真夏のような暑さから一転して東京はすごい雨。
今度の土曜日は「色っぽいキモノ」講座の最終日。
雨かしら、雨だったら何着ていこうかしら、と晴れの日も雨の日もきもののことを考えるシアワセ。
先にも触れましたが、江戸のことを少し学んでみようかと、江戸ブームを巻き起こした田中陽子さんの本を読み漁っています。
今回は、これも前に古書店で見つけた、でも書棚に入れっぱなしになっていた
「若衆好み―江戸女の色と恋」(Gakken)。
この本は鈴木晴信の春画などもいっぱい入っていて、なかなかにハードな本なのです。
江戸時代に女に好まれた男、特に若衆に焦点を当てています。
若衆とは、少年のこと。
一五・六歳で元服、つまり大人になりますが、若衆は、その前の少年たちのこと。
それも特に美少年のことを若衆と呼んだそうです。
今でいうとジャニーズ・JRみたいなもの?
いや、これが女たちに(男にも)モテモテだったそう、というお話です。
出雲の阿国が男性の恰好して踊りはじめ、それが歌舞伎の起源になったのはご存じの通りですが、その時代、女は男の恰好に、少年は逆に女の恰好、振袖を着て踊っていたとか。
それが若衆歌舞伎。
倒錯美の時代。
春信さまの絵で見ても、どちらが男女の区別がつきません。
下にいるのが若衆。
振袖を着て髪もたぼ(後ろの毛束)を大きくとっていて、女かと見まごうばかり。
というか、若衆歌舞伎は女装しているので、ややこしいことに男装した女性と女装した若衆が恋を恋をすることもあったようです。
なかなかにシュールというか、歌舞いている世界ー。
戦国の世が終わり、武骨な武士がもてた時代から、一転して美少年がもてはやされる時代に。
美少年の扇子や地紙売りといった商売は商家の娘、奥女中などに大人気で、身体を売ることもあったといいます。
驚いたのは、「八百屋お七」が恋した相手、寺小姓の吉三郎。
二人とも一六歳。
豊国の八百屋お七
彼に会いたいあまり自宅に放火し火あぶりの刑を受けた話はあまりに有名です。
吉三郎も、物売りを装ってまでお七に会いにいくのですが、この吉三郎、兄分というホモセクシャルの相手を持つ若衆だったそうです。
ふーん。
吉三郎はお七が火あぶりにされたあと病気、自殺未遂、出家という道をたどるくらいだからお七を好きなのは確かなのですが、それと兄分との関係はまた別ということなのでしょうか。
江戸時代、男色はむしろ「美しいもの」として誇りうることだったようです。
男同士の恋を描いた「菊花の約(ちぎり)」(上田秋成)なんていう物語もあります。
キリスト教の概念が入る前、男色や恋の捉え方は微妙に違う。
このあたり、興味があるのでチト調べてみようかなあ。
恋って何?
愛って何?
最近、わが娘をはじめ、仕事関係の若い女の子たちの恋バナ聞いていると、ちょっと「恋」というものに重きを置きすぎているような気がするんだけど~~。
それはワタクシめが「恋は遠い日の花火」(これも古いね)になってしまったから思うことなのかしらん。
忘れてしもた恋を思い出すために、ちと江戸界隈に赴き「江戸の恋」を探してみます。
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