この1~2ヶ月ほど介護の問題などで、気の晴れない状況が続いています。
介護される側よりもする側の問題の方が深刻で、それが気分を憂鬱にさせているのです。
終活などという造語は気に入らないのですが、確かに必要な行動だと思います。
誰にも迷惑を掛けずに一人で云々と等といいますが、やがて頭脳も身体も正常に機能していた時期のイメージとはかけ離れた実態が展開していくであろうことは、薄々気づかされます。
やはり「死に方は生き方」以外の何ものでもないということでしょうか・・・。
そういうおりに、結婚した娘が出産準備のために夫婦で我が家にやってきました。
こちらは、何度も流産して打ちひしがれた時期を乗り越えて、やっとこの時を迎えたわけで喜びの輪は我が家にも、相手のご両親の家庭にも広がっているのです。
娘は、痩せているのに妙に腹だけは膨らんだ奇妙な姿を衆目に曝しながら誇らしげな様子です。
ミトコンドリアDNAが女性だけに継承されていく理由も判りますね。
とかく鬱陶しく湿りがちだった我が家に、明るい笑い声が聞かれるようになりました。
勿論、介護がらみの配偶者の実家の問題は同時進行的に進んで、心身の負担はむしろ多くなっていく筈ですが、新しい生命の息吹は希望そのものですし、出産のための娘の帰宅は負担の増加ではなくて、介護への力となって我々を援護してくれそうです。
来た道と、往く道の交差点ともいえますね。
異なる人生の二冊の本の序章と終章を同時に読まされているともいえます。
気合いを入れ直して、今日も一句いってみましょう。
「人生は一度もちろん死を含め」・・・新しい命に幸あれ!!