若い頃は、いろんなところに旅に
出たもんだ。
「なんでも見てみよう」だっけ?
そんな本があったりして。
「ここよりほかの場所」を
探してたのかな。
でも、最近はおうちに着くとほっ。
長いあいだお家を離れていると
どんな恵まれた場所でも
やはりお家に帰りたくなる。
で、話は飛ぶけど、先に紹介した
「すべての見えない光」(新潮社)のドーアに
「来世」(「メモリアル・ウオール」新潮社)
という作品があって、
(これもやはりナチスの時代の話です)
ユダヤ人の少女の描く来世、あるいは天国の
イメージに満ち溢れていて、哀しくも美しい~~。
テラスハウス、風のはためくテント~。
宗教的なイメージに限らず、
多くの人はある種の天国の像といったものを
抱いているんでしょうか。
この方、天国のイメージに取りつかれているのか、
「すべての見えない光」のなかにも
マリーとマネック夫人のこんな会話が。
「天国では神様に会えるの?」
「そうかもしれないね」
「天国にいる人たちは何を食べるんだと思う?」
「天国では食べないんじゃないかね」
「そんなのいやよね?」
でも、マネック夫人は笑わない~~。
食べるものがだんだん少なくなる~~、
いろんな人がいなくなる~~、
じわじわと危険が迫ってくる~~。
そして、
マネック夫人が最後にぽつりとこぼす
「今になってみれば、天国はここにかなり
近いような気がするよ」
こんな映画もあったね。
失いそうになってはじめて、
自分が天国にいたことがわかる~~?
そう、天国とは、いつか行くところではなく、
今、この場所、我が家がそうかも。
食べるものがあって、寝る場所があって~~。
手を伸ばせば好きなモノがある。
天国の美しいイメージはどこにもないけどね。
でも寿命が尽きても、
天国に行ける可能性は低い、ワタシ。
だから、いま、早くに気付いて
よかった、よかった。
死ぬまで満喫できればいいな。
というわけで、
応援ポチも
いただけること
あるしね。
ま、私は来世は来世に行ってから考えると言う不信心ものですのでどうなることやらわかりませんが、いっぱい心配事はあるものの今、幸せです。
よく母が「目をつぶって体の中に痛い所がなければそれだけでその人はとても幸せなんだよ」と言ってました
体の方はあちこち傷みがでてきてますが「今」はどこも痛くない。家族が元気。以前なら知ろうともしなかった着物を勉強し始めて今まで??なこともちょっとずつわかってくる。しかもこうやって本来ならお知り合いになれるはずもなかった紫苑様のお話も読める。今が天国です\(^-^)/
「目をつぶって痛いところがなければ~~」そんな言葉を子供に言って、またそれをしっかり覚えている亜雅紗さん。素敵な母娘ですね。だんだん目をつぶると痛いところが出てくるようにはなりましたが、それでもここは天国か、です。小者ですから、悪いこともしなかったけど、善行も行っていないので、天国行きのチケットはもらえないかも。まあ、それはそれで、いま天国だからいいいや(笑)
いつも、楽しみにさせて頂いております。
天国と地獄。。
今日も、孫が聞きました。
ねえ、ばばちゃん、みんな死ぬの?そしたら、誰が天国に行って、誰が地獄に行くの?
そうねえ。良い人が、天国に、悪い人が地獄に行くのよと、私。何が良くて、何が悪いのかは、四歳の子の疑問にならなくて。ホッと。。分かれ目は、何なのでしょうか。。。聞かれたら、なんと答えよう。ふと、あれこれ、考えさせられました。。
ほんとに、せめて生きてる間に、ささやかに極楽極楽と、呟きたい。。
しおんさんの、琉球絣とイカット帯の爽やかに小粋なお姿を、拝見するのも、わ、素敵。。目に嬉しい、極楽の瞬間です。。先の、無地に毬の帯も、素敵です!
想三奏
お孫さんの問いかけに思わずにっこり、しっかり応えようとする想三奏さんのまじめさ。いい風景が浮かびました。
何がよくて、何が悪いのか、本当にわからない。喧嘩しても、私が悪いとも言えないし、相手が悪いとも言えない~~。どちらも悪くないのに、うまくいかないこともありますよね。それが少し悲しい、です。