身体は元気なのですが、
なにか落ち着かない~~、
目に付いたケトル、
汚れている~~。
重曹の粉を振りかけて、
金属たわしで
ひらすら磨いてみました。
カンペキとはいえませんが、
少しきれいになりました。
気持ちがいいので、
風呂場のドア周辺の汚れを。
汚いなあ(汗)
考えてみれば、この部分、
この家に来てから、あまりきれいにした覚えがない~。
錆びている部分もあるので、
どのくらいきれいになるかは不明ですが、
とにかくやってみました。
重曹と過酸化塩化ナトリウムを
交互に使いました。
おお、少しはきれいになった!
娘の家に行く途中に、箒の専門店があり、
そこで、まずは小さい箒を買いました。
パソコンの溝などの汚れを
掃出すのに重宝です。
掃除をすると、落ち着く~~。
おもえば、若い頃、
幸田文の
「父・こんなこと」(新潮社)の中の
「あとみよそわか」を読み、
驚いたことがあります。
掃除が、これほど優れた文学になるのかと。
おそらく、こういう類の小説は
それまでなかったし、
これからも出ない~~、気がする。
明治の文豪幸田露伴が
娘の文に、掃除の指南をする作品です。
ハタキを作ることから始まって、
雑巾の絞り方がユルいと叱る、
障子の桟の埃の取り方~~、
疲れないよう身体の合理的な使い方~~。
これが、姑が嫁に教えるのだったら、
反発を感じたでしょうが、
露伴が手を取り、脚を取り、
その合理性を説きながら身体で教えていく。
なによりキリリとした文章が美しい。
題名の
「あとみよそわか」は梵語の呪文から
きているとのこと。
一方、やはり若い頃、
ロバート・ハインラインの
この本を開いたら、
最初の何ページかが延々、
掃除機の改良の仕方が続き、
うんざりした覚えがあります。
欧米では、掃除は「仕方なく」するもの、
いえ、ワタクシとて、
若い頃は、
「ホコリでは人は死なない」と豪語して
掃除に時間を使うなど
思いもよらなかったのですが。
だからこその幸田文さんの作品に
衝撃~~。
掃除を「文化」や「修行」とするのは
東南アジアの地域だけだそうです。
仏陀の弟子の
周利槃特(しゅりはんどく)
という方がひたすら掃除することで、
悟りを開いたことから発しているとか。
最初はティッシュで~。
ついには、そばにあった洋服で~~。
孫もひたすら修行~~・?
子どもはそばにいる人のマネをして
育つ~~。
今だけ~。
さて、自分ごとに戻り、
この時期、身体と心のバランスを
取るためにも、
いろんな場所をきれいにしてみようかな。
身体を動かし、きれいになるのは気持ちいい。
騒動があけた折には、悟りを
開いているかも~~?
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祖母が生きていた時は、次男の家に住んでいたのでしたが、
週に一度は長男の家である私の家に来てくれました。
それが嫌でしたね。
祖母がくるということは=掃除、仕事だったからです。
小学生の私にも容赦なく掃除をさせて、
料理は基本で、
季節ごとの法事の準備など、休む暇さえ無かったでしたね。
掃除も厳格でしたから、全てにチェックが厳しかったです。
(その意味で修業済みなのかな)
でも大人になって、祖母の教えにどんなに感謝したか…
掃除が日常になって、やっとその教えがどれほど大切だったか気づきましたね。
なのに今は常に手を抜いているので、祖母が見たら怒られるに決まってますけどね。
おかげさまで、祖母を思い出せました。
とてもいいお話ですね。子どものころは掃除などとても嫌な義務でした。掃除をすることと自分が結びつかないからでしょうね。年を重ねて自分の部屋を持つと仕方なくやるようになりましたが、同じやるならと。日本では片付けや断捨離が一種のブームですが、それとはまた別に周りがきれいになるのは気持ちいいことです。お祖母さまの躾、とても厳しそうですね(笑)。目に浮かぶようです。
私もコーフン!今どき幸田文の全集読んでいる人ってなかなかいない、と思います。私も全集買いましたよ!彼女の端切れのいい文章は、ほんと、語りにもとてもいいですよね。「~^嵐の夜に私は生まれた。名は~」書き出しの文章、いろいろ覚えています。「弟」はラスト号泣。好きに、シンクロできてうれしいです!