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ふふ、ちょっと重い? かなと思ったけど、
けっしてそんなことはないよ。
立花隆さんの本、わからないことを科学的に
解き明かしてくれるので読めばすっきり。
「死はこわくない」(文春)、再読です。
前に読んだときには、結構ウツ入っていたからか、
「象のようにひそかに」とか「人は死ねばごみになるとか」
「苦しかったら薬で週末、もとい終末を迎える」とか
立花さんの終末観を参考(??)にしようと、
そんなことばかり覚えているけど、
今回落ち着いて読むと、
アハ!体験(ああ、そうか)がいっぱい。
臨死体験は脳の血流が起こす
一種の夢みたいなものだとか。
なるほど!
アハ!体験第一弾。
臨死体験は脳が見せる夢みたいなものだから、
死ぬときには、できるだけ快適な環境を作る。
これは臨死体験を3度!体験した人が
初めの二回は温かいお布団のなかだったので、
とても快適に「臨死」できたけど、
三回目は寒いなかだったので、震えながら
「あの世」に行きそうになったのだとか。
おかしいでしょ。
だから死ぬときには適度な温かさのなかで、だって、
アハ!体験第二弾。
ワタシの母は胃癌だったのですが、
延命はせず、最期のときに、
「ああ、これでお父さん(夫のことです)のところに
行けてうれしい」
「わからないといけないから眼鏡入れておいてね」と
言い残して逝きました。
夫の行状にはかなり苦しめられていたのですけどね。
こういう風に、楽しみながらの逝き方いいよね。
いろいろ思うことはあるけど~~。
では「あの世」はあるのか、
「死ぬ瞬間」の著書で知られるキューブラー・ロスは
生きているときは繭、死んで人は
蝶になると信じていたそうです。
こんな感じ?
アッ、これはジュディ・オングだった。
立花さんは否定するかと思いきや、
いや、もう、それは個人がそれを信じて逝けるのなら
「あると信じる人にはある」ということで、はい。
「あの世」に行って(逝って?)
「わあ、元気だった?」
「うん、元気、元気」
「でも、ここに来たからには一応、ねえ~~」
「まあまあ、せっかく会えたんだからそんなことはいいの~~」
「そうだね」なんて、
同窓会みたい。
こんなこと頭に描くと、結構楽しそう。
そう思うと、死んでもいても、生きていても
今はもう、そう変わりないような気がしてきた。
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