どんな風に生きるか?
それは、それぞれの自由。
どんな風に生きたっていい。
どんな風に生きたって構わない。
自分の人生だ。自分の命だ。
好きに生きて構わない。
つまり、どんな風に生きてもいい中で、
どんな風に生きるのか?
それが、ひとつ、重要な問題だということ。
キミは、どんな風に生きる?
指針。方向。ベクトルの向き。たどり着きたい場所。
そしてボクは、どんな風に生きる?
僕は、不遇と言える事故に遭った。
ありがたいことに、たくさんの励ましや心配の手紙を頂いた。みんな優しくて、涙がポロリポロリと零れたりする。
僕みたいなロクデナシに、愛をありがとう。と、ココロから想う。
たくさんの手紙の中には、そうじゃないものもある。
「ざまぁみろ!」とか、「死ねば良かったのに」とか。
ある意味、差出人の「素敵すぎる趣味」に、感動したりする。最高に恨まれてるなぁ、と。
僕みたいなロクデナシに、最適すぎる評価じゃないか、と。
そこにも、一つの答があるのではないかと、僕は想う。
どんな風に生きようと、自分が幸せならば、それでいいと。
人を恨みながらでも、妬みながらでも、悪態をつきながらでも、そんな自分をココロから幸せだと想えるのなら、その生き方は正解なのだろう。
方程式に当てはめれば、自ずと、そうなる。
ボクは、どうだ?
僕が幸せだと想うことは、なんだ?
キミは、どうだ?
君が幸せだと想うことは、なんだ?
例えば・・・
どうしようもないやり切れなさの中で、
打ちのめされた悲しみの中で、
やり場のない怒りの中で、
傷つけられた心の痛みの中で、
胸を締め付けられるほどの切なさの中で、
ひとりぼっちの寂しさの中で、
取り残されてしまった孤独の中で、
例えば・・・
傷つけてしまった後悔の中で、
例えば・・・
取り戻せない後悔の中で、
どんな風に生きる?
キミは、どんな風に生きる?
ボクは、どんな風に生きる?
方程式に当てはめると、自ずと、どうなる?
ボクは・・・笑いながら・・・いきたい。
出来ることなら、ボクは、笑顔のままで、いきたい。
『どんな風に生きる?』
カズヤくんとユキノちゃんの話。
ユキノちゃんのお腹が大きい。来月には待望の赤ちゃんが生まれる。
僕は、僕自身は、こんなに傷だらけなんだけど・・・、とても幸せな気持ちになる。
カズヤくんは事故の影響で、運転を控えているらしく、奥さんのユキノちゃんが、往復二時間の道を運転して、病院まで見舞いに来てくれる。
「妊婦さんなんだから、無理しちゃダメだよ。無理に来なくていいからね」と僕が言うと、ユキノちゃんはこう答えた。
「わたしが来たいから来てるんです。しんぐさんの話を聞くのが楽しくて。ここに来るのが、楽しみなんです」
僕は、実際、まだ、答を、見つけてはいない。
まだまだ、答はみつからないのかもしれない。
どうして、僕が事故に遭ってしまったのか?
神様は、僕に何を望んだのか?
大いなる魂は、僕に何を与えようとしたのか?
・・・さっぱりわからない。
今は、まだ、わからなくても、いい。
これから、傷を治して、旅に戻って、旅をしながら、探そうと想う。
たくさんの出逢いを繰り返しながら、迷いながら、間違えながら、探そうと想う。
いつか、きっと、答は、見つかる。
笑いながら、語りながら、歌いながら、懐かしがりながら、笑いながら、肩を叩き合いながら、握手を交わしながら、探そうと想う。
この命が、尽きるまで。
『どんな風に生きる?』
ボクは、そんな風に生きる。
PS.
北海道へ行く時は、必ず新潟を通ることにしようと想う。
カズヤくんとユキノちゃんの子供が生まれて、歳月とともに大きく育っていく。
その成長する姿を目にすることが出来たなら、僕は、それを、本当に、幸せなことだと想う。
ココロから、そう想う。
今は、新しい命が、無事に元気に、この世界に生まれ来ますように・・・祈る。
~どんな風に生きる。終わり~