ライオンの詩 ~sing's word & diary 2

~永遠に生きるつもりで僕は生きる~by sing 1.26.2012

どんな風に生きる。最終回。

2014-09-13 21:20:42 | Weblog


どんな風に生きるか?
それは、それぞれの自由。
どんな風に生きたっていい。
どんな風に生きたって構わない。
自分の人生だ。自分の命だ。
好きに生きて構わない。

つまり、どんな風に生きてもいい中で、
どんな風に生きるのか?
それが、ひとつ、重要な問題だということ。

キミは、どんな風に生きる?

指針。方向。ベクトルの向き。たどり着きたい場所。

そしてボクは、どんな風に生きる?


僕は、不遇と言える事故に遭った。

ありがたいことに、たくさんの励ましや心配の手紙を頂いた。みんな優しくて、涙がポロリポロリと零れたりする。
僕みたいなロクデナシに、愛をありがとう。と、ココロから想う。

たくさんの手紙の中には、そうじゃないものもある。
「ざまぁみろ!」とか、「死ねば良かったのに」とか。
ある意味、差出人の「素敵すぎる趣味」に、感動したりする。最高に恨まれてるなぁ、と。
僕みたいなロクデナシに、最適すぎる評価じゃないか、と。

そこにも、一つの答があるのではないかと、僕は想う。
どんな風に生きようと、自分が幸せならば、それでいいと。

人を恨みながらでも、妬みながらでも、悪態をつきながらでも、そんな自分をココロから幸せだと想えるのなら、その生き方は正解なのだろう。
方程式に当てはめれば、自ずと、そうなる。

ボクは、どうだ?

僕が幸せだと想うことは、なんだ?

キミは、どうだ?

君が幸せだと想うことは、なんだ?


例えば・・・
どうしようもないやり切れなさの中で、
打ちのめされた悲しみの中で、
やり場のない怒りの中で、
傷つけられた心の痛みの中で、
胸を締め付けられるほどの切なさの中で、
ひとりぼっちの寂しさの中で、
取り残されてしまった孤独の中で、
例えば・・・
傷つけてしまった後悔の中で、
例えば・・・
取り戻せない後悔の中で、

どんな風に生きる?

キミは、どんな風に生きる?

ボクは、どんな風に生きる?

方程式に当てはめると、自ずと、どうなる?


ボクは・・・笑いながら・・・いきたい。
出来ることなら、ボクは、笑顔のままで、いきたい。


『どんな風に生きる?』


カズヤくんとユキノちゃんの話。

ユキノちゃんのお腹が大きい。来月には待望の赤ちゃんが生まれる。

僕は、僕自身は、こんなに傷だらけなんだけど・・・、とても幸せな気持ちになる。

カズヤくんは事故の影響で、運転を控えているらしく、奥さんのユキノちゃんが、往復二時間の道を運転して、病院まで見舞いに来てくれる。

「妊婦さんなんだから、無理しちゃダメだよ。無理に来なくていいからね」と僕が言うと、ユキノちゃんはこう答えた。

「わたしが来たいから来てるんです。しんぐさんの話を聞くのが楽しくて。ここに来るのが、楽しみなんです」


僕は、実際、まだ、答を、見つけてはいない。
まだまだ、答はみつからないのかもしれない。

どうして、僕が事故に遭ってしまったのか?
神様は、僕に何を望んだのか?
大いなる魂は、僕に何を与えようとしたのか?

・・・さっぱりわからない。

今は、まだ、わからなくても、いい。

これから、傷を治して、旅に戻って、旅をしながら、探そうと想う。
たくさんの出逢いを繰り返しながら、迷いながら、間違えながら、探そうと想う。

いつか、きっと、答は、見つかる。

笑いながら、語りながら、歌いながら、懐かしがりながら、笑いながら、肩を叩き合いながら、握手を交わしながら、探そうと想う。

この命が、尽きるまで。

『どんな風に生きる?』

ボクは、そんな風に生きる。



PS.

