事が出来たなら、僕は当たり散らしたかった。
なんでぶつかったのか?
なんでぶつけたのか?
なんで狂わせたのか?
なんでこんなにチューブを付けられてるのか?
なんでこの骨は折れてるのか?
なんでこんなにズキズキするのか?
なんでバイクはここにないのか?
なんてことを・・・なんてことを・・・。
心ではね、想わないこともなかった。想ったと想う。
でも、まぁ、ここで言っても、ここで叫んでも、仕方のないことでして。
世の中って、そういうものでして。
というより、もう、起きてしまったことは、元に戻ったりしないわけで。
怒ったぅて、傷が消えて、痛みがなくなるわけではないわけで。
何も変わらないわけで。
僕は、彼にこう言った。
「僕は運良く命を取り留めたけれど、ほとんどの確率で僕は死んでいたでしょう。そしたらあなたは人を殺したことになる。これからは、もっと気をつけて運転をしてくださいね。ライダーとして一言。特に、バイクには気をつけてくださいね。車と違って、みんな一瞬で死んじゃうんだから。」
今の世の中は、それでじゅうぶんなんだ。
あとは、保険会社やら、代理人やら、弁護士やら、代わりの人が全部やってくれる。
起こったことはそこで終わり。そこで反省して、次のターンへ。
形式だけの挨拶の中で、取り乱したって、仕方が無い。そんなの、なんの意味もない。
そんなことよりも、僕が見つけなければならないのは、僕が生きていくための答・・・なんだ。
つづく。