江戸にちょっと興味を持ったことから、「江戸時代の人ってどんな恋をしていたんだろう」と気になってきました。
そんな疑問に応えてくれるのは「江戸の恋ー粋と艶気に生きる」(集英社新書)です。
著者は江戸ブームを起こした田中優子さん。
いやあ、この本、ものすごく面白かったです。
「恋」はいつの世も同じ、どころか同じ日本でもこうも違うかと知る面白さ。
今の日本の恋愛観の多くは小説やらドラマやらの影響を受けていますが、それだけが恋じゃないよと教えてくれます。
たとえば、「結婚は切実な経済問題である」。
農家は嫁なしでは成り立たない、商家でも「家内」を取り仕切るおかみさんは必須、長屋では男女が稼いでようやく生活できた。
「一人扶持は食えないけど、二人扶持は食える」なんて言葉がありましたね。
江戸の恋―「粋」と「艶気」に生きる (集英社新書) 価格:¥ 734(税込) 発売日:2002-04 |
武家は、嫁の持参金と出世のために縁組がなされた、というわけです。
だからこそ「結婚は結婚、恋は恋」と割り切れない人たちの悲劇が起きるわけで、その最たるものが「心中」ですね。
しかし、心中でさえ、金ときっちり手を結んでいて、そういえば近松門左衛門などの「心中もの」はほとんど金がらみですね。
金がなくて身請けできない。
一緒になると、家族や雇い主への義理が果たせない~~。
もともと「心中」とは、死ぬことを意味するのではなく
「心の中」を見せ合うこと。
お互いの誠意を見せ合うことですだそうです。
それにも段階があり、誓紙を書く、断髪してその束を相手に渡す。さらに彫り物。よく腕などに名前を彫ってますね。
高じていくと爪はがし、指つめなどとエスカレート。
うーん、00の世界みたいですね。
そしてどうにもならなくなるとお互いの命で誠を証明。
ついに「道行」「~この世のなごり世のなごり~~」となるわけです。
「曽根崎心中」の道行の最中、
「今年の心中のよしあしの~我も噂の数に入り~~」
というセリフがあります。
心中事件があると、世間では「あの心中はどうだった、こうだった」と噂されるとかで、自分たちの心中も噂されるのね、と道行の最中につぶやくんだとか。
そんな様を現代文楽にしたのが三谷さんの「其成礼心中」だったんですね。
一直線に死に向かうのではなく、世間も気になる、残した人も気になる、死ねない、でもどうしようもないと迷いながら死んでいく、そこに「心中」もののドラマがあるとか。
「恋」というと、「二人のために世界はあるの~~」(古いね、知ってる?)
と思いがちですが、そうではないのが江戸の恋というわけです。
いや、もちろん、江戸時代だからといってすべての恋がそんなに重いわけではなく、「普通の恋」もあったはずで、「恋愛感情」での結婚は「浮気な結婚」といわれたんだって。
金や家柄とは無縁、いや、がんじがらめになっていない人たちは、この「浮気な結婚」ができて「シアワセに暮らせた」わけで、これは今も昔も変わらないかも~~??
いや、「好きとお金」のあいだで揺れ動くのは、いつの世も同じかも~~。
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