北海道へ行く時は、必ず新潟を通ることにしようと想う。

カズヤくんとユキノちゃんの子供が生まれて、歳月とともに大きく育っていく。
その成長する姿を目にすることが出来たなら、僕は、それを、本当に、幸せなことだと想う。

ココロから、そう想う。

今は、新しい命が、無事に元気に、この世界に生まれ来ますように・・・祈る。


~どんな風に生きる。終わり~



どんな風に生きる。3

2014-09-13 00:11:35 | Weblog
斜めに割かれた鎖骨を繋ぐ手術。それをするために、一週間待たなければならなかった。
なぜなら、肺に血が溜まっていたから。肺に溜まった血がなくなるのを待つのと、傷んだ肺の回復を待つのとで、一週間。

何も出来ず一週間。
骨がブランブランに折れたままの一週間。
手術待ちの一週間。

この間に、僕はICUを脱し、第二病棟の個室に移された。そこでしばらく経過を観察。手術の前に第五病棟に移された。

入院四日目にして、尿管に刺されたチューブを抜いてもらった。
どうしても嫌で、嫌で、わがままを言って抜いてもらった。
上にも下にもチューブが付いてるなんて、我慢ならない。

人間というのは不思議なもので、同じ状態でいられるなら、その状態に慣れて行ける。
つまり、骨がブランブランに折れていようとも、その痛みには次第に慣れてしまうということ。

少しずつ、口に入れられるものも増えて来て、おかゆ一口とか、おかゆ二口とか、おかゆ三口とか。状態は安定していたように思う。
全身麻酔の手術を控えていて少しナーバスではたったものの、状態は安定していたように思う。


夜。

「こんばんは」という声とともにカーテンが開く。

そこには、カズヤくんとユキノちゃんが立っていた。

驚いた。心から驚いた。何しに来たんだろう?と思った。驚いた。ドギマギした。

傷はどうですか?とか、手術はいつですか?とか・・・。
当たり障りのない質問がいくつかあって・・・。
ごめんなさい・・・とか、どうもすみません・・・とか、ありきたりなやりとりがいくつかあって、話すことなんてなくなる。

どうして、話すことがなくなるか。。。それは、被害者と加害者だから、かな。わかんないけど。

僕の中には、悔しいとか、なんで?とか、色々な感情はあるのだけれど、
怒りとか・・・恨みとか・・・そういうのは、もう、なんだか全然無くて。

そうしたら、「もう、いっか」って気持ちになるんだね。なるんだよね。

被害者とか加害者とかじゃなくて、ケガしちゃった人のところへ、ケガを心配してくれる人が来てるっていうシチュエーションなら、話すことがなくなるなんてことはない。
普通に喋ったり、語ったり、笑ったり、すればいい。

そもそも、僕は、喋ったり、語ったり、笑ったり、笑わせたりするのが得意じゃないか。

「また来てもいいですか?」
二人は僕にそう聞いた。

「もちろん。手術が終わったら、様子を見に来てね」
僕は笑顔でそう答えた。

なんか、なんだか、心のモヤモヤが晴れた気がした。
なんか、答が、見つかったような気がした。

許すとか、許さないとかじゃなくて。
許したとか、許せたとか、そういうのじゃなくて。
全然関係のないもの。

その時に僕が想ったこと。

「僕は、あの二人に、僕の人生を語るために、人生を教えるために、事故に遭って、ここに、いるのかもしれない」

答なんて、なんだっていい。そんなこと知ってる。
自分で考えて、自分で導き出す答なんて、どうだっていい。そんなことも知ってる。
でも、あったって、なくったっていいわけじゃない。答は、絶対に必要なんだ。

その答が、カランコローンと音を立てて、転がった気がした。

手術を受けて、早く怪我を治そう。そう想った。
早く全部を治して、早く旅に戻ろう。そう想った。

僕の心が、さっきよりも晴れて、さっきよりもずっと軽くなった。
自分が、そうありたいと想える自分でいられる。

二人が会いに来てくれたお陰だ・・・そんな風に僕は想った。

つづく。